【捷号作戦】日米戦力比較・帝国機動艦隊編成艦一覧
【米軍戦力】
編 成 | 指揮官 | 空母 | 軽空母 | 護衛 空母 |
戦艦 | 重巡 洋艦 |
軽巡 洋艦 |
駆逐艦 | 護衛艦 | 計 | |
6 | 6 | 18 | 12 | 7 | 13 | 93 | 11 | 166 | |||
サマール沖 海戦 |
海軍中将 T・C・キンケード 中部フィリピン攻撃部隊 |
護衛空母隊 | 16 | 9 | 11 | 36 | |||||
スリガオ海峡 海戦 |
オルデンドルフ少尉 戦艦部隊 |
6 | 4 | 4 | 26 | 40 | |||||
エンガノ岬沖 海戦 |
海軍大将 W・F・ハルゼー 第三艦隊 |
ミッチャー中将 第38機動部隊 |
5 | 5 | 6 | 2 | 7 | 44 | 64 | ||
艦上機 1,280機 |
【日本軍戦力】
編 成 | 指揮官 | 空母 | 改装 空母 |
空母 戦艦 |
戦艦 | 一等巡洋艦 (重巡洋艦) |
二等巡洋艦 (軽巡洋艦) |
駆逐艦 | 計 | |
1 | 3 | 2 | 7 | 14 | 7 | 33 | 67 | |||
瑞鶴 | 瑞鳳 千歳 千代田 |
伊勢 日向 |
大和 武蔵 長門 山城 扶桑 金剛 榛名 |
高雄 愛宕 妙高 鳥海 羽黒 摩耶 熊野 鈴谷 利根 筑摩 那智 最上 足柄 青葉 |
能代 多摩 大淀 五十鈴 鬼怒 矢矧 阿武隈 |
浦波 若葉 |
- | |||
サマール沖海戦 | 第二艦隊 (第一遊撃部隊) |
海軍中将 栗田健男 |
4 | 6 | 2 | 11 | 23 | |||
大和 長門 金剛 榛名 |
鈴谷 鳥海 筑摩 妙高 利根 熊野 |
能代 矢矧 |
早霜 藤波 岸波 野分 |
- | ||||||
スリガオ海峡海戦 | 第三部隊 第五艦隊 |
西村中将 志摩中将 |
2 | 3 | 1 | 8 | 14 | |||
山城 扶桑 |
最上 那智 足柄 |
阿武隈 | 潮 満潮 不知火 朝雲 曙 山雲 霞 時雨 |
- | ||||||
エンガノ岬沖海戦 | 第三艦隊 (本隊) |
海軍中将 小沢治三郎 |
1 | 3 | 2 | 3 | 6 | 15 | ||
瑞鶴 | 瑞鳳 千歳 千代田 |
伊勢 日向 |
多摩 大淀 五十鈴 |
若月 初月 秋月 槙 霜月 桑 |
- | |||||
艦上機 116 | 116 | |||||||||
第一航空艦隊 第二航空艦隊 |
大西中将 福留中将 |
基地機 大西機 150 福留機 450 | 600 | |||||||
第六艦隊 | 三輪中将 | 10 |
帝国機動艦隊編成艦一覧
航空母艦
【航空母艦 瑞鶴(ずいかく)】
1941(昭和16)年9月25日、神戸川崎造船所で竣工。翔鶴型2番艦。全空母中、大東亜戦争でもっとも活躍した。
写真は1941(昭和16)年9月25日、神戸湾内で引渡し式の当日撮影。
改装空母
【航空母艦 瑞鳳(ずいほう)】
1940(昭和15)年12月27日、横須賀工廠で完成。小型空母に改造できるように計画された高速給油艦「高崎(たかさき)」が、進水後に潜水母艦として完成させることとなったが、1939(昭和14)年末、空母として完成させることになったもの。
写真は、1940(昭和15)年12月17日、館山沖を全力航走中の瑞鳳。
【水上機母艦 千歳(ちとせ)】
