訪ねてきた兄

ここ数年、日本政府は戦没者の遺骨収集に力を入れています。

収集したご遺骨はDNA型を調べて遺族を探すそうですが、第二次世界大戦では兄弟全員が出征し全員戦死したため、途絶えてしまった家もあるそうです。



同じく、兄は戦闘機乗りとなり、弟は輸送船団の指揮官となった兄弟がありました。ラバウルで戦死したその日の夜、兄は飛行服姿で弟に会いに来たそうです。


【飛行服】
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出典:1956(昭和31)年 日本文芸社 「現代読本」第一巻第七号所収 元輸送指揮官 大久保旭 「訪ねてきた兄」


 昭和十八年の六月のことだ。

 その頃、輸送船団の指揮官をしていた私は、ある任務を終えて、船は香港に碇泊していた。乗組の者は殆(ほとん)ど上陸していて、船内は静かな晩であった。私は個室で、暫(しばら)く会わぬ故郷の家族の顔などを想い出しながら、家に便りを書いていた。

 と、トントンと、ドアをノックする音。つづいて 『やあ!』 という声。

 顔をあげてみると、兄が飛行服のまま、そこに立っていた。戦闘機乗りの兄だから、何処(どこ)に現れても不思議ではなく、これまでにも、戦場から便りがあったと思うと、翌日には内地の家に顔を見せたり、そんなことが度々(たびたび)であったので、私は喜んで兄を迎えた。

 私たちは、その後の消息や四方山(よもやま)の戦争談などを話しながら、秘蔵のウイスキイなどを飲んだ。

 ところが、酒好きの兄だったが、この夜はさっぱりグラスを空けず、最後に、私の顔を見て名残り惜しそうにして席を立った。

「お前も元気でな。左様(さよう)なら」

 兄は、ふっと笑い顔を見せて、船室を出ていった。

 私は、その兄の顔が、なにか悲しそうだったので、慌(あわ)てて、兄の姿を追った。だが、ある筈(はず)の兄の姿は、もうそこにはなかった。

 私は、この時、 『はっ』 っと、水を浴びたような不吉なものを感じた。

 後で知ったのだが、この日は、兄がラバウル基地に死の帰還をした同じ日であった。







  • 最終更新:2015-06-04 07:56:59

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