【第五七振武隊】山下孝之

山下孝之

昭和十五年大刀洗陸軍航空支廠整備、東京陸軍航空学校卒、十九年熊谷陸軍飛行学校卒(少飛十四期)、二十年五月二十五日、第五七振武隊として出撃散華


 “出撃に際して”

無事目的地に到着致しました。

唯今(ただいま)元気旺盛出発時刻を待って居ります。愈々(いよいよ)此(こ)の世と別れです。私は非常に幸福と思ひ増す。お母さん必ず立派に体当り致します。宮崎の都城これが私の最後の基地です。

昭和二十年五月二十五日八時、これが私が空母に突入する時です。

今私は青葉茂る森の中にて過去二十一年を想ひ静かに筆を執りました。私達が沖縄決戦に参加敵艦に突入これを轟沈せば沖縄の戦局は一変するでしょう。私はこれを確信しております。今日も飛行場まで遠い処の人々が私達特攻隊のために色々なものを持ってわざわざ慰問に来て下さいました。斯(か)くも私達に期待し亦(また)人情の厚いのに私は思はず涙が出ました。丁度お母さんのやうな人でした。別れの時は私は見えなくなる迄見送りました。

七時半頃(二十四日)故郷の上空を通ったのです。八代上空で偏向し宮崎に向ったのです。

ではお母さん私は笑って元気で征きます。

永い間御世話に相成りました。

妙子姉さん、緑姉さん、武よ御元気で暮して下さい。町内の人近所の人々にくれぐれもよろしく。

お母さん御体御大切に

私は最後にお母さんが何時(いつ)も云はれる御念仏を唱へます。

南無阿弥陀仏

昭和二十年五月二十五日払暁



【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」

  • 最終更新:2016-05-25 14:12:08

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