1938(昭和13)年7月25日、呉工廠にて完成。1940(昭和15)年、甲標的母艦に改造(呉)、1943(昭和18)年、空母に改造。
写真は1938(昭和13)年7月18日、佐田岬沖(伊予灘)を全力公試中の千歳。
【水上機母艦 千代田(ちよだ)】
1938(昭和13)年12月15日、呉工廠にて完成。
写真は1938(昭和13)年11月10日、佐田岬沖を全力航走中の千代田。
空母戦艦
【戦艦 伊勢(いせ)】
1917(大正6)年12月、神戸川崎造船所で竣工。計画当初は扶桑、山城と同型(合計4隻)の予定だったが、日向(三菱長崎)とともに全く別の設計で建造された。
写真は1917(大正6)年9月12日の公試運転において全力航走中の伊勢。
改装後の伊勢。ミッドウェー海戦後の空母緊急増強計画の一環として、本艦および同型艦日向の"航空戦艦(通称)"改造が緊急実施された。
写真は1943(昭和18)年9月の完成前、同年8月24日に伊予灘において全力運転公試時のもの。
【戦艦 日向(ひゅうが)】
戦艦「榛名(はるな)」、戦艦「霧島(きりしま)」の場合と同じく、同型艦「伊勢(いせ)」(神戸川崎)と平行して、三菱長崎で建造。1918(大正7)年に完成した。改装および航空戦艦改造は「伊勢」とまったく同じ。
写真は新造艦時代の日向。1917(大正7)年4月30日の引渡し式の翌日、5月1日、佐世保に向け長崎を出港時のもの。
改装後の日向。1943(昭和18)年、本艦は「伊勢」と同じく、航空戦艦に改造された(佐世保工廠)。
写真は1943(昭和18)年11月19日、佐世保発公試のため、内海西部に回航時のもの。
戦艦
【戦艦 大和(やまと)】
昭和12年度(1937)計画、通称マル3計画 (*1)の仮称艦名第1号艦として呉工廠造船船渠内で建造された。
写真は1941(昭和16)年10月26日または30日撮影の続航運転公試中の大和。基準速力(16ノット)の続航公試時の成績は69,124トン、17,430軸馬力、15.91ノット。
【戦艦 武蔵(むさし)】
大和型2番艦。マル3計画の第2号艦。大和と同じく軍機艦として三菱長崎造船所で機密建造された。備砲、甲鈑は呉工廠製造。わが国民間建造艦として最終最大の大艦であり、船台より進水したわが国最大艦でもある。
写真は1944(昭和19)年10月22日、0830~0900(午前8時30分~同9時00分)ブルネーを出撃中の武蔵。これが最後の出撃となった。駆逐艦「磯風」艦橋より白石東平大尉撮影。
【戦艦 長門(ながと)】
1920(大正9)年呉工廠で完成。本艦と同型艦「陸奥(むつ)」の名は戦前の日本海軍の象徴であり、また日本の国勢の代表でもあった。
写真は1920(大正9)年10月27日、宿毛湾外での終末全力運転中の長門。この写真は長門引渡しの当日(1920年11月25日)に海軍省より全世界に公表された。1931(昭和6)年度聯合艦隊旗艦。
改装後の「長門」。1934(昭和9)年呉工廠で改装に着手、1936(昭和11)年初頭完成。写真は呉を出港直前の長門。
【戦艦 山城(やましろ)】
戦艦「扶桑(ふそう)」の同型艦。1917(大正6)年横須賀工廠で竣工。
写真は1928(昭和3)年、横須賀軍港第三区で撮影された改装後の山城。右に同型艦「扶桑」、手前に駆逐艦「桂(かつら)」が見える。
ふたたび改装された山城。1934(昭和9)年12月14日、館山沖の標柱間を全力24.5ノットで航走中の姿。
