【第四三二振武隊】矢内廉造

矢内廉造

昭和十八年十月仙台航空機乗員養成所入所、十九年七月陸軍予備生徒として仙台陸軍飛行学校に入校(乙種予備候補生・上等兵)、同年八月満州第二十四教育飛行隊に転属 第一五三五四部隊、同年十二月第一六六一六部隊寺山隊(諏訪隊→近藤隊に転籍)、二十年四月船橋少尉を隊長とする破邪第二特攻隊員となり、同年四月十二日ハルピン出発、四平、奉天、京城、大邱を経て同年五月十五日熊本県菊池飛行場到着(振武四三二部隊と命名)、同月十八日万世に転進、同月二十五日万世より出撃、散華、任陸軍少尉(四階級特進)


 父上様

今さら何も言ふ事は有りません。唯(ただ)、何も孝を盡(つく)さず征く事は残念であり、又申訳(もうしわけ)なく親不孝を何卒お許し下さい。軍務に追はれ、何も省みる事も有りませんでしたが、時々昔を思ひ出し、今さらながらあの当時の不孝に申譯けなく、良く父上が我慢され自分を育て下された事に感謝されずにおれませんでした。此(こ)の上は父上様は常々身体弱く、良く身体に気をつけられ、永くお暮しの程を大空より祈り申上げます。

 自分は国を守る為、父母弟妹等の幸福を祈りつつ、喜んで国に身命を捧げます。さやうなら、父上様、元気で



 母上様

廉造の不孝お許し下さい。あの若かった当時よく自分の我ままをかばへ(い)つくされたにかかわらず何も出来得ず申譯なく、今さらながらくいてをります。此の度、数ならぬ身をい(選)らばれ、征く事となりました。廉造は喜こんで征きます。国亡びなば山河なしと歌はれて居ります。父母上様の幸福を心より祈り申上げます。

 廉造の戦果を見とゞけて下さい。
                          さやうなら
                           廉造

 母上様



 唯雄 日本人として恥(はずか)しき行動をとるな。お前は間もなく征く事だらう。修業時代は誰もつらい。しかし誰も皆務めて居る。お前を信ずる。しっかりやってくれ。お前の武運を祈る。

 兄として何事も出来ず、其(そ)の上お前の希望を無視し申訳無く、常々心の底にお前等(ら)の為に自分を犠牲にしても成功させたいと思って居った。しかし今は無駄になった。お前等は男だ。自分に変って自分の分まで父母に孝養を尽してくれ。幸福ならん事を祈る。



 誠 兄の何事をも出来得なかった事を許してくれ、兄は高等科を卒業したにもかゝわらず、お前には小学校中途にて退学させ、何んとも申訳なく、兄として不甲斐なさに幾度か悔いた事もあった。

 何事も運命と思ひ忘れてくれ。唯(ただ)、今後は自分で努力して、人間として恥じない立派になってくれ、お前の幸福を祈る。



 淑子 お前に兄として望む。上にたつ者は如何に大事であるか、今さらながら強く感じる。兄三人は軍人として家を離れる。

 お前は一番上になるのだ。弟妹達の心も性質もお前一人の為にどうにでもなる。兄が軍隊に入り、家に居る時の事を思ひ出し、つくづく思った。よく女の道を守り、弟妹達のめんどう見て、良き姉として、すなおな弟妹達にしてくれ兄に恥をかゝせる様(よう)な事の無き様お前の幸福を心より祈る。


 照子 良く勉強して我が家の初めての中等教育を受けて今迄の肩身を広くしてくれ。兄はお前の幸福を心より祈る。一生懸命勉強して人にまけるな 兄も祈って居るぞ。


 父上様、庭坂、東京万世町の叔父、叔母様によろしく。又きよちやん、きみちやん、白河の皆皆様にもよろしく。忙しく思ふ半分も書けず、乱文乱筆にて。弟妹さやうなら。

                          兄より


【出典】1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」
 

  • 最終更新:2016-05-28 12:31:42

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