【菊水梓隊】根尾久男

根尾久男

早稲田大学
神風特別攻撃隊菊水梓隊、昭和二十年三月十一日内南洋にて戦死、二十五歳


 知らざるを悔まず


 感 想

 父上様久男入隊に際し、送別の宴を賜りしその席上、「久男は私の意に叶へり」と言はれしを、未だに唯一最大の誇りと致して居(お)ります。幸にして久男、御楯 (*1)として忠死致す秋至らば、その折こそ、「久男は意に叶へり」とお喜び下さい。唯一の願ひであります。神前に御燈明を点してお祝ひ下さい。久男は既に二十六才となりました。人生の半(なかば)も過ぎたるに、世間を知らず、女を知らず、金銭を持たず、今はその信條の貫徹に満足してゐるだけです。お笑ひ下さい。


 眞鍋中尉殿(註・眞鍋中尉も後に戦死)

 戦友としてお願ひ致します。私若(も)し戦死致すことあらば、その状況を可及的速かに故郷の老父に知らせてやつて下さい。又遺品の整理の整理に当つては、この感想録及び黒表紙の手帳、それに写真類及び軍刀は必ず父の許に直接お届け下さい。他の衣類等は適当にお願ひ致します。金銭を始め消耗品の類は、他の戦友とお分ち下さい。勝手な事ばかりお願ひしてすみません。只々(ただただ)心残りは、去日水交社にて肉を喰ひし時、何事か罵りしとか、幾ら考へても思ひ出さず、若し君にて意を害せしことあらずやと恐縮に耐へず。私元来小心にして何も出来ない者でしたが、他人を恨み、憎み、嘲(わら)ひし事は一度もありません。

 純といへば純、馬鹿と云(い)へば馬鹿、世人が稍(やや)もすれば威丈高 (*2)となつてわめき立ててゐる如きは、到底私の解し得ざる所です。目に立つ物は己の欠点と、友の良い人となりのみです。特に十三期は國の宝、言ふ人は罵しりも致しますが、私達は彼等(かれら)の為に働いてゐる者ではありません故、別に気に留めることもなしと考へて居ります。何を書かんとせしやも判らざるが如き結果と相成りましたが、お笑ひ下さらず不精者根尾の後始末をお願ひ致します。


    吹く毎に散りて行くらむ櫻花
    積りつもりて國は動かじ


桜1_2.jpg




【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」

  • 最終更新:2015-12-01 09:23:13

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