【特攻隊とマスコミ】朝日新聞|昭和20年6月25日掲載

出典:1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」 都城特攻隊取材録


好評のみつ豆と果物
 特攻勇士へ心尽しの料理

 菜っ葉汁で腹拵(こしら)へ、勇躍出撃する特攻隊勇士隊……これらの新聞雑誌記事などを読んで「神鷲さま達にそんなに不自由をさせては申訳(もうしわけ)ない。」と基地附近の農漁村から新鮮な魚、卵、鶏、野菜、果物などが勇士達に贈られた佳話(かわ) (*1)も多いが、軍でも特攻隊の食事給養にはとくに留意してをり、各基地経理部もなかなかの苦労、海に遠いところでは鮮魚はだめなので干魚を入手「これでも尾頭附の申訳です」などとつらい心遣ひがうかがわれる。

 第〇陸軍航空技術研究所では特攻隊の給養如何にとこのほど主計将校二名と専門の調理士三名それにお菓子屋さん二名をつけて各前線基地を巡回させてゐるが、某日某基地における壮行の出陣食ではありったけの材料総さらひで、チキンカツ、冷肉、鯉のあらひ、野菜サラダ、鯛めし(鯛茶にあらず米飯に鯛でんぶ)それに昔なつかしいみつ豆(但し豆は大豆)さらに近県産の枇杷(びわ)、水蜜桃(すいみっとう)を加へて錦上(きんじょう)花を添へ (*2)、明日は出撃の勇士達に「これは凄い」と喜ばれたわけだが、わけても好評を博したのはみつ豆と果物で、航空糧食中の葉緑素の天ぷらも機上で味はふ葉緑素の甘さとは趣が違ふので、珍しがられ同基地では追々材料と人手の許す限り勇士達の面前でお好み式に鮨を握り、天ぷらを揚げる計画さへも樹(た)ててある。


【特攻基地の養鶏場と野菜畑|物資・食糧枯渇による自給自足は内地でも実施された】
特攻基地の養鶏場.jpg

特攻基地の畑.jpg


【画像出典】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編 「大東亜戦争写真史 落日終戦篇」

  • 最終更新:2018-08-14 19:01:06

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