【第四御盾隊】小城亜細亜

小城亜細亜

立教大学
神風特別攻撃隊第四御盾隊、昭和二十年八月十三日、本州東方海上にて戦死、二十二歳


 ただ征かん

 ただ征かん、生命を受けて二十年

 晴れて空への御召(おめ)しありせば


 刻々と激しさを増す戦ひに、止むに止まれぬ血に燃えて学業を捨てた君は、今その戦場に発たんとす。一點(点)の雲もない大空、はるかな爆音を残して消えてゆく機影にいくたびか堅く誓った男子の志を徹する時が来たのだ!

 何を恐れることがあらう。この世の総(す)べてのきづなを、たち切った君ではなかったか。

 唯(ただ)一筋国を思ふの熱情の前に何の未練があらう。愛する父よ、母よ姉弟よ、そしてあヽ! 何も思ふな、考へるな、ただ征け! 征ってこの国が、この民族が救はれるなら!


 きみ想ふこヽろは常にかわらねど

 すべてを捨てヽ大空に散らむ


 君はK子を忘れたのか、否(いな)忘れはすまいね。僕には分る。判りすぎる程わかっているのだ。君が彼女に逢はずに永遠の別れを告げるその気持が……あの大空の彼方か、大海原の底か、最後の一瞬には必ず彼女の笑顔を腦(脳)裏に画(えが)くであらう。君の愛を想ふとき僕は胸に迫るものを制し得ないのだ。

 盡(尽)きぬ想ひはめぐり巡る。最後のあけぼのが静かだ。僕の心も、そして恐らくは君も……最後に言ふ。君はたヾ心静かに彼女の幸福なる結婚を祈り給へ。


 大空の征覇を夢見る武夫(もののふ)に

 夢ならぬ身の今日は来にけり

      ─── 〇〇に向け飛び立つ 午前四時三十分

 K子どの
                     亜細亜



 朝夕そヾろに秋気身に感ずる頃となりました。昔に変らぬ御両親様の御壮健振りを拝し、この上なき悦びだと存じます。車中の茨城辨(弁)も懐かしく、土浦を通過の際は健気にも敢闘しゐる吐夢(弟)の武運を心から祈りし次第。当隊に着任早々今晴れて征途に赴かんとす。突然のこととて御驚きかと存じますが、男子一代の名誉この光栄ある門出、唯々(ただただ)感激のみにて更に更に決意を堅め、今は自己の反省に静かなる幾日かを送って居(お)ります。光輝ある海軍の傳(伝)統に生き、偉大なる歴史の下に死する身の幸ひを、二男子を空に送りし御両親様と共に歓びたく存じます。行方定めぬ旅の鳥我々飛行機乗りには、今日の逢瀬(おうせ)は明日の別れ、何時(いつ)果つるやも知れぬ生命をひたすら大君の御為(おんため)、祖国の為に捧げ盡(尽)くす覚悟であります。無我の境地と申すか、沒(没)我の精神と言ふか、僧侶は坐禅に依って此(こ)の精神に徹すと謂(い)ふ。我々海鷲には訓練そのものによって此の境地に入り得るといふことを判然と悟りました。

 我が一凡人を斯(か)く育まれし御両親様、海軍に於ける諸教官に対して、今更感謝の頭が下る思ひであります。間もなく行李(こうり) (*1)二個お送りします。着きましたならば衣類は母上様お手入れの上保存され度(た)く鞄の中の「ノート」は直(すぐ)に焼却され度く存じます。軍事学のものもあれば、内容は秘なれば宜敷(よろし)くお願します。終りにのぞみ御両親様の御健康並びに弟の健闘を祈ります。

 敵近し太平洋の波荒れて

 胸は高鳴る決戦の空へ


 八月廿七日 (*2)

                     海軍少尉 小城亜細亜

御両親様


【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」


  • 最終更新:2015-11-30 06:50:22

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