【第五筑波隊】西田高光
西田高光
大分師範学校
神風特別攻撃隊第五筑波隊隊長、昭和二十年五月十一日南西諸島にて戦死 二十三歳
進出命令下る
四月二十五日 (昭和二十年)
愈々(いよいよ)出撃も餘(余)す二三日だらう。明日より菊水四号作戦あり。一号より三号まで多大なる戦果と共に、数多(あまた)の戦友は散華した。
ひとヽせをかへり見ずればなき友の
数へ難くもなりにけるかな
四号作戦終れば、愈々俺の中隊突入の番だ。最後まで自重せん。沖縄は断じて敵にゆづらず。生命もいらず、名誉も地位もいらず、只(ただ)必中あるのみ。深山(みやま)のさくらの如く、人知れず咲き、散るべき時に潔よく散る。何の雑念も含まず。
夜十時、進出命令下る。
四月二十六日
〇五〇〇 (*1)起床、進出準備完成。
〇八〇〇より司令、飛行長、その他上官方より送別会をして頂く。
十一時頃ダグラスにて九州に向け出発。地圖(図)を見比べ、空より飛び去る祖国に訣別す。再び見る事なき祖国の島々、またなつかしく、うるはしき佐田岬を経て佐賀の關(関)の煙突を望む。なつかしき故郷の一角だ (*2)。着きて富高の地、この土の連なる所に故郷の父母、兄弟、恩師、教へ子、友あるを想ひ、亦(また)なつかしさひとしほなり。最後の壮挙に征かんとして見る九州の緑、ふるさとの山河、幼き日の思ひ出が次々と浮んで来る。
この土のつらなる果てに母ありて
明日の壮挙の成るを祈るらん
暗い防空壕の中で爆弾の音を聞きながら ─── 。必らず命中する。生涯の総力をかけて、今こそ二十三年の生けるしるしを示すのだ。我が五体極めて壮健なるをよろこぶ。
弟へ
久光、あとは賴(頼)むぞ。続く弟多くして兄は幸福だ。莞爾(かんじ) (*3)として断乎(だんこ)やる。良勝、實(実)達の面倒を見て立派な日本人として共に進め。
久光は随分叱ったな。兄として何も兄らしい事もせず、俺は心苦しい感がする。せめて一度ぐらひ酒でも間に置いて話がしたかった。お前はいヽ人間だ。随分叱りいぢめたが、それもお前のためにと思ってな、枕元にパイ罐(パインアップルの罐詰)がある、お前にやりたいが……。
男らしい男になれよ、俺の分も孝行してくれ、たのむ。
では元気で。
健康は生きるためにも死ぬるためにも絶対に必要だ。
五月一日
朝より梅雨の如き雨なり、夜ビール十本入手、大いに飲みて歌へば空晴れて星出づ。明日は出撃のことならん。
吾(われ)今日も生あり、明日の必中にこそ捧げん。
訣別の歌
云(い)ふ勿(なか)れ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
海原のはろけき果てに
熱き血を捧ぐる者の大いなる胸を叩けよ
満月を盃(さかずき)に碎(砕)きて暫(しば)したヾ醉(酔)ひて勢へよ
吾等(われら)征く沖縄の空
君も亦(また)これに続け
この夕べ相(あい)離れまた生死相へだつとも
何時(いつ)の日にかまた萬(万)朶(ばんだ) (*4)の櫻(桜)を共に見ん
云ふ勿れ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
空と水うつところ
悠々として雲は行き
雲は行けるを
五月三日
雲量一〇、愈々(いよいよ)沖縄の最後的決戦、即ち菊水五号作戦は明日を以て開始さる。夜、後続特攻来たる、八時頃コンソリ (*5)の奇襲を受く。飛行機炎上数機、人員数名死傷、夜より愈々決戦の火蓋切らる。一夜中爆音、陸続として特攻機沖縄に向ふ。
菊水五号作戦第一日、〇二〇〇頃より開始。夜明けに数十機の特攻機出撃す。爆装 (*6)戦闘機隊、櫻花隊、彗星艦爆隊、他隊より征空隊陸続として出撃、陸軍も同様、大特攻隊は沖縄周辺の艦船に突入す。
吾等が目標の敵機動部隊は石垣島、宮古島附近南下中のため、攻撃命令下らず。ただあの友この友を失ひつヽ、悲憤今日も亦(また)生き延ぶ。
