【第六筑波隊】藤田暢明

藤田暢明

東京農業大学
神風特別攻撃隊第六筑波隊、昭和二十年五月十四日種子島にて戦死、二十三歳


 遺 書

 本五月十一日、鹿児島の鹿屋基地に転進予定の所天候不良の為十二日に延期され候。さらばと別れし士官舎に帰れば、御両親様よりの親書と、この大戦局の壮厳なる事実の中に「我」を見出したる喜びと併(あわ)せて、将(まさ)に天下一の幸運児なるを痛感致居候(いたしおりそうろう)。筑波以来三ヶ月、苦楽を倶(とも)にせし同期の桜の顔色益々明るく、意自ら通じ明朗且(かつ)天心爛漫 (*1)にて幸福なる一瞬を意義あらしめ居候(おりそうろう)。而(しか)して (*2)議を論ぜず将に淡如水 (*3)、心境如斯(かのごとく)次第に御座候。御両親様、睦重は優しい質素な貞淑なる暢明の妻なる故大事にしてやつて被下度候(くだされたくそうろう)。父上様、母上様、永い間お世話になりました。何時(いつ)迄も何時迄も次の世も亦(また)来る世も父上様、母上様の子にして下さいませ。

では御両親様さやうなら、暢明元気で征きます。藤田家の隆昌と皆様の御幸福をお祈りします。


 
 忠 孝
 昭和二十年五月十一日

  大日本帝国海軍 神風特別攻撃隊筑波隊 第十中隊第二区隊長 海軍少尉 藤田暢明
  身長 一米七二糎 (*4)  体重一八貫九百匁 (*5)  胸囲九七糎


 御両親様



【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
 

  • 最終更新:2015-12-01 09:36:57

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード