【神雷第一爆戦隊】溝口幸次郎
溝口幸次郎
中央大学
神風特別攻撃隊神雷第一爆戦隊、昭和二十年六月二十二日沖縄方面にて戦死、二十二歳
追 憶
美しい祖国は、おほらかな益良夫 (*1)を生み、おほらかな益良夫は、けだかい魂を祖国に残して、新しい世界へと飛翔し去る。 昭和二十年六月六日
麦刈る人々
私の父上も、私の母上も、農に生きぬいた偉い方です。両親の若い時の苦闘を聞くと、本当にすまない気がします。山間の田舎道を荷車を引いて、人が行く。飛んで行って、車の後押しをして見たい気が湧いて来ます。もう何の御手伝ひする事も出来ない私の不幸をお許し下さい。どうぞ御体御大切に。
地震に倒れし我が家
我が家はこはれたれども父祖の血を
大空に生きて國護るなり
我が家のおもかげなくも我が魂は
永久に我が家にかへり来ぬべし
網干し(あぼし)
"現在の一点に最善をつくせ"
"只今(ただいま)ばかり我が生命は存するなり"
とは私の好きな格言です。
生れ出でヽより死ぬる迄、我等(われら)は己の一秒一刻に依って創られる人生の彫刻を、悲喜善悪のしゆらぞう (*2)をきざみつヽあるのです。私は一刻が恐しかつた。一秒が重荷だつた。もう一歩も人生を進むには恐しく、ぶつ倒れさうに感じたこともあつた。しかしながら、私の二十三年間の人生は、それが善であらうと、悪であらうと、悲しみであらうと、喜びであらうとも、刻み刻まれて来たのです。私は、私の全精神をうつて、最後の入魂に努力しなければならない。
竹林に月影さやか
私は誰にも知られずにそつと死にたい。無名の幾萬の勇士が大陸に大洋に散つていつたことか。私は一兵士の死をこの上もなく尊く思ふ。
あひる
"白鳥の死"を思ひ出す。何事でも「死」なるが故に尊いといふことは出来ない。「生」の美しさを感じ得る者には「死」の美しさを知るであらう。
洋灯(ランプ)
母上、さやうなら。母上に絹布団にねていたヾきたかったのに。
日の本の早乙女達を知らざりし
我は愛機と共に散るなり
恋を知らず乙女を知らず一筋に
男の子(おのこ)わびしも國恋ふわれは
(母にあてたる手紙)(後略)
母上、これが最後のお便りです。お別れに際して母上は既に私の気持を察して下さつてをるので改めて何も書くことはありません。強く生き抜いて頂きたい、いや、いたヾけるものと確信してをります。先日鹿屋市の床屋に入った時、四つ位の子供の可愛らしい様子に自分もあのやうな時代があり、母上に抱かれて育てられて来たのだと思つたのです。二十三年間が私自身にとつてはつい最近の出来事のやうに思はれますが、子供達の姿や赤子の泣き声などを聞くと、長い年月の様が偲ばれてまゐります。
ふるさとを偲びてながむ初雪の
とけてはかなきこの夕(ゆうべ)かも
昭和二十年六月十四日
【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
- 最終更新:2015-12-01 09:25:47