【戦艦 扶桑(ふそう)】
明治末、金剛型(4隻)の超弩級(ちょうどきゅう)巡洋戦艦に対応して計画された4隻の超弩級戦艦の第一型式(2隻)が扶桑型であり、わが海軍初の真の弩級戦艦でもある。艦型、兵装ともに当時世界最大、最強、世界で初めて3万トンを超えた大艦でもある。
写真は新造艦時代の扶桑、1915(大正4)年8月24日、新造全力公試のものと改装後の扶桑。
【戦艦 金剛(こんごう)】
大東亜戦争に従軍した12隻のわが戦艦中、最旧かつ唯一の外国建造艦。同型艦「比叡(ひえい)」「榛名(はるな)」「霧島(きりしま)」とともに高速戦艦(30ノット)としてもっとも活躍した。
写真は1913(大正2)年5月8日、イギリスクライド湾における全力公試時の金剛。
第二次改装を終えた金剛。1935(昭和10)年より横須賀工廠で改装に着手、1937(昭和12)年初頭に完成。写真は1937(昭和12)年1月13日、横須賀軍港第2区沖出し中の金剛。
【戦艦 榛名(はるな)】
金剛型の第3艦。横須賀で建造の「比叡(ひえい)」につづき、第4艦「霧島」(三菱長崎)と平行して建造。1915(大正4)年に神戸川崎造船所で竣工した。
写真は新造艦時代の榛名。全力公試運転中。1915(大正4)年1月23日撮影と推定されている。
高速戦艦に改装された榛名。1934(昭和9)年9月、改装に着手。写真は改装工事が終了して運転公試中のもの。1934(昭和9)年7月、宿毛湾外での撮影。
一等巡洋艦(重巡洋艦)
【一等巡洋艦 高雄(たかお)】
妙高型を改良した高雄型の第1艦高雄は、横須賀工廠で妙高の進水直後に、同船台で起工。同型艦「愛宕」「摩耶」「鳥海」4艦とも1932(昭和7)年前期完成。この時、重巡洋艦の日米隻数は12対8、上海事変時の切迫した国際危機をよく乗り切った。
写真は1939(昭和14)年7月14日、改装全力運転公試中の高雄。
【一等巡洋艦 妙高(みょうこう)】
ワシントン条約下のいわゆる1万トン巡洋艦の第1艦。同型艦「那智(なち)」「足柄(あしがら)」「羽黒(はぐろ)」とともに、日本の巡洋艦の精鋭として昭和初期、世界の注目を集めた。1927(昭和2)年4月16日、横須賀工廠で快晴下の命名式には昭和天皇初の行幸を賜った。拝観者は10万人余。
写真は1941(昭和16)年3月31日、大改装後、宿毛湾外で全力運転公試中の妙高。
【一等巡洋艦 羽黒(はぐろ)】
1929(昭和4)年、三菱長崎造船所で完成。妙高型第4艦。1939年、改装。
写真は上掲の「妙高)と同時に撮影されたもの。前甲板には一群の見学者が見える。
【一等巡洋艦 熊野(くまの)】
1937(昭和12)年、神戸川崎造船所で竣工。最上型第4艦。最上型は建造途中、または建造後、大きな改造を必要としたが、1937(昭和12)年、4艦がそろった時、すべての不備欠陥は解消され、わが巡洋艦のうち、もっとも高性能、有力な艦となった。
写真は1939(昭和14)年5月3日、"打ち方始め"直前の熊野。昭和14年度第七戦隊第一類戦技(主砲射撃)当日、土佐沖にて撮影。
【一等巡洋艦 利根(とね)】
1938(昭和13)年11月20日、長崎造船所で完成。わが海軍最終、最高の傑作重巡洋艦である。軍縮条約無効下に進水する見通しが明らかとなったため、当初より20㎝連装砲塔を搭載。砲塔1基を減らし、4基全部を前部に集めたのは巡洋艦として世界でも異彩であった。
