【第五七振武隊】志水 一
志水 一
大刀洗陸軍飛行学校卒(少飛十四期)、昭和二十年五月二十五日、第五七振武隊として出撃散華
謹啓 益々戦局重大となる今日、御両親様には御変りなく増産に御精進の御事と御察し申上げます。
小生十九年の久しき間御苦労のみ御掛(おかけ)申し誠に申訳(もうしわけ)ありません。戦は実に熾烈を極め我が皇紀ある三千年の日本も此(こ)の沖縄の一戦にある時が参りました。小生も微力ながら御奉公出来る事を名誉此の上なしと嬉しく思っています。
一生の大事業が今日参りました。自分も日本男子です。きっとやります 轟沈を、 ニュースを待っていて下さい。自分は敵航空母艦に体当りするものなれば何一つとして残りません。而(しか)し此の中にある髪と爪は自分のものですから……。
自分の一生を振りかへりみれば実に愉快でした。自分の思ふ侭(まま)の生活 そしてやりたい事は我侭(わがまま)で通し、御両親様には実に不幸を致し、此の自分を御許し下さい。其(そ)のかわりきっと立派に若桜と散って行きます。
日本男子として生れ 此の皇国の興廃をなす此の一戦に臨めるは本快 (*1)とする処であります。
年は僅か二十歳の身、階級は伍長の身であれど 昔ながらの大和魂は小さき此の胸にみなぎってゐます。
御両親様有難う御座居ました。篤く篤く御礼申上げます。此の便りがとゞゐても決して泣かずにほめて下さい。
此の便りが着いて御両親様が読まれる姿を思い浮かべながら此の便りを書きます。
最後に次の事を御願ひ致します。
一、親戚の方に、近所の方々
一、諸先生、雲田、三村、伊塚、岸本先生
一、村長殿、竹村さんにくれぐれもよろしく、自分は立派に咲いて行ったと、久しい間実に有がとう御座居ましたと御伝へ下さい。
来月に入れば写真がたくさん送られますから一枚ずつ右の方々に出して下さい。
明(あくる)二十五日午前四時初陣攻撃開始。
ではさようなら。
五月二十四日二十三時走り書き
【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」
- 最終更新:2016-05-25 14:04:28