【第二十六金剛隊】土屋 浩

土屋 浩

拓植大学
神風特別攻撃隊第二十六金剛隊、昭和二十年一月九日比島 (*1)にて戦死、二十二歳


 櫻花を贈られて

 前略 母上よりのお手紙実に嬉しく拝見致しました。めったに筆を持たれぬお母さんよりの便りだけに、それを読む時の喜び、到底筆舌に尽し得ません。

 父上も相変らずの御多忙で殆(ほと)んど家に居らるヽ事なき由、益々母上の務め頻繁となり、さぞお疲れの事でせう。

 文二兄さんの入隊による母上のお喜び、さぞ大変なものだったと思ひます。兄弟四人、皇国に生を享(う)けし感激に応(こた)え奉(たてまつ)るべく、大いに奮闘致す日もさほど遠くないことなれば、私はこの日を唯々(ただただ)楽しみに致して居ります。

 同封の櫻花、母上の真心こもるものだけに心より嬉しく思ひました。

 私もこの櫻花の如くありたいとは、学生時代より常日頃思ってゐただけに、今、家の庭の櫻花を手にし、感慨一入(ひとしお)なるものがあります。

 佐久良東雄先生の歌にも

   ことしあらばわが大君のおほみため
   人もかくこそ散るべかりけれ

といふのがありますが、何といっても良いのは櫻花です。

 この贈物は、今後、私の良き師良き友となることでありませう。

 城山の櫻も、今年は不順のため少し遅れたらしいですが、こちらは、寒いといっても九州だけに十日程前が満開でありました。今頃あちこちの櫻が潔く散りつヽあります。……

(中略)

 今度家族一堂に会す日は、何時(いつ)のことでありますやら。兄弟四人美酒酌み交すことも、もはやないと思ひます。しかし私達は常に偉大なる父上、母上の心の中に生きてゐるのですから、今更何の未練もありませんが ─── 。 千屋の祖父様も御元気とのこと何よりです。母上もどうか体にだけは注意なされて元気に御送日下さい。また暇をみつけて御様子致します。

                                  浩

 母上様



【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」


  • 最終更新:2016-02-16 13:13:08

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