写真は1940(昭和15)年、泊地にいこう利根。利根型同型艦「筑摩」より撮影された。
【一等巡洋艦 那智(なち)】
1928(昭和3)年11月26日、一等巡洋艦「妙高(みょうこう)」に先立って呉工廠で完成し、直ちに横浜沖の御大礼特別観艦式に参列した。この観艦式には完成早々のイギリスケント型1万トン巡洋艦3隻がそろって参列したので、それに対抗するため本艦艤装工事が促進された。
写真は1927(昭和2)年4月16日、昭和天皇の行幸を賜った横須賀工廠での命名式のもの。
【一等巡洋艦 足柄(あしがら)】
1929(昭和4)年8月20日、川崎造船所で完成。1937(昭和12)年、スピットヘッド沖の英国戴冠式観艦式に派遣参列。その折、同盟国ドイツをキール軍港に訪問した。
写真は1929(昭和4)年8月~9月頃、完成引渡しを終え、母港呉に回航直後の足柄。
【一等巡洋艦 愛宕(あたご)】
高雄型第2艦。「赤城」に次ぎ呉工廠造船船渠内で建造。本艦は1938(昭和13)年~1939(昭和14)年に改装。
写真は1939(昭和14)年8月25日、館山沖での全力運転公試(逆風航走)中の愛宕。
【一等巡洋艦 鳥海(ちょうかい)】
1932(昭和7)年6月、三菱長崎造船所で完成。
写真は1938(昭和13)年6月18日、横須賀で撮影。前期訓練を終え、母港で休養整備成り、後期訓練出港の準備成った姿。
【一等巡洋艦 摩耶(まや)】
1932(昭和7)年6月、神戸川崎造船所で完成。「鳥海」とともに未改装のまま大東亜戦争に参加した。
写真は1935(昭和10)年、夏大演習中に別府湾に休養入泊した第二艦隊(大演習青軍部隊)の摩耶。手前から「鳥海」「高雄」「摩耶」「愛宕」(以上第四戦隊)、「青葉」「衣笠」「古鷹(ふるたか)」(以上第六戦隊)、「由良」(第二潜水戦隊旗艦)、「長鯨」(同母艦)、「神通」(第二水雷戦隊旗艦)。
【一等巡洋艦 鈴谷(すずや)】
最上型第3艦。1937(昭和12)年、横須賀工廠で完成。本艦命名式(進水)は昭和天皇行幸下の最後のものとなった。
写真は1935(昭和10)年11月、館山沖を全力公試中の鈴谷。
【一等巡洋艦 筑摩(ちくま)】
1939(昭和14)年5月20日、長崎造船所で完成。
写真は1942(昭和17)年10月26日、南太平洋海戦で奮戦中の筑摩。米機の爆弾が本艦艦橋に命中し、火災を生じている。米軍撮影。
【一等巡洋艦 最上(もがみ)】
1935(昭和10)年7月28日、呉工廠で完成。ロンドン軍縮条約下の許容量ギリギリに、必要の最短期間で20㎝砲10門の重巡洋艦に改造できるよう、8500トンの乙巡洋艦として設計された。
写真は1935(昭和10)年3月20日、宿毛湾外の標柱間を全力公試中の最上。
【一等巡洋艦 青葉(あおば)】
1927(昭和2)年9月20日、三菱長崎造船所で完成。軍縮条約締結により古鷹(ふるたか)型第3、4番目の艦は工事量が激減した民間造船所に発注された。
写真は1942(昭和17)年11月9日付読売新聞に大本営より掲載を許可されたもので、1942(昭和17)年10月12日のサポ島夜戦で勇戦奮闘、帰投した青葉。
【出撃前の青葉】
【帰投した青葉】
二等巡洋艦(軽巡洋艦)
【二等巡洋艦 能代(のしろ)】
1943(昭和18)年6月30日、横須賀工廠で完成。阿賀野型第2艦。マル4計画 (*2)で10余年ぶりに建造された二等巡洋艦。水雷戦隊旗艦を目的にした。
