【第一正気隊】安達卓也

安達卓也

東京大学法学部
神風特別攻撃隊第一正気隊、昭和二十年四月二十八日沖縄方面にて戦死 二十三歳


 凡太郎の生涯

 一八・一〇・一二 (入隊直前)

 我々は「死」に至った時、大きな苦悩を味ふにちがひない。それは「死」が恐ろしいからではなく、如何(いか)に死ぬかヾ我々の心に常に迫り、凡(あら)ゆる価値判断を迫られるからだ。故(ゆえ)にその苦惱は我々の必然である。たヾ天皇陛下萬歳を唱へて一種の悲壮感に酔って死んだ人は、美しいとはいへ、我我のとり得ない態度だ。我々は常に「死」そのものを見つめつヽ而(しか)も常に如何に死ぬるかの苦痛を荷(にな)ひつヽ死んで行くのだ。「なんだ、これが死か」といふ感情を死の瞬間にも持つ冷静さだ。

 しかし、この苦悩があればこそ、我々には我々の死に方が出来る。それは断じて敵に対する逡巡ではなく、最も勇敢なる「死」であらねばならない。我々はむしろこの苦痛を誇りとするものである。この苦惱を越えて「死」そのものを見つめる時、我々の真の世界が開ける。

 強烈な現実の嵐の前に「死」に直面し、その中に新しく生きて来る我々の学の精神こそ、我々の内にひそめる真の学的精神であらねばならない。我々は学を戦に代へた。それは学の飽くなき追求であり新らしき生命の獲得なのである。一人たりとも学徒が生を得て帰還したら、その内から真の東西の理想が生れ、雄大な生成発展の構想が構成され、真に東亜の人々を新らしき道義の世界に導き得るであらう。

 勿論(もちろん)、我々は消耗品に過ぎない。波の如く寄せ来る敵の物質 (*1)の前に、単なる防波堤の一塊の石となるのだ。然(しか)しそれは大きな世界を内に築くための重要なる礎石だ。

 我々は喜んで死なう。新らしい世界を導くために第一に死に赴くものは、インテリゲンツィア (*2)の誇りであらねばならない。


 一九・一・九 (於大竹海兵団)

 戦は益々苛烈である。死闘は毎日の如く繰返される。国民の生活は益々深刻になり悲惨になる。果して戦は是か? 真の平和は斯(か)くも悲惨なる殺戮の彼方に求めらるべきか?

 歴史の現実を見つめるとき、如何(いか)なる戦争も夫々(それぞれ)イデオロギー (*3)の争闘であり、世界観の戦であった。然(しか)しその結果として齎(もたら)されたものは! 理想主義的世界は単なる夢幻と化して、後には戦前の現実に戦の悲惨を加へたものに過ぎなかった。あのフランス革命の痛烈なる理想も、自由への憧憬も、ナポレオンの独裁に凡(すべ)てを失ったではないか。

 然し余(よ)は飽く迄も戦う ─── 明治維新の自由の志士達の指向した道義そのものに対するひたむきなる情熱を愛するが故に……日本民族の生き方そのものヽ中に見出される道義へのひたすらなる情熱は、余の心から愛し信ずるところだ。たとひ微々たりとも、その中に燃ゆるものは自らの信じる美(うる)はしき、高き世界の為の焔(ほのお)なのだ。その故にこそ死を以って殉ずるのだ。


 一九・一・一五

 父に逢った。母に逢った。手を握り、眼を見つめ、三人の心は一つの世界に溶け込んだ。数十人の面会人の只中(ただなか)にあって、三人の心の世界のみが私の心に映った。遥かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持で見つめた。私のために苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺に見られるやうな気がした。何も思ふ事が云(い)えない。たヾ表面をすべってゐるに過ぎないやうな皮相的な言葉が二言、三言、口を出ただけであり、剰(あまつさ)へ思ふことヽとは全然反対の言葉すら口に出やうとした。たヾ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼でつたはり合ふ事 ─── 眼は口に出し得ない事を云って呉(く)れた。母は私の手を取って、凍傷をさすって下さった。私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩ひ、生れたまヽの心になってそのあたヽかさを懐しんだ。

 私はこの美しい父母の心、暖い愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だった。涙と共にのみ込んだ心のこもった寿司の一片は、母の愛を口うつしに伝へてくれた。

 「母上、私のために作って下さったこの愛の結晶をたとへ充分いただかなくとも、それ以上の心の糧(かて)を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしっかりと刻みつけられてゐます。これで私は父母と共に戦ふことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます」。私は心からさう叫びつづけた。戦の場、それはこの美しい感情の試煉の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に、私は死を恐れる必要はない。たヾ義務の完遂へ邁進するのみだ。

 一六〇〇 (*4)、面会時間は切れた。再び団門をくヾって出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送った。父母の姿は夕陽を背にして、その影が地上にひっそりと長く落ちてゐた。その瞬間に静けさをしみじみと感じ、振り返りつヽ立去って行く父母の瞳にじっと見入った。

