【第一特別振武隊】斉藤信雄

斉藤信雄

東京陸軍航空学校卒、熊谷陸軍飛行学校卒(少飛 (*1)十三期)、十九年台湾三六部隊配属、加古川中部第一〇四部隊、第一八四三一部隊等転属、比島 (*2)派遣、二十年四月十二日、第一特別振武隊として出撃散華


 (遺筆その一)

拝啓 残暑の候と相成りましたね 此(こ)の度兄様の突然死亡のため御父様御母様の御なげき御察し致します 公務のためとは謂(い)へ実に残念です(中略)

上田に於ける面会が誰が一生の別と思はれた事でせう 面会所にて御母様の誠心で造った餅を兄様と共に分け合ってたべた餅 私が兄様に餅を焼いて航空廠にてたべた事がふっと思ひ「たべよ」、「お前こそたべよ」といってなかよく共にたべた事や又練習機に搭乗して飛行機の事を教へた事又面会終って別れるとき「先に行って待って居るさ」と謂ひ、手を握り「後から行くぞ」と力強く謂はれた事が今尚耳の底に残って居ります 又台湾に居る時は再三元気な便りがまいり共に力づけて居りましたが誰が突然亡くならうと思はれた事でせう 今尚兄様が元気で航空廠にて働いて居る様な気がしてなりません 実に残念です 御父様御母様さぞなげいて居る事でせう 特に御母様は兄様を最も楽しみに又力強く思って居りたるに突然他界致し 而(しか)しこれも公務のため天皇陛下のために死したるものです

米英撃滅のため死す 嗚呼(ああ)永久に会ふ事出来ず

必ずやその仇はうちます 先日の九州爆撃の際迎撃によりそのB29に体当り致した高木兵長は我々と同期生です よい死に花を飾りましたものです 同期生に負けずあのにくい米英を撃滅致し従弟(いとこ)叔父兄様の仇をうつ 日本の勝利を墓前に報告する迄は決して途中にて倒れず頑張ります 楽しみに待って下さい

御両親様の小生に兄様の事を知らさざる事は充分にわかります 小生は兄様の死亡を気に致さず唯々(ただただ)米英撃滅に邁進致します故(ゆえ)御安心下さい 御両親様もいつまでもなげいて居らず食糧増産に努めて下さい 

小生 此(こ)の度命令に依り大坂(ママ)の飛行第七三戦隊に転属のため今日出発致す事になりました 御蔭(おかげ)にて至極元気で居ります 着隊致しました後は直(すぐ)に御便りを出します故待ってて下さい

先は御悔み旁々(かたがた)御知らせ迄

                        信雄より
  御両親様へ


 (遺筆その二)

謹啓 其(そ)の後御家庭内皆様には御変りありませんか

降って小生御蔭様にて相変らず元気にて軍務に精励致して居ります故他事ながら御安心下さい

御両親様 喜んで下さい 小生の宿望の出陣が間近かになり此の上は一日も早く出陣致し 叔父兄上の仇をうつべく大いに張切って居ります

先般小生兄死亡の際帰省致しましたので何一つとして心残りの事はありませんが、唯一つ小生今迄二十有年となるも御先祖並に御両親様に対して何一つとして尽すこと出来ず実に申訳ありません 何卒御許し下さい 出陣致したからには小生十二分に覚悟を致して居ります故、其(そ)の分は何卒御心配御無用です 此の便りも最后(後)の便となるかも知れず万一を考慮致して爪、毛髪若干かたみとして御送り致します

一度征途に赴くやもとより生還を期せず空染む屍となり真に我々日本軍人の本分を全ふ致す覚悟であります 此の時には大いに喜んで下さい 出陣は今月中にて何時(いつ)行くか不明、又此の便りとどく頃は出陣の后(後)と思ひます 出陣が一日も早からん事を祈って居ります 大阪市南区千日前竹林寺向(むかい)浪花軒写真館にて写真をとりましたので此れは今月六日に仕上げ 宅迄送る様にして有ります故、受け取って下さい 若(も)し送らざる時は右記の住所にせいきゅうして下さい