写真は1943(昭和18)年6月、東京湾外で終末全力運転時に撮影されたもの。
【二等巡洋艦 多摩(たま)】
1921(大正10)年1月29日、三菱長崎造船所で完成。
写真は1941(昭和16)年12月~1942(昭和17)年2月頃撮影されたもの。1943(昭和18)年のアッツ島放棄、キスカ島撤退に従軍、北方の背景に応じて白、濃ねずみ色の迷彩に塗装されている。
【二等巡洋艦 大淀(おおよど)】
1943(昭和18)年2月28日、呉工廠で完成。潜戦旗艦用偵察巡洋艦阿賀野型と同時に計画、建造された特殊任務の巡洋艦。高速水偵6機を搭載し、潜水戦隊の旗艦として索敵および強行偵察を行うのを目的とした。
写真は1944(昭和19)年春ごろ撮影されたと推定される柱島泊地における大淀。
【二等巡洋艦 五十鈴(いすず)】
1923(大正12)年8月15日、浦賀船渠で完成。
写真は1932(昭和7)年5月18日、となりに繋留中だった艤装工事中の空母龍驤(りゅうじょう)艦上から撮影した五十鈴。前年1カ年にわたる中南支警備を終わり、母港で特定修理中の姿。
【二等巡洋艦 鬼怒(きぬ)】
1922(大正11)年11月10日、神戸川崎造船所で完成。
写真は1937(昭和12)年1月20日、能美島西方海面にて撮影された、第四艦隊事故後の船体強度改正工事完成時の鬼怒。
【二等巡洋艦 矢矧(やはぎ)】
1943(昭和18)年12月29日、佐世保海軍工廠で完成。
写真は完成引渡しの10日前、1943(昭和18)年12月19日、佐世保出港時に撮影されたもの
【二等巡洋艦 阿武隈(あぶくま)】
1925(大正14)年5月26認知、浦賀船渠で完成。
写真は1932(昭和7)年、第三戦隊旗艦阿武隈。
駆逐艦
【一等駆逐艦 浦波(うらなみ)】
1929(昭和4)年6月30日、佐世保海軍工廠で完成。直ちに「磯波(いそなみ)」と2隻で第十九駆逐艦隊を編成して第二次水雷戦隊に編入した。
写真は1929(昭和4)年秋に撮影されたもの。
【一等駆逐艦 若葉(わかば)】
1934(昭和9)年10月30日、佐世保海軍工廠で完成。ロンドン軍縮条約の苦しい制限下に、勢力ほとんど後期の吹雪型に等しく、かつ多くの改良強化を図り、しかもかなり小さい排水量公試状態1680トン(基準1400トン)の同型艦として計画された初春型艦。
写真は1939(昭和14)年3月15日、有明海における昭和14年前期の基本訓練中の第一水雷戦隊。手前から順に初春(はつはる)、若葉、山風(やまかぜ)、涼風(すずかぜ)、江風(かわかぜ)、海風(うみかぜ)、旗艦二等巡洋艦川内(せんだい)。
【一等駆逐艦 早霜(はやしも)】
1944(昭和19)年2月20日、舞鶴海軍工廠で完成。
写真は1944(昭和19)年2月9日、舞鶴に入港中の早霜。
【一等駆逐艦 藤波(ふじなみ)・岸波(きしなみ)】
・藤波…1943(昭和18)年7月31日、藤永田造船所で完成。
・岸波…1943(昭和18)年12月3日、浦賀船渠で完成。
わが通常型駆逐艦の最終発達を示す夕雲(ゆうぐも)型。同型艦は20隻あった。第一号艦は1941(昭和16)年9月完成の「秋雲(あきぐも)」、最終艦は1944(昭和19)年5月完成の「清霜(きよしも)」であった。
【一等駆逐艦 野分(のわき)】
1941(昭和16)年4月28日、舞鶴海軍工廠で完成。マル3計画の新駆逐艦。次の夕雲(ゆうぐも)型、米国のフレッチャー系とともに第二次世界大戦の代表駆逐艦。
