【第五七振武隊】高埜 徳

高埜 徳

熊谷陸軍飛行学校卒(少飛十四期)、昭和二十年五月二十五日、第五七振武隊として出撃散華


 (遺筆その一)

謹啓 御両親様 永い間御世話になりました。徳儀愈々(いよいよ)晴の任務に向ひます。今迄何一つとして御安神 (*1)乞ふ事が出来ず誠に申訳(もうしわけ)ありません。御許し下さい。

御両親様の慈愛深き御恩絶対忘れません。此(こ)の名誉ある大任必ず完遂致します。御安神下さい。御両親様、呉々(くれぐれ)もお体を大切にせられます様(よう)、御健康を御祈り致します。兄上様姉上様近所の皆様にも宜敷(よろし)くお願い致します。

   昭和二十年五月二十日                 敬具

 御両親様


 (遺筆その二)

愈々出発となりました。御両親様永い間御世話になりました。何一つ御安神願ふ事の出来なかった事が申訳ありません。任務必達に依って御礼致したいと思ひます。俺の様な者何一つ遺す物もありませんが今迄身につけて居った物をお送り致します。下館の堺屋旅館で下館に居る間御厄介になりました。子と同じに可愛がってもらいました。小包も旅館より送ってもらっておるはずです。

邦雄も文子も早く一人前になってお役に立つ者になってくれ。

父母上様有難うございました。呉々も御健康に注意してお暮し下さい。

兄上、姉上様にも宜敷(よろしく) 近所の方々にも宜敷く 


 (遺筆その三)

謹啓 愈々出撃の日が参りました。沖縄の決戦正に皇国の興廃の岐路に有る時其(そ)の重大責務を担ひて然(しか)も新鋭「疾風」を駆って出発致します。唯(ただ)念ずるは任務完遂敵艦撃滅の外(ほか)ありません。此の栄誉此の上も無い特別攻撃隊の一隊となる事の出来ました事は実に御両親様始め東校入校以来お世話になりました諸上司の方々の御蔭(おかげ)であります。心より深く感謝致して居ります。今日は非常に良い日本晴です。私の心気共に此の天気同様すがすがしい気持です。任務は必ず達成致します御安神下さい。では乱文にて

御両親様の御健康をお祈り致します。
                          敬具

 御両親様        



【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」

  • 最終更新:2016-05-25 14:07:29

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