【第五七振武隊】戸沢吾郎
戸沢吾郎
昭和十九年大刀洗陸軍飛行学校卒(特操一期)、二十年五月二十五日、第五七振武隊として出撃散華
(遺筆その一) 道 程
一八・八・一〇 秋田陸軍病院ニ於テ特別操縦見習士官採用試験(第一次)アリ
〃 ・九・一〇 東京九段軍人会館ニ於テ第二次試験施行 同日採用決定
〃 ・十・一 大刀洗陸軍飛行学校入校
〃 ・一二・一一 中練初軍独
※ 大元帥陛下ヨリ特別操縦見習士官ニ対シテ御沙汰書賜ル 徳川侍従ヲ遣ハサル
一九・三・二〇 大刀洗陸軍飛行学校卒業式
同夜米川、加賀谷、長沢、佐藤、斉藤ノ諸官ト訣別ノ宴
〃 ・三・二一 太宰府ニ菅公ヲ偲(シノ)ビ博多ニ一泊
〃 ・三・二二 別府ニ訪フ
〃 ・三・二四 別府発 久留米泊
〃 ・三・二六 甘木発 門司ニ向フ
〃 ・三・二七 釜山着
〃 ・四・二 北支石門着
〃 ・五・三〇 米機P51二機、我ガ飛行場ヲ銃撃ス
〃 ・八・二 明野飛行部隊ニ転属ノ命ヲ拝ス 午前五時部隊出発 北平 (*1)泊
〃 ・八・三 北平発 十五時山開関通過
〃 ・八・四 十五時安東通過
〃 ・八・五 七・三〇分釜山着十九時下関着 一泊
〃 ・八・七 十五時半明野着
〃 ・九・三〇 三重県鈴鹿郡川崎村北伊勢飛行隊ニ移動(三式戦)
〃 ・一〇・一 少尉任官
〃 ・一〇・三一 静岡県磐田郡袖浦村天竜飛行隊ニ移動(九七戦 一式戦)
※ 僚友特攻隊進発
※ B29ノ来襲頻繁 邀撃 (*2)
〃 ・一二・七 福井県坂井郡三国飛行場ニ九七戦空輸
〃 ・一二・一四 三国飛行場ヨリ帰隊
〃 ・一二・三〇 再ビ鈴鹿郡川崎村北伊勢飛行場ニ移動 四式戦
二〇・一・一 二十三ニシテ始メテ股肱ノ臣 (*3)タル本分ヲツクスベキ道ノ明示サレタルヲ憶フ
〃 ・三・三〇 第五七振武隊付ヲ命ゼラル
〃 ・四・六 皇大両神宮参詣
〃 ・四・八 茨城県下館飛行場
〃 ・四・一二 上京 宮城 (*4)参拝
〃 ・五・一七 下館発 天候悪ク明野不時着
〃 ・五・一八 防府飛行場着陸
(遺筆その二) 手 記
いよいよ祖国をたつと聞いて米川、加賀谷、斉藤諸氏の親たち遥々(はるばる)東北の隅から 出陣の我子にせめてくにの味をと故郷の自(おの)が手でつくりあげた米や味噌を担って馳けて来たその愛情こまやかな親の姿にふれても
たらちねの親亡きものの征く姿
いざよふ波より知る人もなき
春雨にけむる西海を一路大陸へ
八潮路 (*9)の中かくれましける
西海の磯に押し寄す波風を
くだきてかへすそこつ岩ね (*10)は
ふと隠岐の事思ひ出され 探れども島は見えねども 後鳥羽上皇の御事 (*11)も偲(しの)ばれて
西海の荒き潮風しづまれば
今宵は寝ませ隠岐の島守
─── 一九・三・二七 ──
のぼ野 (*12)の歴史をしのびて
大やまと秋津島根の岩城も 秋ともなれば緑なす 鈴鹿の山のつたかづら 色づきにけり紫に 深山なる入道獄の峯々は 飛び交ふ雲のさむしろに はやはつ冬の萌しありぬばたまの夜もあけて茜さす朝になれば 麓なる能保野が原に早乙女は 玉露わけてみくさかる
おちこちの草の庵の灯(トモシビ)の隙もる夕(ユウベ)になりぬれど道問ふ吾(ワレ)に面(オモ)上げて指さす方はほのぼのと暗しなれど 山の峡(カヒ)深く結べる切妻の 庵の軒に立つ煙 飯炊く煙にやありぬらん消えもやらでたなびきぬ
その昔倭武の日の御子の 能保野の原に病み給ひ 国しぬばれて歌ひける
大和は国のまほろば (*13) たゝなづく 青垣 山ごもれる 大和しうるはし
命の 全(マタ)けむ人は たたみごも 平群(ヘグリ)の山の 能白檮(カシ)が葉を うずに挿せ その子
はしけやし 吾家(ワギヘ)の方よ 雲居たち来も
あゝ三千尺の鈴鹿山 道も通はぬこの原は
大和の風もさへぎられ 唯(ただ)通ふあり白雲に
平群の山のありし日を しのばせたまひかくります
ましける御子のしづまれる のぼのの原はこゝと聞く
天離る夷にあれど里人の 日の御子の詔(ノリ)のまにまに仕へ来て
地の果に天の限りの防人に いざかどでせんあづまたけをは
於三重県鈴鹿郡 能褒村
(遺筆その三) 雑 録(抄)
○民族存亡の秋に際し ベルリンを武装都市と宣言し ゲルマン民族挙(こぞ)って玉砕を誓ひしと聞く 仏のあはれにまでも悲しきパリー落城と較べてや見るべし 快なる哉(かな) 盟邦
○然(しか)れどもベルリンの玉砕を以って独の終焉なりとせば あへてその撰びし道を讃ふるに足らず
○都市国家時代に於て王城都市の落城を以って闘争は終焉せり 又我が封建に徴するも 一城の焼滅と共に支配権を異にせり ローマ然り 戦国の諸侯又例にもれず 更に降っても一大会戦に於て事は決したり 近くにこれを求むれば 日本海海戦 奉天戦会戦にして争闘は結びを告げたり 然れども現実はその様相を転換す サイパン 硫黄島の玉砕もあへて辞する所にあらず 皇都の焼炎も又辞せざる所なり 宇内に一兵一子残らば必ずや以って伝統を継承し永劫の国体護持に捧げるを信ず
○精神は時間の強靱性を有す 伝統の強さを保有す 臣一人あればそこに皇土は安らかなり
○独は滅亡せり 然もその前後を推せば運命と諦めたるが如し 彼等所詮科学力をもって闘争し 科学力が深渕に臨めば運命とするなり 悲しむべし 精神の新兵器化を知らざるなり 否知らざるにあらざるなり 唯それは人間の恐怖として触れざるのみ
我が愛機の整備に弐山上等兵は本当に骨身惜しまずやってくれた 出撃に際して彼に呈す
還(かえ)らじの旅路に花をふりかざし
門出し得るも君ありてこそ
君ありて君ありてこそ今日の日の
遥(はる)けき旅路愛機と共に
手をかざし導き呉(く)れし鵬翼も
雲間に去りて又と還らざらん
【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」
- 最終更新:2016-05-25 13:59:23