写真は1941(昭和16)年4月19日、宮津湾外を公試全力で標柱間航走中の野分。
【一等駆逐艦 不知火(しらぬい)】
1939(昭和14)年12月20日、浦賀船渠で完成。「野分(のわき)」と同じ夕雲型駆逐艦。
写真は1942(昭和17)年7月5日、キスカ島で米潜水艦の雷撃により艦首大損傷、被害部は一部をダイナマイトで爆破切断するなど、乗員と横須賀工廠救難隊の努力により、曳航されて舞鶴に到着した不知火。
【一等駆逐艦 曙(あけぼの)・潮(うしお)】
・曙…1931(昭和6)年7月31日、藤永田造船所で完成。
・潮…1931(昭和6)年11月14日、浦賀船渠で完成。
1924(大正13)年、軍縮条約下のわが新海軍の駆逐艦として設計された吹雪(ふぶき)型(当時第35号型)は、従来の駆逐艦の観念をはなれた画期的な艦であった。船型、性能は飛躍的に増大、向上し、当時の軽巡洋艦を、駆逐艦式に設計したものといえる。
写真は1936(昭和11)年8月14日、性能改善後、館山沖の標柱間を全力公試運転中の潮。
【一等駆逐艦 満潮(みちしお)・朝雲(あさぐも)・山雲(やまぐも)・霞(かすみ)】
・満潮…1937(昭和12)年10月31日、藤永田造船所で完成。
・山雲…1938(昭和13)年1月15日、藤永田造船所で完成。
・朝雲…1938(昭和13)年3月31日、神戸川崎造船所で完成。
・霞……1939(昭和14)年6月28日、浦賀船渠で完成。
計画、設計、建造、完成と順調に、しかも恐るべき真価を発揮した優秀艦朝潮型。同型艦は10隻。
写真は1939(昭和14)年9月14日、館山沖の標柱間を全速航走中の朝雲。
【一等駆逐艦 時雨(しぐれ)】
1936(昭和11)年9月7日、浦賀船渠で完成。
写真は同型艦「白露」。1937(昭和12)年10月、揚子江口でイギリス軍が撮影したと推定されているもの。
【一等駆逐艦 秋月(あきづき)・初月(はつつき)・若月(わかつき)・霜月(しもつき)】
・秋月…1942(昭和17)年6月13日、舞鶴海軍工廠で完成。
・初月…1942(昭和17)年12月29日、舞鶴海軍工廠で完成。
・若月…1943(昭和18)年5月31日、三菱長崎造船所で完成。
・霜月…1944(昭和19)年3月31日、三菱長崎造船所で完成。
高角砲を主兵装とした超駆逐艦。速力33ノット、すばらしい性能を誇り、艦隊でもっとも好評だった艦。戦後1950~55年に、諸国海軍が期せずして同大、同速の大型駆逐艦を建造したのは本艦の影響があったと思われる。
写真は1942(昭和17)年5月17日、宮津湾外を公試全力運転時の秋月。
【一等駆逐艦 槙(まき)・桑(くわ)】
・桑…1944(昭和19)年7月25日、藤永田造船所で完成。
・槙…1944(昭和19)年8月10日、舞鶴海軍工廠で完成。
ソロモン方面の戦況により、比較的小型低速で、急造に敵する艦として多数建造された松型駆逐艦。同型艦は18隻建造された。
写真は松型第4艦「桃(もも)」。1944(昭和19)年6月3日、宮津湾外を全力航走中の姿。
【出典】
・1983(昭和58)年 講談社 千早正隆編 「写真図説 帝国連合艦隊-日本海軍100年史-」
・1970(昭和45)年 株式会社ベストセラーズ 福井静夫 「写真集 日本の軍艦 ありし日のわが海軍艦艇」
- 最終更新:2018-02-18 14:02:32