【第一九金剛隊】宮澤幸光

宮澤幸光

北海道第二師範学校
神風特別攻撃隊第一九金剛隊、昭和二十年一月六日比島(フィリピン)にて戦死、二十三歳


 母と共に

 お父上様
 お母上様

 益々御達者でお暮しの事と存じます。

 幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。

 お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎へる事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね! 同封の写真は〇〇で猛訓練時、F中尉に写して戴いたのです。眼光を見て下さい。この拳を見て下さい。

 父様母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山(たくさん)御馳走(ごちそう)をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。靖國神社ではまた甲板士官でもして大いに張切る心算(つもり)です。

 母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖國で待ってゐます。きっと来て下さるでせうね。

 本日恩賜 (*1)のお酒を戴き感激の極みです。敵がすぐ前に来ました。私がやらなければ、父様母様が死んでしまふ、否(いな)日本国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。

 ニッコリ笑った顔の写真は父様とそっくりですネ! 母上様の写真は幸光の背中に背負つてゐます。母様も幸光と共に御奉公だよ、何時(いつ)でも側(そば)にゐるよ、と云(い)つて下さつてゐます。母さん、心強い限りです。

 幸雄兄、家の事は萬事たのむ。嘉市兄とともに弟嘉平、久平、保則君を援(たす)けて仲良くやつて下さい。

 幸光は学校当時は大分喰ったね、喰っただけはやるよ。父様はまたお笑ひでせう「余り喰ふ由、自重されたし」などと?

 恩師に宜しく申し上げて下さい。十九貫 (*2)の体躯、今こそ必殺撃沈の機会が飛来しました。

 小樽の叔父、叔母様に宜しく。

 函館の叔父、叔母様に宜しく。

 中野の祖母様に宜しく。

 國本師顯殿

 御世話を謝します。叔父さん、幸光は立派に大戦果をあげます。




【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」




  • 最終更新:2015-12-01 09:28:48

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