【第五八振武隊】国吉秀俊
国吉秀俊
昭和十六年熊谷陸軍飛行学校卒、宇都宮陸軍飛行学校(半谷隊)入校、十七年卒業(少飛九期)後、二十年五月二十五日、第五八振武隊として出撃散華
(遺筆その一) 遺 書
陸軍特別攻撃隊振武隊
陸軍々曹 国吉秀俊
此(こ)の度(た)び特別攻撃隊員を命ぜられました 武人最高至上の幸福です
明野飛行部隊を出発に際し大貫大尉殿より敵艦に突撃の心境は我々空中勤務者の明朗性にありと訓されました
笑って散ってゆきます お母さんも泣かずに喜んで下さい 生前の不孝は幾重にもお詫び申上げます
特に昨年秋は私の不注意に依り愛機を大破し 其(そ)の上母上にも御心配をおかけ申し申訳(もうしわ)けありませんでした 其の後の秀俊の心中御推察下さい
この度びのお召(めし)に依り漸く幾分なりとはいへ肩の重荷を降した様(よう)な感じが致します この上は只(ただ)成功を期するため最後迄全力を尽し訓練を重ねてゆく覚悟です
日本男子として誰(だ)れにも負けない行動をとります故秀俊の事は御心配なき様お願ひ致します
俊子の事は呉々(くれぐれ)も宜敷(よろし)くおねがひ致します 現在まで少しも兄らしき事も出来ず 俊子も本当に淋しく思ってゐた事でせう 誰れにも劣らぬ程妹の事は心配した兄ですが 軍籍に身を置いてより何もしてやれず残念ですが俊子もこの度びの事で満足してくれるでせう
恩師山本、吉永両先生にはくれぐれも宜敷くおつたへ下さい
現在迄道を誤らぬ様常に御指導下された伯母様の御恩には深く感謝致してゐます
ではお母さん
左様なら
君が代を寿(ことほ)きまつりわれゆかん
死での旅ぢハ米きもろとも
(遺筆その二) 絶 筆
仇敵米艦侵沖縄 青年愛機化爆弾
烈風壁迫敵空母 嗚呼髑髏振武隊
昭和二十年五月二十三日
第五八振武隊 陸軍々曹 国吉秀俊
大義殉皇
昭和二十年五月二十三日 於防府飛行場
第五八振武隊 陸軍々曹 国吉秀俊
【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」
- 最終更新:2016-05-25 14:25:16