【第四三二振武隊】大塚 要
大塚 要
昭和十八年十二月中部第一二八部隊(航空通信)に学徒出陣で入隊、十九年二月陸軍特別操縦見習士官(二期生)、熊谷陸軍飛行学校相模教育隊、同年七月満州第一六六一五部隊(将校勤務) 白城子飛行場、同年十二月満州第一五三五四部隊第四練成教育隊(平安鎮飛行場)、二十年二月陸軍少尉任官、補第二四教育飛行隊付、同年四月十三日ト号要員を命ぜらる。同年五月二十五日万世より第四三二振武隊として出撃、散華。同日任陸軍大尉(二階級特進)、功三級勲五等旭日章。
いよいよ明日出撃します
1
母上様
今日五月二十日、要は再び日本のこの内地 (*1)に帰って参りました、一人前の特攻隊員として。
操縦に志せし時よりの本望です。
此所(ここ)、九州の菊池の飛行場近く、緒方様に厄介になってゐます。
丁度(ちょうど)田舎の家の如く、内地は変りありません。造りは似たもので茨城の田舎に帰った様(よう)な気がします。
これが今日午後三時朝鮮大邱(だいきゅう)を離陸した同一の人間とは昔なら考へられません。
かうして日記をかくのも又楽しきものです。征く日まで書かうと思ひます。
凡人、偉さうなことは言へません。ありのまゝ。
母上に書いてゐます。
母上、何度も云(い)ひます。只(ただ)、強く生きて下さい。前線も銃後もない時、一人々々が軍人と変らぬ今日です。母上の信ずる道を進んで下さい。
2
母上様
今日も雨のため一日惜しからぬ生命を熊本に過した様です。
明日は天気でせう。前進します。
本当に母上に先立ってゆく身をすまぬと思ひますが。忠孝一本。
御先に行きますが、決して母上に不孝であるとは思ひません。幸いに目的を達せば母上喜んで下さい。
3
母上様
今日は基地を進めてこの鹿児島の南の風ふく暖き基地に参りました。
名に聞いてゐた鹿児島の町、一寸(ちょっと)南国的な情趣深きものがあります。
月も美しく輝いて今宵はすばらしいものがあります。
明日出撃の予定がのびて明後日の予定です。
我ながらこんなものかな等と感じてゐます。
死ぬ、どうもまだぴんと来ません。
轟沈と云った方がピンと来さうです。
別に何等の感じ興味と云ふやうなものもありません。
ただ 任務達成 如何。
今日はもう一寸ねむい様です 二十三時。
4
母上様
いよいよ明日出撃します。
ただやらんのみです 男一匹見事にやる決心です。永い間御心配かけました。
要は必ずやります。日本男子 玉砕する時が来ました。
自分一人行って後ばかり御心配かけますが。後のことは御願ひします。
天皇陛下 萬歳
大日本帝国 萬歳
明日又我が隊で無線による連絡の任務を自分がすることになりました。
「我(われ)突入す」の最后(後)の無電 (*6)を。
要は必ずやりますよ。
【出典】1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」
【天壤無窮の神勅】国立国会図書館:1944(昭和19)年 増進堂 清原貞雄 「大君います国」
- 【*1】 日本国内のこと
- 【*2】 戦前日本では「親孝行は天皇への忠義につながる」と教えたことから。先祖、祖父母、両親に孝を尽くすことはわれら日本人の本家であり大御親(おおみおや)であらせられる天皇陛下への忠孝につながる、すなわち忠孝一本であるという考えであった。
- 【*3】 たいらのしげもり。正室が藤原氏の娘だったことから平家一門の中でもっとも天皇に近い立場にあったが、他の兄弟と母がちがうことから一門の中では孤立し、若くして没した。
- 【*4】 天照大神より賜った天壤無窮の神勅。「葦原(あしはら)の千五百秋(ちいほ〔お〕あき)の瑞穂(みづほ)の国は是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのみこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾皇孫(いましすめみま)就(いでま)して治(しら)せ、行矣(さきく)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さかえまさん)こと当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きはま)り無(な)かるべし」。これ実に尊厳比べるものなき我が国体の淵源であり、基礎であり、わが天壤無窮の皇運国運の発祥である。
- 【*5】 せんしょう。戦争に勝つこと
- 【*6】 無線報告は四種類あった。1.自己呼名…姓の頭の一字 2.目標呼称…戦艦→セ、航空母艦→コ等々 3.突進開始から連続音…キーを押し続ける 4.連続音が切れた時刻を突入時刻とした。
- 最終更新:2016-05-28 12:28:22