白いマフラー


【白いマフラー】
白いマフラーは搭乗員のシンボルだった。マフラーは古い落下傘の生地(絹)を利用してつくったものが多く、それを褐色の飛行服の首に巻くが、ピッタリとしめつけてはダメで、ふんわりと巻く。本来の目的は、首の動きをスムーズにするため。それに万一の場合は、応急手当にもつかえた。


【出撃前、賛美歌を歌う特攻隊員】
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出典:1984(昭和59)年 光人社 岡正雄著 「予科練よもやま物語」


 風防をあけたゼロ戦の操縦席から、パイロットが手をあげて合図をする。チョーク(車輪止め)がはずされ、エンジンが回転を増して、飛行機が動きだす。

 いよいよ離陸。プロペラが唸(うな)りをあげ、パイロットの首にした白いマフラーが、ハタハタと風になびく……。

 白いマフラーは搭乗員のシンボルであり、私たちの夢でもあった。

 マフラーは、古い落下傘の生地(絹)を利用してつくったものが多く、それを褐色の飛行服の首に巻くが、ピッタリとしめつけてはダメで、ふんわりと巻く。なによりもカッコいいし、何千メートルという上空では暖かい。

 だが、本来の目的は、首の動きをスムーズにするためだと聞いた。とくに、戦闘機のパイロットや攻撃機の射撃手は、前後左右、上下と気をくばり、敵機と交戦する。そのとき絹のマフラーは、首の回転を滑らかにするというのである。

 それに万一の場合は、応急手当にもつかえた。

 このカッコいいマフラーも、一人前の搭乗員にならないと、巻くことができない。そんな規則があったのかどうかは知らないが、練習生ではダメ。

 私たちの偵察飛練では、いつもマフラーをしていたのが操縦教員だ。操縦教員は、私たち練習生が偵察教員から機上訓練をうけるときに、練習機を操縦する。いつも「課業やめ」ごろになると、飛行服に飛行靴、飛行帽に白いマフラーのイキな姿で、飛行場から兵舎に帰ってくる。

「カッコいいなあ……」

 私たちは、その姿をあこがれのマナザシで、いつもよくみていたものである。

 偵察教員も巻いていることがあった。というのは、私たちのいた鈴鹿空では、伊勢湾の哨戒飛行をやっていたから、その任務につくときには、偵察教員もほとんどマフラーはしていたのだ。

 こうしたことを見るにつけ、私たちも、飛行機には乗れないが、格好だけでもやってみたくて仕方がない。落下傘など手にはいるわけがないから、家に頼む。息子の晴れ姿用にと、白い絹のマフラーを送ってくれる。

「どうだ、いいだろう……」

 おたがいに教員の目をぬすんで、休み時間に兵舎で何度も巻きなおしてみたり、外出のときは、さっそく写真館に行って写真をとったりする。

 それだけでは気がすまないで、夜、ハンモックの中でまた巻いたりほどいたり。そして、いつもはこっそり衣嚢(いのう)の底にしまいこんだりしていたものである。




  • 最終更新:2015-02-15 22:37:58

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