【第五八振武隊】宮尾克彦

宮尾克彦

昭和十七年近衛歩兵第一連隊入営、前橋予備士官学校卒、歩兵第四連隊補充隊、十八年大刀洗陸軍飛行隊、十九年満洲錦州第二六教育飛行隊、明野陸軍教育飛行隊等転属、昭和二十年五月二十五日、第五八振武隊として出撃散華


 (遺筆その一) 「出撃前最終日記」

某日 午後隊長学課あり 過日作れる隊歌詩 次の如し

一、見よや悠久三千年
  世界に誇る皇国の
  今興廃に一億が
  心魂尽す決戦に
  栄(はえ)ある使命負ひ持ちて
  今羽搏(はばた)ける五八振武隊

二、大空かけし友達の
  南の空に又北に
  既に散りにし雄魂を
  偲(しの)べば燃ゆる熱血に
  防人御楯の伝統を
  心に誓へる五八振武隊

三、新緑はゆる関東の
  青空高く今日も又
  必死必殺舞ひ上る
  敵の心を筑波嶺と
  精鋭こぞる特攻の
  悠久大義五八振武隊

四、目ざすは敵の空母陣
  愛機疾風のその尾部に
  髑髏(どくろ)画(えが)きしその心
  壮烈十二機体当り
  藻屑と屠(ほふ)るエセックス
  あゝ吾等(われら) 五八振武隊


五月十二日 昨夜来雨激シ 為ニ本日休務トス 約半数外泊ニ出テタリ 既ニ家、疎開ノ後ナレバ行クヘキ処モナシ 午後隊長等ト映画館ニ出ツ 浜松時代一度見タル寛寿郎ノ右門捕物映画「幻の影」興味ナシ

五月二十一日 天候依然回復セズ中国九州方面ヲ蔽(オオ)ヘル低気圧アリ 内海方面雨ニシテ雲高四〇〇程度ナリ 午後若干回復ノ見込ナリシモ依然微雨アリ 鈴鹿夕刻ニ至リ 山容ヲ表ハス 明日ハ出発シ得ヘシ 既ニ十八日北伊勢到着以来三晩ヲ経タリ

五月二十二日 午前出発ノ予定ニシテ準備ヲナセルモ実況並ニ天気図ニ依ル判決ハ尚飛行困難ナリ 暖材運転実施セルモ終(ツ)ヒニ出発延期トナル 何ゾ天候ニ恵マレサルコト甚(ハナハダ)シキ 単ナル航法ニアルナレバ知ラス 目前ニ任務達成ノ重大責務ヲ見乍(ナガ)ラ隊主力ニ追及シ得ス 焦ルハ不可ナリト雖(イエド)モ落着カサル事已(ヤ)ムヲ得サルベシ

五月二十三日 昨夜津ニ出テ今朝帰隊ス 天候漸ク回復ノ様子ナリ 出発ニ決定 北川中尉、高田少尉ト三機ニテ一〇・一五分北伊セ発 防府ニ向フ 大阪迄完全ナル雲上飛行 岩国ヨリ徳山間 気流極メテ悪シ 到着スルヤ午後直チニ都城ニ転スヘキ命アリタルヲ聞ク 私物整理 信州ニ発送準備ス 本日記モ本日ヲ以テ之(コレ)ヲ閉ヂ家ニ送ル


 (遺筆その二) 絶 筆

攻撃は目前なり。今は只(ただ)轟沈
而(そ)して悠久の大義に生くる在るのみなり。
皇国の隆昌を信じて死す。
父母の健康を祈る。



【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」

  • 最終更新:2016-05-25 14:22:55

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