【連合国】白人がテロを「カミカゼ」と呼ぶ理由

2015年11月13日、パリで同時多発テロ事件が発生しました。

この時、海外の新聞でテロを"kamikaze"と報じていることを多くの日本人が知りました。そして多くの日本人が怒り、また「なぜ?」という疑問を持ちました。

なぜなら、無差別殺人であるテロと国家存亡をかけて戦場で敵機動部隊に突入した神風特別攻撃隊が混同されていたからです。

そこで、なぜ白人がテロを"kamikaze"と呼ぶのか、ひとつ思いあたりがあるので、そのことを書いておこうと思います。

欧米メディア、仏自爆テロを「kamikaze」と表現 日本では「なんだか複雑」「悲しいこと」と困惑
2015/11/15 18:43 Jcast ニュース

紀伊國屋書店が「kamikaze」書店と報じられる

テロ関連の報道に「kamikaze」の言葉が使われ始めると、日本人ツイッターユーザーから、

日本人を連想しているのではないとしても、悲しいことだな」
「こういう所で活用されてるのは、なんだか複雑・・」

と困惑する声が寄せられた。中には、日本政府に「抗議、対処すべきだ」と指摘するユーザーも。

これより前、仏メディアは「kamikaze」という言葉をどのように使っていたのか。ル・フィガロ電子版の過去数か月の記事を見てみると、15年2月にナイジェリア北東部で発生した自爆テロ事件を「une kamikaze tue sept personnes」(自爆テロ犯が7人殺害、15年2月21日付け)と伝えるなど、アフリカやアラビア地域で当時頻発していた自爆テロ事件に関する記事にしばしば登場する。

その一方、15年9月に紀伊國屋書店がネット書店への対抗策として作家・村上春樹さんの最新作「職業としての小説家」の初版を「買い占めた」件は「Un libraire 〈kamikaze〉 defie Amazon au Japon」(「神風」書店がアマゾンジャパンに立ち向かう、15年9月8日付け)と見出しをつけて報じられた。

「kamikaze」とは、太平洋戦争時における日本軍の「特別攻撃」に由来する言葉だ。ただ、「特別攻撃」は基本的に艦船や兵士を標的とした一方、自爆テロは一般人を含めて無差別攻撃とされ、全く同じものとは言えない。また、いつ、どのような過程で「kamikaze」が「自爆テロ」の意味で使われるようになったのかも不明だ。

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【画像出典URL】AFP


アメリカ戦略爆撃調査団「自殺とカミカゼは同義語だ」

日本敗戦の翌月である1945(昭和20)年9月、日本にアメリカ戦略爆撃調査団(USSBS)が乗りこんできました。この戦略爆撃調査団の任務は大東亜戦争を再構成して、原爆をふくめたアメリカの対日戦略効果を見直すことでした。

戦略爆撃調査団は東京に本部を設置し、さらに名古屋、大阪、広島、長崎に地方本部を設置しました。そして日本に日本軍の作戦計画を提出させ、日本の軍部、政府、および産業界の幹部700人以上を尋問した上で、報告書を作成しました。その日本の文書を翻訳する中で"Kamikaze"は「自殺」という意味に使われました。

つまり、アメリカ大統領に提出する報告書の中で"kamikaze"が「自殺」という意味で使用されたということです。


とりあえずここまで分かって、ひとつ疑問がわきました。それは「白人が自殺する場合も"kamikaze"というのだろうか?」という疑問です。

そこで、昨年の"ミック・ジャガーの恋人が自殺した"というニュースを検索してみました。しかし、その記事には「自殺」を意味する"suicide"(シューサイド)と単語が使われていました。これで白人の「自殺」には"kamikaze"を使わない、ということがわかりました。


suicide1.jpg
【出典URL】calgarysun.com


そこでまた疑問がわきました。それは戦時中、米軍は特攻機を「シューサイド・プレイン」(自殺機)と呼んでいたのです。ならば、いつ、どこで、"kamikaze"が白人社会において、「有色人種の自殺またはテロ」という意味で使用されるようになったのか?