五月五日 端午の節句 ◎矢車も南を指して廻ってる ◎鯉登り貴様も南に向いてるか
飛行場周辺焦土なるも五月晴れ、初夏の風薰しく、畑に麦延び、田の面に水満つ。吾等が鯉、世紀の大爆布に時を得て殉忠の天に登りて下らず。一一〇〇味方索敵機「彩雲」より空母を含む敵機動部隊ありの入電あり。吾等二時間待機なりし為(ため)、今や今やと出撃の命を待つも遂に下らず。今日も亦暮れる。日常寸前に出撃の命を豫(予)想さるヽ生活、只(ただ)今日も暮るヽこそ惜しきも、無為に過してならぬ一日。
五月六日
一一〇〇より三時間待機。索敵機「彩雲」はその総力をあげて敵機動部隊を索敵中なるも未(いま)だ確証を得ず、為に午後決戦の寸暇を利用し、司令、通信長、作戦主任以下搭乗員全員の運動会開催、
一九〇〇待機解除となる。俺は随分永生きしたものだと思ふ。当基地に馳参(はせさんじ)、次の日には必中攻撃決行の所、情報が遅れ、次に雨天、次には遂に機動部隊は遁走し、今日で十日目になったやうだ。その間、他の特攻隊は数次に亘(わた)り決行され、僅(わず)か十日にして既に歸(帰)らざる友は数へ難くなった。吾等が敵は動き廻る機動部隊なる故(ゆえ)、最も至難なる攻撃にして今迄も成功を見ずして歸(帰)らざる者も少なからず、吾等この攻撃に選ばれ、新鋭艦上戦闘機五二型に五〇〇瓲(トン)の爆弾とロケットを装備す。その任極めて重く、吾(われ)犬死すれば続く列機 (*7)にもその死所をあたへ得ざりし隊長となる事こそ 訳(わけ)なし、只々(ただただ)必中こそ吾等が生涯の総(すべ)てなり。夜、隊員八名総員鶏のすき焼に酒を飲む。たのしかりき。
五月八日
本日曇後小雨
「彩雲」は今日は索敵飛行に出ず。ために本日は待機なし。明朝までは生命に別状なしか、ゆっくり鋭気を養ふことにする。
今日知れぬ生命なりける吾々に
止む日とあせるも亦うれしかり
午後魚釣り、アブラメ三匹が一時間の戦果なり。和毛川のやうに釣れない。
夜ビールを飲みて明日への鋭気を養ふ、楽しき一日なりき。
終日彩雲は征き征くも、敵機動部隊未だ北上せざるか遂に発見するを得ず。
五月七日
シーラスに低気圧の来襲を知る、〇八〇〇より三時間待機なり。二時間待機、三時間待機とは、攻撃命令受領より発進迄二時間、三時間の餘(余)裕あるを云ふ。但し敵の所在を知り二時間、三時間の餘裕あると云ふも愛機の諸準備、航法計畫(画)、列機の面倒を見、また規約記号、天象地象の研究等、只に必中と云ふも至難にして、大死するに斯(か)くも忙しく難きは搭乗員ならでは知る由(よし)もなし (*8)。怜悧にして明快、果断にして率先、計畫的頭脳、統率的才能なくしては出来得ず、只不断の努力研究こそ良くそれを為(な)し得る只一つの方法なり。
〇八〇〇より何時(いつ)出撃必中の命下るやを待ちながら平素通り実に皆、純真明朗、快として只々必中を念じ、その努力をなしつヽ暇さへあれば野球、ドミノ、將(将)棋、歌、食、寢(寝)、実に寸前に必死必中の命を待つ者とも思はれず。又(また)そんな考へは毛頭ない。只大命一下それ、やるぞ、只それ丈(だけ)、なるが故に生のよろこびを満喫するかの如く、無邪気な生活、すべての慾(欲)も未練も既に他界の事かと思はれる程あっさりしてゐる。日々の中にもやはり人間か、親の事は一日一回くらひは思ひ出される。
吾(わ)が神雷隊の養ひ児に父母なき瀬戸口昭男と云ふ十一歳の子供あり。隊に寝泊り、敵来たらば一緒に壕に入る、算数の頭不良なるも、畫(画)非常に上手なり。良く話し着のみ着のまヽなるも、兵隊と共に風呂に入れ、人気者で可愛らし。通称神雷モンキーと云ふ。
五月九日
天候快晴、二時間待機。
