【第四三二振武隊】増淵松男
増淵松男
栃木県立宇都宮高工在学中に茨城県古河航空機乗員養成所に入所、昭和十九年仙台陸軍飛行学校を経て満州第一五三五四部隊力隊入隊、満州第一六六一六部隊寺山隊転属(乙種幹部見習下士官)、十九年兵長、二十年伍長、同年五月二十五日万世より出撃、散華。同日任陸軍少尉(四階級特進)
心のこりはあるものか ─── 家族にあてた私信
父母に最後と思ふ此(こ)の便り
我れに書くこともなし 唯(ただ)御元気で
増淵松男
君が為何か惜しもう我が命
大義に生きる我ぞうれしや
此の世には心残りはあるものか
俺は天下の五男坊
喬君しっかり頼むぞ!
誠心をこめし乙女の酒盛に
我は報ひん一艦轟沈
君が為散るぞ雄々しく花吹雪
当つて砕け咲いて薫らん
会って別れて 別れて会って
共に神特攻隊
想へば君とは古河で同じ滑空班にて共に技を練り、又仙台にて同じ区隊にて苦楽を共にし、平安鎮にて別れ、孫家に切っても切れぬ戦友となり、共に特攻隊に選ばれ、散る時も一緒だね。
では共に頑張らうぞ。
増淵松男
(注)同じ第四三二振武隊員、松本久成伍長のノートに記された遺書。
【出典】1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」
- 最終更新:2016-05-28 12:25:24