そこで思いあたったのが、アメリカがウサマ・ヴィンラディンを殺害した時のアメリカ司法長官の言葉でした。


ビンラディン容疑者の殺害について、アメリカのホルダー司法長官は、旧日本軍による真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官の軍用機を撃墜した作戦と同じだとして、その正当性を強調しました。

アメリカ国内では、パキスタンに潜伏していたビンラディン容疑者が武器を所持していなかったにもかかわらず、アメリカ軍の特殊部隊に殺害されたことについて、その正当性を問う声が出ています。

これについて、ホルダー司法長官は、4日、議会上院の司法委員会で証言し、国際テロ組織アルカイダのリーダーであるビンラディン容疑者の殺害は、アメリカ を自衛するための行為だとしたうえで、「敵の司令官を標的にすることは合法だ。第2次世界大戦中に行った山本五十六の殺害もそうだ」と述べました。

ホルダー長官は、このように、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が乗った軍用機をアメリカ軍が撃墜した作戦を、今回の作戦になぞらえて、ビ ンラディン容疑者殺害の正当性を強調しました。アメリカでは、同時多発テロ事件の直後に、当時のブッシュ大統領が「真珠湾攻撃と並ぶ卑劣な行為だ」と非難 するなど、同時多発テロ事件を、アメリカの領土が奇襲されたという点で共通する旧日本軍による真珠湾攻撃と重ね合わせて論じることも少なくありません。

2011年5月5日 NHKニュース


このニュースを耳にした時は衝撃を受けました。私の記憶が確かならば、この時、ホルダー司法長官は山本五十六元帥だけでなくネイティブ・アメリカンの英雄ジェロニモをもウサマ・ヴィンラディンと同列に置いて「テロリスト」呼ばわりしました。

ところが衝撃を受けつつもホルダー司法長官のおかげで、アメリカは自由民主主義国家という皮をかぶった共産主義国家だということに気がつきました。実際、アメリカが中東やウクライナ、ミャンマーなどで工作していることを注意深く観察してみれば、民族の英雄または民族の長を引きずりおろしてアメリカの息がかかった人物に入れ替えています。これは民族主義を否定する共産主義的なものです。

また、アメリカはTPPという戦前日本人が「アメリカの世界政策=経済侵略」と呼んで日米開戦を決意した政策も続行中です。

アメリカの世界政策とはアメリカを頂点とした世界統一政策です。いまだにアメリカは終戦直後、日本の保守派を死刑にしたり公職から追放したりしたのちに共産主義者を日本の中央に配置した、それと同じことを世界中で続けているということです。


このような経緯をたどって、なぜ"kamikaze"が「自殺」を通り越して「テロ」の同義語として使われるようになったのか答えが出ました。それは


白人は正義であり、その白人に危害を加える有色人種はみな
"kamikaze"だ


ということです。

そこに自殺を禁止しているキリスト教の教えが混ざって、国のために次々と命を捨てる神風特別攻撃隊に異様さを感じたのでしょう。キリスト教において「殺人は大罪」とされていますが、異教徒ならばどれだけ殺してもよいのでしょうね、アメリカは。


おそらく、この"kamikaze"の使い方は今回たまたま日本人の耳に入ってきただけで、白人の根深い人種差別によって、ずっと以前から「白人に危害を加える有色人種」という意味で使われてきたのだと思います。

これはあくまでも管理人の推測ですが、賛同していただけるなら幸いです。


参考資料:アメリカ戦略爆撃調査団とは?~ミステリアスな日本人



出典:1996(平成8)年 光人社 大谷内一夫訳編
   「ジャパニーズ・エア・パワー ─── 米国戦略爆撃調査団報告/日本空軍の興亡」



 序  言

 アメリカ戦略爆撃調査団(USSBS)は、故ルーズベルト大統領の命令により、一九四四年十一月三日、陸軍長官が設置した。

 その使命は、ドイツにたいするアメリカの航空攻撃について、公平かつ専門的な研究をおこなうことである。

 この研究は、日本にたいする航空攻撃に関連して使用され、また、軍事戦略の道具としての空軍力の重要性と潜在力(ポテンシャリティーズ)を評価する基準を確立し、アメリカ軍の将来の発展計画と国防関連の将来の経済政策の決定に資するためのものである。