午後、大崎町より、慰問文と共に鶏八十五羽と卵三千箇(個)を吾等特攻隊に下さる。有難き極み。都市の人情いさヽかすたれたるを嘆き居(おり)たりしに、農村僻地に純粋なる皇道保たれゐたるを眼前にし、何をかせざれば已(や)まざる決戦意識の溢れる顏(顔)々と相語り、明朗敢闘、益々必中の意気旺(さか)んなり。
五月十日
一六〇〇、特攻隊員整列。
明早朝を期し、吾(わ)が隊にも待望の攻撃命令下る。第一線鹿屋基地に来て旬日(じゅんじつ) (*9)餘(余)、着のみ着のまヽシラミもゐさうな感じがする。機動部隊ついに慶良間周辺より近寄れず、攻撃の機なし。よし来たらざれば吾等征く。
洋上航行四時間、憤眼を見開き必らずや命中せん。午後六時より飛行場に飛行機の試運転に行く。調子良好なり。終って暗い飛行場の端を通って歸(帰)る。シーラスが夜行雲の如く魚鱗の如く、南北に走る。風は北西、明日は立派な天気だ。五月十一日 ─── 暗い道の中で自分の年を数へて見た。今年の四月一日二十三才となってゐる。何時(いつ)俺は息をしたか、明日も入れて俺は二十三年と四十二日となる。永いやうで実に短かかったやうに思ふ。將(将)(まさ)に夢の如く幼き昔の事共もちらほら思ひ出されて来る。両親兄弟の顏(顔)、そして知ってゐる人々総(すべ)ての顏(顔)を思ひ浮かべたが、だれも笑顔のみ思ひ出される。昨夜、自分の歩いてゐる道の前に七匹の蛇の子がゐる夢を見た。三匹は近づいたら逃げたが、四匹はのろのろしてゐて逃げない。ある人にきいたら蛇の夢は一番よいと云ふ。この日に明日の事を聞き、空母七隻の機動部隊に攻撃命令下るとは夢もまんざら嘘ではない。必らず命中疑ひなし。
燃ゆる殉忠の血潮、撃滅の闘志、必中の確信、日本男児として誰にも劣らざる気概はある。而(しか)し人間としての弱さか、生の不可思議、死の不可思議、それは未解のまヽ残ってゐる。而しそれは悩みとか、未練とか云ふ意味ではない、軍人としてこの機を頂き、よろこびに耐へざるものだが、今俺は死して良いのかとも思ふ、否(いな)、今死んでもよい開戦の当初に引返す戦機を作るのだ。今こそ征かざれば征く時なし。考ふれば明日どうもこの体が木葉微塵(こっぱみじん)になるとは思はれない。而し生き延びたものだ。今日迄も。今まで大空の防人(さきもり)として召されてより、死中に活を求むる実践的猛訓練に幾度か死に直面し命びろひをした事だらう。常に「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」の歌を心中に持ちつヾけ幸ひ今日まで斯(か)くも壮健なりし。
今日の機を得ずして死して逝った多くの友を思ひ、今こそこの壮挙に参加し得る自分の幸福を満喫し、必らず二十三年の生涯の生けるしるしをこめ、総力を盡(尽)くして皇国のため必らず命中最後の御奉公を致さん。二〇〇瓲(トン)爆弾に国民の憤激をこめて、血と汗でなれる愛機諸共(もろとも)敵を太平洋の海底深く葬り去らん。
昭和二十年五月十一日午前九時三〇分前後、皇国の一臣高光、総てのものに感謝しつヽ別れを告げん。明朝は三時半起し。つきぬ名残りもなしとせざるも明日の必中のために寢(寝)る。只皇国の必勝を信じ、皇国民の一層の健闘と幸福を祈りつヽ。
お父さん
お母さん
兄弟
そして教へ子
その他の人々、さらば。
神雷爆撃戦闘隊
筑波隊一隊長 西田中尉
五月十一日の朝は来た
今より五時間後は必中する
総(す)べての人よさらば
後をたのむ
お父さんお母さん
征って参ります。
一生の最後の書
最後を見送ってくれた人
作家 山岡莊八氏
大空に雲は行き雲は流れり
星は永遠に輝き
久遠(くおん) (*10)にきらめく 空 空
【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
- 最終更新:2015-11-30 06:55:17