【第六〇振武隊】荒 正彦

荒 正彦

 昭和十八年大津陸軍少年飛行兵学校卒、十九年宇都宮陸軍飛行学校卒(少飛十五期)、第一教育隊飛行隊、錬成隊、明野飛行隊等転属、二十年五月十一日、第六〇振武隊として出撃散華


 (遺筆その一)

拝啓 御無沙汰致しました 御両親様御健かなことゝ存じます 敵機来襲 益々奮起任務に邁進して居ります

過ぎし日のB-29邀撃 (*1)に我らの慈父と仰ぐ隊長倉井少尉殿は多大な戦果を収め最後に体当り敢行壮烈な戦死を遂げられました 我ら一同大空の下必ず後に続き御霊に答へます

「嗚呼(ああ)神鷲は今は無く 我らが倉井の意志を継ぎ壮烈報ゆ皇国を 後に続かん若桜」

梅も近い中(うち)に咲き香ります 残寒の折呉々(くれぐれ)も御身体大切に御健康を祈ります


(注)二十年二月十日敵B-29帝都来襲、倉井隊長が眼前に大戦果を挙げ、壮烈無比な奮闘を眼の当りして書いた便り


 (遺筆その二)

御両親様 二十年の永い間種々お世話になり有難う御座いました 何時(いつ)も御心配ばかりおかけして不孝の段何卒お許し下さい

この度(たび)大命を拝し喜んで只今(ただいま)出発致します 大きな餌物(えもの)がなくて残念でありますが必ず国民の御期待に副ふ様(よう)最後迄頑張ります 兄上の仇も身命を君国に捧げた皇軍の霊の仇もその万分の一と雖(いえど)も討ちます 親類の方 小川様 同級生 村の方々 安井様 羽田(校長)様によろしくお伝言下さい

「今ぞ征く 東天拝し みんなみへ 皇御国(すめらみくに)ぞ 千代に幸あれ」

呉々(くれぐれ)も御身お大切に最後まで頑張って勝利の日章旗を一日も早く掲げるのを祈って居ます

大日本帝国万歳                 敬白


 (遺筆その三)

前略 御両親様御壮健の御事と存じます 正彦至極壮健なれば御休心下さい 遺品は千鶴子姉さんに送って頂きました 呉々も御身体お大切に                 敬白
                      返信不用 以上


 (付)   追 記         正彦父荒五百五記

弱冠二十才に満たぬ比較的健康体質に恵まれぬ彼とて、御指導下さった方々の御配慮と同僚に御交際戴いた皆様に如何ばかりか計り知れない御力尽しを頂いたことが思い出され汗顔の至りに堪えません。

殊(こと)の外(ほか)遠く親元をはなれ、当時の状況として多少なりと公用にたづさわって居たものから、面会に行くことも許されず、家庭的にも昔から封建的に育てられ真実の親兄弟に対する愛に接する機会もなかったことを今更に感じて自責の念にかられて居ります。

本当に親に勝る隊長殿、同僚の皆様の御厚誼御力添えを心から御礼申し上げます。

正彦の兄は十九年三月二十日、サイパン島の海岬から山林の本隊への伝令勤務中、敵機銃弾の為、倒れ陛下の万才と上長官の名を呼び乍(なが)ら壮烈な戦死をしたとの事最近三十メートルの近距離の壕中から奇しくも生還した戦友からの知らせで分明。

正彦も兄は硫黄島で玉砕したものと想像して居ったわけです。彼等の母(私の老妻)も去年七月十八日朝、心臓病が原因で七十九才で他界致しましたが男の子が夫々(それぞれ)死所を得ましたことを知り満足して少しの苦しみもなく微笑さえ浮べて大往生でした。何れ様からも大変惜しまれて本当に感謝して居ります。

兄、男の子がなく娘は他家に嫁し、後嗣(あとつぎ)のないのが先代に対して申訳(もうしわけ)ないものの、宿命とあきらめて今は娘の嫁ぎ先の孫の家に合居して居り、今年三月私は八十五才を超え八十六才の域に突入、娘や孫たち ひこだちの相手で賑って居ります。



【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」
          

  • 最終更新:2016-05-25 13:48:38

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