【神風特別攻撃隊第一正気隊】須賀芳宗

「日本を守る最後の切札として」


海軍少尉 須賀芳宗
神風特別攻撃隊 第一正気隊 立教大学出身 二四歳


 突然に隊へ訪問を受けまして、なんとも感謝のしようがありません。往復の自動車さぞやお疲れのことだったでしょう。病後の父上ぶりかえさねば良いと思いますが、いかがですか? たとえ短時間でも私たちの育ての地を見ていただいて、本当に良かったと思います。


 海鷲の基地たる張り切った場面をお目にかけ得ればなお素晴らしかったのですが、それはいまの情勢ではできませんでした。でもこの部屋にわれわれは最後まで居住して、勇躍出発する日を待っておるのです。やがてこのせまくるしい部屋を懐しく思いおこしてくださる日も来ましょう。


 昨日今日と隊の桜も満開です。この桜ほど美しい桜を私はまだ見たことがありません。きっとこれも見る者の心のせいでしょう。みなさんの去った隊内に、この綺麗な桜にかこまれて、いささか感傷に溺れました。それはけっして淋しい物悲しいホームシックでないことは断言できます。恵まれた両親にかこまれて温い家庭に幸福にあふれて育った小生が、学生時代から愛し続けたあの飛行機で勇躍征途にのぼる、じつに恵まれた生涯であったと痛感しています。豊かに真直ぐに育ったということはいまとなって最大の強味です。じつにその点御両親に感謝しています。坊ちゃん育ちは弱味も多くありましょうが、根本において、どんな状態に置かれても必ず物を素直に受け入れて好意的に解釈します。いま、日本を守る最後の切札として出陣するにあたって、日本人として又御両親の伜(せがれ)として、だれよりも誇りと喜びとをもって出撃できることは、私の最高の勝利であると微笑んでいます。


 これから敵を目前に見るまで、なお高き境地を得るのがいまの私の大仕事です。でもそれは必ずなしとげられる自信はあります。


 私が学生時代以来、物事に相当の自信をもってやって来たのも又ひとつの幸福でした。これもきっと負けず嫌いの御両親からうけついだ性格でしょう。


 東京も又やられたようす、一時も早く秩父へゆかれた方がよろしいでしょう。深刻なことを書いてもけっして"最後の手紙だ"などと驚かぬように願います。又ぽっくり長崎の門をくぐるかも知れません。そのときは決して秩父などへおでかけなきよう天に祈っています。


 すっかり温かくなって、生活もじつに楽になりました。娑婆(しゃば)の春とちがって航空隊の春は又なごやかです。桜が散ったら又お便りします。御元気にお過しください。


                          芳宗


 御両親様
 八重子殿




【出典】1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正著 「太平洋戦記 神風特別攻撃隊」






  • 最終更新:2016-03-14 08:13:45

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード