【第五昭和隊】市島保男

市島保男

早稲田大学
神風特別攻撃隊第五昭和隊、昭和二十年四月二十九日沖縄東南海上にて戦死、二十三歳


我が選びし道なれば

 昭和十八年十月十五日(金)晴

 十時半から学校で壮行会を催してくれた。戸塚球場に全校生徒集合し、総長は烈々たる辞を吐き我らも覚悟を強固にす。

  
  なつかしの早稲田の杜よ。

  白雲に聳(そび)ゆる時計塔よ。いざさらば!


 我ら銃を執り祖国の急に身を殉ぜん。我ら光栄に充てるもの、その名を学生兵。いざ征かん国の鎮めとなりて。記念碑に行進を起すや在校生や町の人々が旗をふりながら萬歳を絶叫して押し寄せてくる。長い間、心から親しんだ人達だ。一片の追従や興奮でない誠実さが身に沁みて嬉しい。思はず胸にこみ上げてくるものがある。図書館の蔦の葉も感激に震へてゐるやうだ。静寂なる図書館よ。汝の姿再び見る日あるやなしや。総長のジッと見送って呉(く)れたあの慈眼、佐藤教授の赤くなった眼印象深い光景であった。学半ばにして行く我等(われら)の前には、感傷よりも偉大な現実が存するのみだ。この現実を踏破してこそ生命は躍如するのだ。我は、戦に! 建設の戦ひに! 解放の戦ひに! 学生兵は行く! いざさらば、母校よ、教師よ!


 昭和十八年十月十九日(火)晴

 航空部の壮行会が五時から雅叙園で開かれた。六時過ぎても中々集らない。この部は理工科系統が多いので大局に影響がない (*1)。益々(ますます)発展せんことを祈る。隣りでもH大の連中が騒いでゐた。僕らも騒ぎ騒がれたが心から楽しく騒げなかった。出る者より残る者の方が楽しさうに騒いだ。勿論(もちろん)、行を壮んにする気だろうが何かしら空虚な気持がした。今、時此処(ここ)に至っては吾(われ)らが御楯となるのは当然である。悲壮も興奮もない。若さと情熱を潜め己れの姿を視(み)つめ、古の若武者が香を焚き出陣したやうに心静かに行きたい。征く者の気持は皆さうである。周囲が余り騒ぎすぎる。来るべき事が当然来たまでの事であるのに。


 昭和十八年十二月十六日(木)雨

 入団一週間、家の事を思ひ出すと堪(たま)らなく寂しくなり、あヽ何故もつと孝行し、弟妹の面倒を見なかったかと激しい後悔の念に襲はれる。然(しか)し、これは総(すべ)て自分の事なのだ。ただ、家族の健康を祈り、己れは誠を尽して一水兵に徹せねばならないのだ。強く男らしく最も完全なる海軍々人となる事こそ、自分に与へられた只(ただ)一つの道である。己れは虚しくして萬事に当らん。只皆の健康を祈るのみ。神我と偕(とも)にあらん事を。

  汝の信仰汝を救へり、己の心を治むる者は城を攻め取る者に勝る。

 訓練中みぞれ降り座学を行ふ。午後は口達伝令の教練室内にて行ふ。


 昭和十九年四月二十一日

 午後、試験飛行。

 エプロンに出てゐる我が愛機(ヤ-四〇六)も整備員がドンピシャリにしてをり泣かされる。七、四〇最初にして最後の試験飛行を行ふ。高度二〇〇〇、巡航諸元良、愈々(いよいよ)戦闘機乗りとして最後の特殊飛行を土浦上空にて縦横無尽に行ふ。視界は稍(やや)良、久しぶりなれども頗る快適なり。機上より懐しき人々に最後の別れを告げる。


 四月二十三日 (*2)

 明日出撃になるかも知れぬ故(ゆえ)に田舎道をブラツキながらバス (*3)に行く。

 我が廿五年 (*4)の人生も愈々最後が近付いたのだが、自分が明日死んで行く者のやうな感がせぬ。今や南国の果(はて)に来たり、明日は激烈なる対空砲火を冒し、又(また)戦闘機の目を眩ましつヽ敵艦に突入するのだと思へない。

 畦道(あぜみち)を手拭(てぬぐい)を下げて彷徨(さまよ)ふと、あたりは虫のすだく声、蛙のなく声に包まれ、幼き頃の思ひ出が湧然と生じ来る。れんげの花が月光に浮き出て実に美しい。川崎の初夏の様子とすっかり似てをり、一家揃って散歩した事などが懐しい。室に帰ると電燈がないので、パイ罐 (*5)に油をそヽいで燃してをり、焔の一つ一つの影をユラユラと壁に映してゐる。実に静かな夜である。

 マスコットを抱きつヽ………


れんげ2_300.jpg


 四月二十四日

 只(ただ)命を待つだけの軽い気持である。

 隣の室で「誰か故郷を思はざる」をオルガンで弾いてゐる者がある。平和な南国の雰囲気である。徒然なるまヽにれんげ摘みに出掛けたが、今は捧げる人もなし。梨の花と共に包み僅かに思ひ出を偲(しの)ぶ。夕闇の中をバスに行く。

 隣りの室では酒を飲んで騒いでゐるが、それも又よし。俺は死する迄静かな気持でゐたい。人間は死する迄精進しつヾけるべきだ。まして大和魂を代表する我々特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後迄堅持したい。私は自己の人生は人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んで来たと信じてゐる。精神も肉体も父母から受けた儘(まま)で美しく生き抜けたのは、神の大なる愛と私を囲んでゐた人々の美しい愛情のお蔭(かげ)であつた。今限りなく美しい祖国に、我が清き生命を捧げ得る事に大きな誇りと喜びを感ずる。


【誰か故郷を思はざる 霧島昇】


【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」

  • 最終更新:2015-12-01 10:25:44

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