先は此れ迄 最后に御両親様の御健康と御幸福を御祈り致します
                       出陣前 信雄より
  御両親様


 弟妹に告ぐ

今後共兄弟仲よく相(あい)助け合ひ御両親様に安心させよ

御前達に何一つとして兄として尽すこと出来ず実に申訳なし 便りがひのない兄と思ふな、俺は今から最新鋭戦闘機(決戦機)に乗り南海の第一線に行きあのにくい米英を打滅し今は亡き長兄並に学叔父の仇をうつから楽しみに待って居(お)れ

戦争は何(ど)うしても勝たねばならぬぞ お前達は今自分に与へられて居る任務(学校に行きよく学ぶ)に一生懸命やらねばならぬぞ 此れが天皇陛下に対し忠義で 親に対して第一の親孝行だぞ 此れを忘れず大いに頑張れ 

最後に御前達の御健康を祈る

                       兄より


 (遺筆その三)

謹啓 桜花も早や散り若葉の候と相成りました 其の后は一向御無沙汰致し誠に申訳ありません 何卒御許し下さい

小生出戦以来御家内皆様には相変らず元気にて食糧増産に努めて居る事と存じます 戦地より帰還の途中、習叔父上と会ふ予定でありましたが、電報の関係上面会出来ずその時は実に残念でありました 后にて習叔父応召の大命を受けたと聞き小生心より武運長久を御祈り致しました

小生此の度第一特別攻撃隊振武隊の一員として行く事になりました

此れ小生最初より望むところであります 比島に於いても一度特攻の命を受けましたが、残念な事に飛ぶ機なき故、中止となり実に残念でした。 一度比島にて死んだものとして此の度行きます 小生には何一つ心残りの事はありません故、何卒御安心下さい 今時の桜の花の如くぱっと咲いてぱっと散るどうせ一度は死ぬものです故、小生は花々しく散って行きます 出発する迄は后十数時間しかありません 必ずや大型艦船を撃沈させます かくて比島での戦友隊長の仇、兄様の仇を打ちます かくて兄様と共に草葉の蔭にて皆様の御健康と御幸福を御祈り致します 敵米英の撃滅の神機まさに到来す 我れ喜びて死につく

 二伸

一、習叔父上に便り致す事出来ませんから何卒父上の方よりよろしく御願ひ致します(住所知らず)

二、弟の徴兵今年になりさぞ張切って居る事と思ふ 必ず甲種合格になり兄二人分迄御奉公してくれ それには何よりも第一に身体を大切に致せ 兄様の如く入隊を目前に控え傷をする様な事はするな お前の身体はお前の身体であってお前の身体ではないぞ、自重を望む

三、孝雄、弘平此の前出戦した時も言った様にお前達の今の御奉公は大いに勉強して御両親様を安心させるのだ 又暇の時は家の手伝ひ致せ 此れがお前達に言ふ俺の最后の言葉だ

四、妹啓子卒業后何を希望して今勤めて居るかは知らぬが女性として恥ずかしからぬ者になれ お前は男兄弟の中に一人なる故、気が若干荒い故(男まさり)注意せよ

五、比島に於ける状況を聞きたかったら何卒しよ子叔母様に御聞き下さい 比島より帰ってより所沢から一度外出致し、しよ子叔母宅をうかがって「オハギ」を御馳走になりました 今なほその味が忘れられません

先は御無沙汰御詫(おわび)旁々(かたがた)御知らせ迄 最后に皆様の御奮闘を御祈り致します 特攻の信雄より
                                          永久にさようなら

 御両親様

                                      宮崎県都城市牟田町
                                         宮丸町 都内
                                             斉藤信雄



【出典】1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地都城疾風特攻振武隊」

  • 最終更新:2016-03-13 10:42:05

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード