【第六十一振武隊】香川俊一
香川俊一
昭和十八年東京陸軍少年飛行兵学校卒、熊谷陸軍飛行学校卒(少飛十五期)、昭和二十年四月二十八日、第六十一振武隊として出撃散華
遺 書
御両親様
御両親様 俊一は今日栄ある陸軍空の特別攻撃隊員に成ることが出来たのも一に御両親のお力によるものであります。今までの親不孝のどうのなんて明日出撃を前にして何にもかも一切のことは打ち忘れ唯々(ただただ)轟沈を祈るのみであります。然(しか)し心の奥に許さないものがあるとみえ一筆取ることに成りました。感慨無量で何にもかも思ったこと、いや思へません。その心をくみ取りください。
嬉しい ─── しかし親、兄弟のことを思ふ時、思はず知らず目がしらがうるみます。一家の皆様、俊一が壮烈体当り空母轟沈したと聞いたら泣かないで喜んで下さるでしょう。其(そ)れを思ひ日の丸の鉢巻締め、愛機にさっと飛び乗り爆弾抱き敵空母目ざして莞爾(かんじ) (*1)として体当り出来ます。本当に迷惑ばかりおかけ致し誠に申し訳ありません。お許し下さい。願ひは只(ただ)其れのみ
親思ふ心に勝る親心
散り征く桜何と見るらん
親戚一同に一々便りを書かうと思ひますが何とて明日出陣です。宜敷(よろし)く御伝言下さい。
陸軍特別攻撃隊
第六十一振武隊
陸軍伍長 香川俊一
久子姉さん
姉さん、俊一は幼なき頃より実に姉さんに迷惑ばかりおかけ致し誠に済みません。何にもお慰め出来ず実に残念であります。しかし、兄弟です。弟が空の特攻隊として空母轟沈したと自慢出来る様最後の最後まで清い心、清い体で立派に散ります。
咲く処、山の中の一山桜に過ぎず、しかし散る処、男の本懐(ほんかい) (*2)之(これ)に過ぎるものなしであります。泣かないで下さい。喜んで下さい。
此(こ)の間、小学校の慰問会に行きました。小学校の先生で丁度(ちょうど)姉さんに生き写しの方が居られました。その方を姉さんにして戴き話をしました時、姉さんを思ひ出して恥かし乍(なが)ら知らず知らずのうちに涙が出て止めることが出来ませんでした。
姉思ふ何にが故にか涙出る
同じ咲きたる山桜故
俊一の最後の姉さんに対する言葉は何時(いつ)何時までもお父さんお母さんを忘れないで親孝行を尽くして下さい。
俊一の分も宜敷くお頼みします。健康と幸福をお祈り致します。
俊一より
久子姉さん
よしゑ姉さん
姉さん いろいろ御世話に成って誠に有難う御座居ました。
明日出撃です。姉さんの弟として恥ない様立派に轟沈致して見せます。
兄弟の仲でも一番喧嘩(けんか)をし又迷惑をかけたのは姉さんです。其れ故今でも懐しい。何にも小々言はないでも自分の心を察して下さるでせう。今迄の如く親孝行を尽して下さい。俊一の分もお願ひします。妹、弟等の面倒も良く見てやって下さい。
一枝の咲かぬ枝がありてこそ
咲く枝あり散る枝あり
妹信子へ
信子 兄さんは兄として何等面倒をみる事も世話することも出来ず唯(ただ)心配や迷惑ばかりかけてすみません。
しかし、之も兄が十七歳にて軍隊に入りし故にと思ってくれ。兄さんは忠義を尽す覚悟だ。直接孝行出来なかった処をお前が尽くしてくれ。
乙女の清い心、清い体を何時何時までも持続せよ。親を忘れ身を忘れがちなる時は、兄さんのことを思ひ出して兄さんを恥ずかしめない様にしてくれ。
兄さんはお前達の幸福なるやう永久に魂と成り守るらん。
政弘、照美、隆さん
兄として何等務(つとめ)を尽さず永久に別れることが残念です。
しかし、兄さんは特別攻撃隊を熱望して其れの一員に選ばれたのは実に嬉しい。お前達の兄さんとしてはずかしからぬ死に方をする覚悟だ。
政弘さん お父さんお母さんに心配をかけない様に一生懸命勉強に或(あるい)はお手伝に励みなさい。政弘さんの総(す)べての行動を何時も見ているぞ。
照美さん もう二年生に成ったんだらう。勉強はどうだ。嫌がらないで一生懸命励みなさい。そしてお父さんお母さんに心配をかけてはいけませんよ。常にお手伝を忘れないで……
隆さん 何時も元気とのこと非常にいい。兄さんや姉さんに無理を言っちゃいけないぞ。兄さんが叱るぞ。大きくなったら飛行機乗りに成るか。何れにせよ兄さんに続け。
兄さんの愛機はハヤテです。
明日出撃のことなれば乱筆乍(なが)らお許し下さい。
【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地都城疾風特攻振武隊」
- 最終更新:2016-04-14 10:20:25