【神風特別攻撃隊第二七生隊】林 市造

「生も死もキリストにあり」


海軍少尉 林 市造
神風特別攻撃隊 第二七生隊 京都帝大出身 二四歳


 その後元気のことと思います。


 私たちの名前は神風七生隊です。本日そのなかばが沖縄沖の決戦に敵船団に突入しました。


 私たちの出撃も二三日中に決っています。あんがいお釈迦様の誕生日かもしれないですね。鹿屋基地の学校の仮士官舎にごろねして、電燈がないのでたき火して明るくしてこれを書いています。


 戦果がぞくぞくあがって後続の私たちはすごく張り切っています。夕方散歩してレンゲソウ畑にねころんで昔をしのびました。朝鮮から一ぺんに南の国に来て、桜の散っているのにびっくりしています。けれども南地の暖い緑が目にしみるようでなつかしいです。


 お母さん、私が死んでも淋しがらないで下さい。名誉の戦死、それも皇国の興廃をかけた戦に出て征くのですからありがたいです。飛行機で九州に入ってから博多の上は通りませんでしたが、腹一杯歌を唱ってなごりを惜しみましたよ。もうあまり思いのこすことはありません。言いたいことは梅野にことづけました。ここでの情報を書くのです。


 私が戦死したあと、私のことはお母さんの思われるように処置して下さい。どこもかしこも筆不精して手紙を出していませんから、よろしく云(い)うことを忘れないで下さいね。最後のしりぬぐいをさせるわけですけれど、手紙を書きたくとももうそんなひまはないのです。今日はまた征きてかえらざる人がぞくぞく敵艦めがけて出て征きます。颯爽たる基地のありさまがみせたいですね。日記類は必ず焼きすてて下さい。人に絶対にみせてはいけないのですからね、お母さんたちだけはよいですよ。必ずですよ。


 出撃の服装は飛行機に日の丸の鉢巻をしめて、純白のマフラーをして、義士の討入りのようです。


 お母さんの、千人は右に万人左にたおるとも…の書いてある国旗も身につけてゆきます。


 お母さんたちの写真をしっかと胸にはさんで征こうと思っています。満喜雄さんのも。


 必ず必中撃沈させてみせます。戦果のなかの一隻は私です。最後まで周到に確実にやる決心です。


 お母さんが見ておられるにちがいない、祈っておられるにちがいないのですから、安心して突入しますよ。


 お別れにはいなりずしと羊かんがつきますよ。弁当をもって征くのもなかなかよいですね。立石さんからもらったかつおぶしもお守りと一しょにもってゆきましょう。お母さんのとこにゆくのにちょっと海のなかをとおってゆかねばならないですから。満喜雄さんと博子姉さんにはハガキを一しょに書きました。なにか会えば話は多いのですが、なにもないですからね。みんなでたのしかったので、かえってなにも書くことがないのだと思っていますけど、よろしく。なんだか夢のようです。あすはいないのですからね。


 昨日出て征った人々が死んでいるとは思えません。なんだか又ひょっくりかえってくるような気がするでしょうね。でもあっさりあきらめて下さい。「死にし者は死にし者に葬らしめよ」です。あとにたくさんの人がいるのですから、みんなでたのしく暮して下さい。私たちのなかにはぜんぜん母一人子一人の者もいますよ。思えば映画「陸軍」でみた博多が最後となりました。博多には一度かえりたかったです。


 お母さん、ぐちをもうこぼしませんから、お母さんも私についてこぼさないで下さいね。泣かれたとてかまいませんが、やっぱりあんまり悲しまないで下さい。私はよく人に可愛がられましたね。私のどこがよかったんでしょうか。こんな私でも少しは取柄があったんだなあと安心します。ぐうたらのままで死ぬのはやはりちょっとつらいですからね。


 敵の行動はにぶり、勝利はわれわれにあります。私たちの突込むことにより最後のとどめが刺されましょう。うれしいです。


 われわれにとりて生くるはキリストなり、死するも又キリストなりです。これがまことに痛切に思われます。生きているということはありがたいことです。でも今の私たちは生きていることは不思議です。当然死ぬべきものなのです。死ぬことにたいし理由をつけようとは思いません。ただ敵を求めて突入するだけです。


 私は甘やかされましたね。今から考えるともったいないです。境遇のよかったことは私の誇りです。この誇りを最後まで保持しようと思います。私から境遇を引いたら零です。随分ぐうたらですが、一人前で人のまえにいられたのがありがたいです。なにか変な話になりましたが、今日はちょっとねむいです。


 又時間があったら書き加えましょう。


 もう余りなごりを惜しまなくてもよいですね。お母さんにはなにもかもわかっているのですから、あわてません。もう死んでもよいですね。ここらでお別れいたしましょう。


 なごりはつきませんね。お別れいたしましょう。市造は一足先に天国に参ります。天国に入れてもらえますかしら、お母さん祈ってください。お母さんが来られるところへ行かなくてはたまらないですから。


 お母さん、さようなら


                        市造


蛙なく田の畦道や夜静か


 
 昨夜散歩に出て蓮華草(れんげそう)ばたけにねころんでしみじみと故郷をしのびました。友達は私をお母さんのにおいがすると云いました。母と子を感ずるのだそうです。


 私は幸福でした。人びとに可愛がられたということは私のこの上ないみやげです。腹の立つことがあっても、なつかしい人々を思うことによって、美しい人びとを思うことによって、やわらいでくるこのごろです。


 美しかりし人々の仲間にいたという、誇りを最後まで失うことのないように努力をつづけます。吉野桜はすでに散っています。毎朝小川で顔を洗うのは、芙蓉の花の咲いた田舎の家の水仙の花の咲いた小川を思わせます。あすは敵空母群に必中攻撃をやります。命日は多分四月一〇日になるでしょう。


 法事をするなら、家中そろってたのしい食事をすることですね。しとしとと内地の雨が降っています。だれかが「雨々降れ降れ母さんが」をオルガンで弾いています。なにも書くことはありませんね。


 話せば話も多いでしょうが、母さんはなんでも知っておられるでしょうからね。思い出がつきませんが、思い出に耽ることはどうも男らしくないですからね。


 今日は今日はといっているうちに一一日もすぎてしまいました。指揮所で私の姿があまり颯爽としていたの(?)なん人もいるうちから特別に報道班員が二、三人で写してくれましたよ。


 あとで又連合艦隊長官が私たちの宿舎をわざわざ訪れて「しっかりやってくれ」と激励のことばをくださいました。皇国の興亡を担っているのを思うと、数ならぬ身の光栄にまことにありがたく感ぜられます。あすは確実に必死必中です。


 お母さん、たいがいのことは書きましたね。


 今日は学校のオルガンで友達と讃美歌を歌いましたよ。



【出撃前のひとときを合唱してすごす特攻隊員】
kamikaze_sanbika.jpg



【出典】1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正著 「太平洋戦記 神風特別攻撃隊」






  • 最終更新:2016-03-14 08:08:47

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