【特攻隊とマスコミ】朝日新聞|昭和20年6月19日掲載(2)

出典:1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」 都城特攻隊取材録


死に遅れる辛さ
 怨めし出撃真際の故障

 量とともにさらに質を……の痛切なる前線の希(ねが)ひは、いまこそ十二分に達せられなければならぬ。重大緊迫化の一途を辿(たど)る沖縄戦局打開のために、悪天候を衝いてわが特攻出撃は連日敢行されてゐる。

 ソロモン決戦以来現在に至るまでわが航空機は、質、量ともに飛躍的に強化充実されてきたことは事実であり、一頃(ひところ)の「殺人機はごめんだ」の声も漸次少くなってはゐるが、なほ後を絶たぬ故障機のために再び来らざる好機を前に特攻作戦が一部に阻まれつつあることは見逃せないのである。

 特攻隊を擁するここ某基地において記者はつぎのやうな声をきいた。ム部隊長「故障機がなお一部に出るのは息づまるやうな状態の現在においてはなんとしても残念だ。グラマン等問題にならぬ、折角(せっかく)の新鋭機を補充してもらっても使ってゐるうちに駄目となってしまふのが相当出る。

 もちろん数千、数万といふ部分品から成る飛行機であり、人が造るのだから絶対に故障が起きぬことを望むのは無茶である。これらの故障は試験飛行のときでは発見困難、またそのときでは絶対に分る性質のものではない。永く使ってゐるうちにある程度過ると突然致命的な欠陥がでて使用不能になってしまふ。なかには整備不充分の理由によるものもあるが、いはば大部分は本質的なものであってこの欠陥克服はなんとしても生産陣の方におねがひするより他はない。

 われわれも愚痴はいひたくないのだが実際問題として量はもとより絶対の要請ではあるが、この量は完璧なる質の裏附によってはじめて貴重な量となるのだ。同じ量で質的に極めて優秀といふことになればその成果たるや期して俟(ま)つべきものがあるのだ。折角特攻機が出て行っても調子が悪いために途中から引返さなければならなくなるといふのは隊員を預る我々としては到底みるに忍びない。作戦に当るわれわれも辛い「けふは死ねる」と決めて出た隊員も辛いのだ。

 基地整備員は自分たちのいまのこの汗、この血、この脂の結晶が敵撃沈多数の生命を呑むのだと自らの眼で耳で知ることができるからそれこそ出撃前こそは不眠不食なのだ。これが後方の生産工場になると直接基地ほどには心の張りが感ぜられなくなる。更に部分品などをつくる協力工場になると対敵観念、造翼の感激の度合が自然少しづつ薄らいでゆく。隘路は累積する。無理はない──しかしこれでは今日の戦局は乗切れないのだ。

 現在地上部隊は日毎に死闘の度を深めわれに不利にみえるが、いまからでも決して遅くはない、飛行機さへあれば必ず勝つ。絶対に勝てる。いまこのときにあってこそ故障などのために作戦を阻み特攻隊員にわが乗機なしの嘆きをどんなことがあっても絶対に与へぬやうにして戴きたい。」

 某特攻隊員、「われわれ空中勤務者 (*1)は意気と気合です。それが出撃の出端(でばな)を故障などによって挫かれると、もうどうにもやりきれなくなる。がっかりといふよりも魂を抜かれたみたいになってしまふ。泣くにも泣けない。戦友は征くのに自分は残される……故障といふ奴は怨めしい……だが、自分は三月十日の帝都第一回の暴爆をあの翌朝この眼でみました。航空機工場も度重なる爆撃被害でとてもやりにくいと思ふ。与へられた機であくまで任務完遂に突込むのが我々のつとめなのだから故障の起らぬやうにしてくれなどとはとてもいへない。生産者の人たちも大変だらうとお察しします。

 しかしもしゆるされるならば一回でも故障回数の少ない方が助かる。出撃前の演習などで不調にでもなるとそりゃあ、やきもきする。けふにでも命令が下ったらどうしようかとゐても立ってもゐられません。代機が貰へればよいが貰へぬときには死に遅れてしまうのです。」

  • 最終更新:2018-08-14 18:52:15

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