こみやられるな

【こみやられるな】
「こみやられるな!」これは、入隊以来、耳にタコができるほど聞かされた言葉で、「先をこされるな」とか、「おくれをとるな」といった意味だ。
 班の中では他の者に、分隊の中では他の分隊に、といったぐあいに、いついかなるときでも相手に、「こみやられ」てはいけないのである。こみやられるのは、攻撃精神がないからであり、予科練魂に欠けているからで、そんなときには、予科練魂注入棒(バッター)のお世話になる。



出典:1984(昭和59)年 光人社 岡正雄著 「予科練よもやま物語」


 こみやられるな
 
 予科練、飛練とも、隊内ではすべて駆け足である。うっかり歩いていようものなら、

「なんだ貴様ァ、何分隊の練習生だ!」

 どこから、だれから声がとんでくるかわからない。あげくは分隊に連絡されて、おきまりの罰直となる。

 兵舎の出入り、階段の昇り降りももちろん駆け足で、とくに階段は一段おきにとびあがる。

 美保空(予科練)は、急造のバラック建てに近い木造兵舎だったので、二階の分隊が階段を昇り降りするときはすごかった。

 ドンドン、ガタガタと、にぎやかで勇ましい。

 ふだんでもこうだから、これが朝礼や課業整列などで、「兵舎離れ」となると、もっとすさまじい。他の分隊におくれをおっては一大事とばかりに、ドドドドド……と大地震のように兵舎をゆるがして、出入口に殺到する。階下の分隊も、兵舎を出ようとしているところだから、出入口の混雑は、ラッシュアワーどころの比ではない。よくまああれで、ふみ倒される者がいなかったものだと思う。

 兵舎の外にでると、各班ごとに分隊で整列、練兵場に向かう。われこそは一番乗りと、駆けるのだから、駆け足といっても、百メートル競争のような勢いである。

 各分隊がいっせいに練兵場に向かうのだから、隊内のメインストリートは、このすさまじいスピードの行列でいっぱいである。大型ダンプが道路せましと、ものすごいスピードで追いつ追われつ、抜きっこしながら走っているようなものであった。

 通路には、十字路(交叉点)があるから、右からきた分隊と、左からきた分隊、あるいは直進する分隊などが鉢合わせすることもある。

 いまの道路のように信号機があれば、青のほうが進めばよいが、もちろんそんな信号などはない。どうするのか、といえば、道路交通法ではないが、先に交叉点にはいった方が、優先することになっていた。少しでもおくれた分隊は、その場で駆け足足踏みをしながら、先の分隊が交叉点を通過するまで待つのである。

 だが、そんな悠長なことをしていれば、相手におくれをとることになる。交叉点の手前で、他の分隊とぶつかりそうだとわかると、おたがい相手の分隊に、

「こみやられるな!」と、猛烈に突進する。

「こみやられるな!」これは、入隊以来、耳にタコができるほど聞かされた言葉で、「先をこされるな」とか、「おくれをとるな」といった意味だ。

 班の中では他の者に、分隊の中では他の班に、隊の中では他の分隊に、といったぐあいに、いついかなるときでも相手に、「こみやられ」てはいけないでのである。こみやられるのは、攻撃精神がないからであり、予科練魂に欠けているからで、そんなときには、予科練魂注入棒(バッター)のお世話になる。

 だから入隊して何カ月もたてば、私たちもすっかりこの言葉にしつけられて、何事も「こみやられるな」と闘志をもやした。

 交叉点の突入にしてもそれで、一歩でも、あるいは頭だけでも、先に早く交叉点にはいって、優先権をとろうとした。だが、タッチの差の場合、そこにオマワリさんが立っているわけでなく、おたがいが「こみやられるな」と譲りあわないから、ときにはモミあいから、ポカポカとやりあうようなことにまでなることもあったりした。

 こうしたせり合いは、同期の間よりも、先輩、後輩との間の方がより激しくなる。おたがいに先輩に負けるな、後輩におくれをとるなということになり、ことに先輩に対しては、日ごろシボられているそのハライセを、こうしたところでぶつけていく。

 私たちのいた飛練の鈴鹿空には、予科練の先輩のほかに飛行予備学生や飛行予備生徒もいた。大学、高等学校(旧制)から海軍にはいった学生、生徒で、訓練を終わると、士官(予備士官)になる。

 私たちは、入隊後わずか一、二年で士官になる予備学生や予備生徒に、かなり反感をもっていた。予備をもじってスペアと呼び、海軍の搭乗員の本流はおれたちだ、と自負して張り合うことが多かった。

 このことはまた、私たち甲飛が、予科練に入隊して一年半くらいで下士官になり、先に入隊していても進級のおそい乙飛から目の仇(かたき)にみられ、仲が悪かったのと同じ理由になるのだが─────。

 それはさておき、私たちは、

「スペアなんかに、こみやられるな!」

 と、交叉点に突入するときなど、敵意むきだしで突っこんでいき、ルール無視の小ぜりあいなどよくやった。

 また、はっきりと先に、私たちが交叉点にはいった場合などは、予備学生分隊がくやしそうに駆け足足踏みをしながら待っているのを、「ざまあミロ」と横目でみながら、わざとゆっくり通過したりしたものである。







  • 最終更新:2014-11-09 21:25:15

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