【第一七生隊】鷲見敏郎
鷲見敏郎
大阪商科大学
神風特別攻撃隊第一七生隊、昭和二十年四月六日沖縄方面にて戦死、二十四歳
断 片
二月二十二日(木)
出撃命令下る。曾(かつ)て彼(か)の日午前五時 肉弾三勇士は散華す。
総員集合 人選あり。
特殊任務に殉ずる数十名の姓を読み上げる内 小生の姓名を呼ぶこと三度 ジッと顔を見つめぬ。
貴様の生命は俺が貰った。
分隊長の閃く瞳 喰ひ込む瞳 瞳 瞳………
熱願冷諦 堂寂の境に直あり。
愛機は「四三三」と決定。
三月四日(日)
外出 父上の誕生日。
最初にして最後の孝養の積(つも)りにて 父母 祖母 菅原祖父各々へ微志 電報為替にて家郷 (*1) を驚かす。
三月十六日(金)
快晴 風強し。昨夜 入歯の抜けた夢を見た。今日は自重しよう。
編隊並(ならび)に定着訓練。
総員起し 六時より夕暮五時近く迄ブッ通しの愛機作業は楽しく 疲れる。
三月十八日(日)
昨夜の夢 母上に零戦を見学させ説明して居る所 又明君(甥)が母ちゃんに叱られてべそをかいて居る所 甚(はなは)だ愉快。飛行機が夢により見るやうになつたのは それだけ 空の技術を身につけ得し所以(ゆえん)か 今日ぞ 最後の外出。
"煙草"
海兵団で覚えた味 今も捨て得ず いら立つた精神を落着ける時 疲労困憊せる時等 確かに鎮静の効果ありと認む 特に愛機搭乗の前。
"酒"
元山(げんざん) (*2) に来て初めて嗜(たしな)む 交際に嫌な顔をされないだけの修養を積んだが 矢張り銚子一本で ひつくり返るみじめさ。
"女"
未知 (*3) 。然(しか)しそれもよろし 永遠の恋人 我が母を熱愛すればこそ 母の如き 典型的な女性を見出すことは不可能なりき。
三月二十日
十五日付 父上の来信あり 大阪市は千数百年の歴史を灰とする 生國魂神社(いくたまじんじゃ)御姿なしと承り我が運命を知る。
四月一日(日)
〇七三〇 学生教程卒業式。
〇九〇〇 今や出撃せんとす。
さらば元山よ。
黄砂来襲 出発見合せ。
四月二日(月)
〇九〇〇 出撃せんとす。
母上の優しき誠享け継ぎて
永久に薫らん大和御空に
【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
- 【*1】 かきょう。家。ふるさと
- 【*2】 朝鮮の地名。海軍航空基地があった
- 【*3】 1945(昭和20)年6月、第六航空軍(南九州方面)で実施された「特攻隊員の心理調査」では「性の問題」について「特殊慰安施設ノ設定-ナルベク生理的慾求ヲ金銭ヲ以テ解決シウルモノタラシム」とある。〔出典:生田惇著「陸軍航空特別攻撃隊史」〕。また「慰安所(軍専属の娼家)まで将校用と下士官用が区別されていた。(中略)航空部隊は、食糧には比較的、恵れていたが、移動が激しいので、慰安施設は、地上部隊にくらべて、貧弱であった」 〔出典:1953(昭和28)年 富士書苑「秘録大東亜戦史」所収読売新聞論説開設委員大河内敏夫「〇〇基地異状あり」〕とあるように、慰安所とは商業目的の娼家であり、日本兵の慰安所利用は金銭をもってなされたことがわかる。なので、韓国や反日マスコミの「朝鮮人女性が特攻基地に強制連行されて特攻隊員に強姦された」という宣伝は捏造である。航空部隊は移動が激しいので、あとをついてくる娼家がなかったということである。
- 最終更新:2015-12-02 08:58:09