【第五九振武隊】大竹俍一

大竹俍一

昭和十八年十月特操(特別操縦見習士官)として熊谷陸軍飛行学校入校(特操一期)十九年第一教育飛行隊入隊、第一遠征飛行隊入隊、明野教導飛行師団司令部付、二十年五月二十八日、第五九振武隊として出撃散華


 (遺筆その一)昭和二十年五月二十五日消印

冠省 私は青葉の勢ひこの気持なり

遠路の御来隊を謝す 兄弟の御愛情心より感謝す

皆様の熱誠こもる声援により

必ず重任を達成し得る信念を以って征けます

心中力強き限りなり

皆様何時(いつ)何時までも御元気で


 (遺筆その二)昭和二十年五月二十六日消印

断じて征きます。皆様さようならさようなら!! 決して忘れ難き竹葉本店にて最后(後)を送り得たる事は誠に幸福でした。父母に勝る御愛情何と云って御礼申してよいやらわかりません。必ず御礼状を出して下さい。永久に交際を続けて下さい。本当に御厚情の程、兄弟にも優るものあり 誠の人です 何か追憶の記に小生の御恩返しの人を記しあり 必ず礼状を出して下さい 

人生別離あり恩愛を知る 誠なるかな。 これによって章之は永久に生き得るなり
御世話になった人は決して忘れぬ様(よう)交際して下さい。

 (付)
 
 前文の竹葉本店は当時特攻隊員宿舎でした。その竹葉本店の女中さんと思われる河野ヨシノ様より大竹少尉留守宅に寄せられた一文を以下に御紹介します。


前文御免下さいませ
大竹章之様の御家内様へ申上げます 去年弟様より御兄弟御様子おたづねの御便り参りましたのに家もやけまして何やかととりまぎれお知せ致すもみな様の御かなしみ遠察致し取るペンも重くもう御承知かとわ思ひますが五月二十八日夕方六時を御戦死のじこくとご承知下さいませ

毎月の御日には、さゝやか乍(なが)ら御供養申上げて居ます もうすぐ御命日も参ります 最後まで笑って散った大竹様 心ゆくまで御供養して上げて下さいませ

隊名にて御身まわりの品御送りになりましたが御受取られましたか 近いところならばすぐにでもまいり色々と話たい事ばかりですが、遠くはなれて思ふにまかせず、又折を見てくわしく御便り差上げます

もったいないこと乍ら〇(不明)と思ひ大竹様の御命日を近くむかへるにあたり、かなしみは同じ故郷のみな様へお便りかきました

では又、お元気におくらし下さいませ
                          ヨシ

 (注)大竹章之とは大竹少尉の呼名です


【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」

  • 最終更新:2016-05-28 12:38:15

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