【第六〇振武隊】堀元官一
堀元官一
昭和十八年大津陸軍少年飛行兵学校卒、卒業時航空総監賞(懐中時計)を授与される。十九年宇都宮陸軍飛行学校卒(少飛十五期)、兵庫県加古川教育隊転属後、昭和二十年五月十一日、第六〇振武隊として出撃散華
皆様元気で暮らして居られる事と思ひます。
降って小生至極壮健にて 目前に迫りし出発命令を待って居ります。現在(五月四日)四時五十分、後丁度一時間、まだ飛行場は薄暗い。整備員は故障の無き様(よう)発動キ機体各所を入念に点検して居る。愈々(いよいよ)来るべき日は遂に僅か一時間に迫った 唯(ただ)必沈の誓あるのみ。
緊張した顔がにこにこ笑って居る。どうして之(これ)が死を目前に向ゑ(え)ての態度とは思はれず 小生も勉めて斯(か)く努む。
本日八時より九時の間に於て昇天す。一足先に若干の遺品御送り致しました(三津駅)故、受取り下さい。
重々の不孝遺憾 (*1)ともなし難し、最後に花を咲かせむ決意なり。今部隊より東の森本正忠様より手紙を戴いた。
利枝は学校を受験したが不合格の由、残念な事と思ふ。気を落さず益々努力すべきだと思ふ。
後三時間の命。一家の健闘を祈って止(や)まず。
何事も「何糞」の精神 即「ねばり」なり。勿論(もちろん)「誠」ある行動も同じ。天地神明に恥ぢざると思はゞ他人が何と言ふも相手にせぬ方がまし。「人を相手にせず天を相手にせよ」とは古人も教ゑたり。
呉の兄には何の便りも出さず多分壮健にて働いて居ると思ふが然(しか)し元々弱き方の兄若干心底に残るもの有り。富夫、朝子は一生懸命勉強して居りますか。
今の中(うち)に充分勉む様暮々(くれぐれ)も言ひ聞されたし。此の晴の出陣姿を両親に一目見せたき気持もすれど私欲に過ぎず、遠地よりわざわざ苦労して来てもらうも今となりては不孝の一片となる。
今更思ひ残る事はなし。必ず立派に他の人々に恥しくない行動をし又暮らして行く事を小生は堅く信じて止まず。
ではもう時間です。ぼつぼつ始動開始しました。
さようなら。
官一より
御両親様
選ばれて沖縄島の天かける
若鷲なれば莞爾 (*2)と散らむ
(付) 前便を託された警備兵大谷三郎氏の添文
拝啓
新緑の候と相成りました 御貴家様には益々御健勝にてお暮しの事と存じます
此の度、官一様は特攻隊として沖縄に勇ましく出陣いたしました 小生は日々官一様の愛機を整備していた者です 同封の書翰は官一様に最後の手紙だから出してくれと頼まれた次第です 小生らも日夜官一様と死生苦楽を共にして参りました 御貴家様にも一度官一様の晴の出陣を見て戴きたかったです
余りながくなりました乱筆ですがお知らせまで
宮崎県北諸県郡山之口村
西部第一八九七六部隊
大谷三郎
官一様のお父様へ
【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」
- 最終更新:2016-05-25 13:51:24