 ドイツについての調査団の調査結果は、要約報告書一通と約二〇〇通にたっする補助報告書としてすでに刊行された。

 トルーマン大統領は一九四五年八月十五日、対日戦争におけるあらゆる形式の航空攻撃の効果についての同様な調査をおこなうように、調査団に要求した。この調査の報告書は二通つくられ、陸軍長官と海軍長官に提出される。

 日本にたいする調査にあたった調査団の役員は、つぎのとおりである。

 
   委員長  フランクリン・ドリエ
   副委員長 ポール・H・ニツィ
        ヘンリー・C・アリグザンダー
   書記   ウォルター・ワイルズ
   委員   ハリー・L・ボウマン
        J・K・ガルブレイス
        レンシス・ライカート
        フランク・A・マクナミー
        フレッド・シールズ・ジュニア
        モンロー・スパート
        ルイス・R・トンプソン
        シオドア・P・ライト


 調査団の団員はシビリアン三〇〇人、将校三五〇人、下士官兵五〇〇人で構成された。

 軍人のうちの六〇パーセントは陸軍から、四〇パーセントは海軍から抽出された。陸軍も海軍も、人員、補給品、輸送手段、情報を調査団に提供するにあたってあらゆる援助を惜しまなかった。

 調査団は、一九四五年九月上旬に東京に本部を設置した。さらに、名古屋、大阪、広島、長崎に地方本部を設置した。日本の他の地域、太平洋の島々、およびアジア大陸は、移動チームがカバーした。

 戦時中の日本軍の作戦計画と実施の大部分を、交戦のひとつひとつ、会戦のひとつひとつについて再構成することが可能となった。日本の経済と軍需生産については、工場ごと、産業ごとに、かなり正確な統計を入手することができた。

 また、日本の全般的な戦略計画と日本が戦争に突入した背景、無条件降伏受諾にいたるまでの国内討議と交渉、一般市民の健康状態と士気の推移、日本の民間防衛組織の効率、原子爆弾の効果についての研究がおこなわれた。これらの面については、別々の報告書が作成される。

 調査団は、日本の軍部、政府、および産業界の幹部七〇〇人以上を尋問した。また、調査団はおおくの書類を再発見し、翻訳した。これらの書類は、調査団に役立っただけでなく、他の研究にも貴重なデータを提供するであろう。

 調査団のファイルを恒久的な政府機関にひきわたし、さらに検討および配布が可能となるような取りきめがつくられつつある。

(中略)

Ⅴ カミカゼ ミステリアスな日本人~二、カミカゼ精神

(前略)
 
 「カミカゼ」という語は、日本機の自殺体当たりにたいして一般的に使用されるようになったが、厳密にいえば、日本海軍機とパイロットだけに適用される語である。陸海軍両軍とも、「特別攻撃隊」という呼称を使用した。これは短縮されて「特攻隊」となり、陸軍の公式名称になった。

 本報告書と、ここにふくまれた翻訳文のなかでは、「自殺」が「カミカゼ」の同意語として使われている。それが、日本の特別攻撃隊にたいする連合軍の見解に、もっともふさわしいことだからである。

(訳者注 海軍は神風特別攻撃隊、陸軍は陸軍航空特別攻撃隊と呼称した。なお、神風特別攻撃隊が創設されたときの呼称は「カミカゼ」ではなく「しんぷう」だったことが、猪口力平・中島正共著『神風特別攻撃隊』(日本出版協同株式会社、昭和二十六年十二月刊に明記されている)

 入手した大量の証拠や口述書によって大多数の日本軍パイロットが自殺航空任務に、すすんでボランティアしたことはきわめて明らかである。機体にパイロットがしばりつけられていた (*1)という話は、実際にそんなことが起きたとしても、一度だけだったであろう。

(これは、戦時中にアメリカにとどいた多数の報告に反しているが、女性が搭乗員に使われたことは一度もなかった)また、戦争最後の数週間前までに、もっとも熱心なパイロットは消耗しつくされたか、あるいは彼らの出番を待っていたことも明らかである。陸海両空軍とも、新米で訓練不足の搭乗員を自殺部隊に割り当てる、つまり「ボランティア」を徴集する段階に到達していたのである。(後略) 

  • 最終更新:2015-12-31 09:19:27

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