 これから、この感情が新たな力を以って私の生活に迫って行かねばならない。一瞬でも気を許し生活に迫る気迫を忘れた時、父母のあたヽかき愛に完全に反することヽなるのだ。父母が訪ねられたのは決して私をなぐさめるためではない。大君(おおきみ) (*5)の醜(しこ) (*6)の御楯(みたて) (*7)たることに遺憾なきやう、父母の愛の強く大きなことを私に明確に認識せしめられんがためなのだ。

 生涯の最高の感激を身に受け、私はこヽに新たなる出発を誓ふものである。

 美しい父母の御心(みこころ)に泣きつヽ…………。


 一九・八・二六 (於大井航空隊)

 搭乗員 (*8)は一日一日が一つの完成であらねばならぬ。それはいつ生の終末が来やうとも、それが一つの完成として残らねばならぬ。と同時に一日一日の連続はまた一つの完成への精進の道程でなければならぬ。必死の、血みどろの努力の集積の中に如何なる終末に終らうとも、それが空虚を意味しないだけの心の準備と努力の成果でなければならぬ。それは搭乗員としての絶対的は運命であると共に、唯一の誇りでもあるのだ。そこに*凡太郎は搭乗員の生活の宗教へのつながりを見出すのである。

  *〔編者註〕 凡太郎とは安達君自身をさしてゐる。


 一九・九・一四 (於大井空)

 凡太郎は飛行機を愛する。──── それは常に生と死の間を翔(はばた)けり行く鳥である故に。空中に在って発動機の音に耳を澄ますとき、それが一寸(ちょっと)した異常な音を立てヽも、それは既に死への道が開かれてゐる。静かに死を見つめる感情は、飛行機のみが與(与)へて呉れるのだ。而(しか)も機上にあって悠然として任務を遂行するこの気持が、こよなく貴(とうと)いものに思はれてならない。この気持の内から何か生れなくては嘘だ!

 学問により、書物によって解決せんとあがいていたものが、容易に眼前に齎(もたら)されたとも思はれる。然(しか)しその安易さは、またまた飛び越え難い障壁でもあるのだ。その解決は死の瞬間まで不可能かも知れない。たヾ死と取組み合ってゐることを肝に銘じ、必死に、真剣勝負の気迫を持って迫る時、何等(なんら)かの広い大空のやうな世界が見られるかも知れないとも思はれる。


 一九・一〇・一一

 凡太郎はジイドに泣く心を忘れた。だが彼はソクラテスを愛する。
 彼は恋愛の美しさに泣けない。だが愛の崇高さに身を捧げる。

 
 一九・一二・一六 

 自らの生に虚無を見て、自らの生命を絶った天才的文人があった。自らの道に生の否定を断定し巌頭に絶叫して死を選んだ若人(わこうど)があった。自らの信ずる哲理故に、国家への背反の名を科せられて人生を葬り去った幾多の魂があった。今、祖国の歩みを唯一の真理として、戦のたヾ中にその生命を抛(なげう)たんとする若人がある。一体彼等(かれら)の死は如何なる意味を有するのであらうか?


 二〇・二・二四

 英霊を送る。戦闘機のパイロットの遺骨を。白布に包まれた清い美しい遺骨に、搭乗員の帰結を見つける。それは一つの人生の結論であり、必死の生涯の結実なのだ。空飛ぶ男の瞬間的な生から死への飛躍は、その結論を夢のやうに美しい感情の幻に包んで、直立不動の戦友の列に投げつけつつ魂の世界に旅立って行く。はかない、やるせない ──── そんな繊細な言葉を人生の翳(かげ)から払拭して一挙に荒々しい結論を奮然として投げつけて、彼、搭乗員は人生を終へた。

 私は彼の魂に頭を垂れ、私の貧しい結論を、何時(いつ)かは来るべき結論を、戦ひの轟きの彼方に見つめる。

 空征かば雲染むかばね。潔く散らなむ ────

 今日も冬の空は、くっきり澄んでいる。


 二〇・三・二六

 特攻隊身上調査記入「後顧なし」と大書せり。

 凡太郎の生の奥に、静かに、しかし力強く、永遠と思はせる如く燃えてゐた生の焔(ほのお)は、今やたきつききらんとする。静かな思案に白光となって輝き、幾多の偉大なる哲人 (*9)の生の燃焼によって生れ出でた古典に沈潜して、ほのぼのとした人生の灯をともしつヾけた凡太郎の生の焔は、一挙に爆発してその最後を飾らんとする紅の巨火を吹き上げて一瞬の中に生を終へんとする。彼の人生の焔は最後の燃焼によって神国の新らしき神話の世界創造の礎たらんとするのだ。


 二〇・四・二

 凡太郎は学生々活に於て知性に目覚めて以来、歴史について、死について、苦悶と思考を続けて来た。それは未解決のまヽ残されてゐる。

 だが今はそれが別の意味で解決されてゐる。

 もう苦悶も悩みも存在する余地がない。それは意味なき意味であり、未解決の解決である。


 二〇・四・一一

 特攻隊編制。出撃の栄(はえ)を担ふ。

 梅咲く日に…………。



【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」

  • 最終更新:2015-11-30 06:58:26

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