【第七二振武隊】知崎利夫

知崎利夫

昭和十七年十月第十期生として東京陸軍航空学校大津教育隊に入隊、十八年四月少年飛行兵第十五期生として採用、十九年十月任陸軍伍長、二十年五月二十七日第七二振武隊員として万世より出撃、散華。任陸軍少尉(四階級特進)。


 国亡びて何があらうか ─── 家族にあてた私信

   君が為家も親をも顧みず
    国が為には此の身はあらじ


謹啓 緑溢るゝ候となりました。

 お母上様お元気にてお暮しですか。利夫は皇国護持の大任を受けて莞爾 (*1)として出陣致します。

 二十年の長い間御厄介になり、何等(なんら)子として親に対して孝行を致さず誠に申訳(もうしわけ)ありません。

 何卒此(こ)の出陣に依りて孝行をさせて戴きます。皇国今や難局に直面致し皇国の興廃此の沖縄の一戦にかゝって居ります。

 此の決戦場へ我(わが)皇国の為に死所を得るは真に武士の面影を思ひ男子の本懐これに過ぐるもの此れに比無し。

 幼にして腕白よく母上を困らせた事深くお詫び致します。

 早くより父に死別し一家の礎として強く正しく我等五人の姉兄弟をお育て下さり、姉は嫁ぎ我今此処(ここ)に皇国の礎として決戦場へ赴く。

 心一は知多郡へ籍をやってもよろしい。どちらにても可なり。関田との関係に依りて。

 新家盛んにして本家衰ふる此れ反対にして新家は本家の捨石となるを本則とす。故に後継が本家に無ければ心一を後継にしてもよし親戚との熟慮の上にて。

 昭子はよく母上の事をよく面倒を頼む。本来ならば此の利夫が孝養致すべきを此の決戦に於いては我は国家に対して孝養即ち忠義を尽す。昭子母上をよく頼む。そして役場へ精勤すべし。

 守一は家の後継となるやも知れず、それは心一の方次第に依りてなるものなり。

 其(そ)れ故家には守一一人の男の子にして守一を強く正しく育てゝやつて呉(く)れ。昭子頼む。

 守一は早く大きくなつて立派な人になつてお母さんに孝行をしなさい。そして先生の教えをよく守って立派な人になりなさい。

 名古屋の方は仲好(よ)くやって行きなさい。親戚が仲悪くてはいけない事なり、掛図、紋付の事は一さい名古屋に交渉すべからず。

 国亡びて何の物があらうか。只々(ただただ)決戦に邁進致されん事を望む。

 譽母の伯父様、伯母様にもよろしく。では最後に皆様のお健康をお祈り致します。


   君が為家も親をも顧りみず
    御国の為には此の身はあらじ


   いざ征かん 砲煙弾雨乗り越えて
    目ざすは敵の大型空母


   我は征く沖縄決戦待って居る
    此の身は愛機と共に砕けん


 昭和二十年五月二十一日

御母上様

                          利夫


【出典】1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」

  • 最終更新:2016-05-28 12:06:22

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