【満州蘭花特別攻撃隊】飛べる飛行機がほしい!壮烈!蘭花特別攻撃隊

日本に日本軍があったように、満州国にも満州軍がありました。そして、蘭花特攻隊(満州蘭花隊)と呼ばれた特攻隊もありました。

1942(昭和17)年の米軍反攻後、日本の戦力は北から南方へと引き抜かれてしまいました。

人も武器も手薄になった満州軍は、飛行機もとっくに時代おくれになった九七式戦闘機があるだけでした。

冬はマイナス二十数度という極寒で吹きさらしの飛行場では体感マイナス三十数度だった満州、その冬のさなかに春日園生中尉、西原成雄少尉は米軍機と交戦し散華しました。

「飛べる飛行機がほしい。手柄を立てれば新型機を満州に配備してくれるかも知れない」

そう願いながら。


【行進する満州国防軍】
北を守る五族の国軍_国防軍行進1.jpg




出典:1958(昭和33)年 「現代読本」第三巻第五号所収 
   
   元新京航空隊司令部高級嘱託 関東軍報道隊員 楳本捨三 「壮烈! 蘭花特別攻撃隊」


悲風満州の空を

 莞爾(かんじ) (*1)と笑みて
 無装備の
 覚悟はすでに定まりぬ
 ゆきて再び還(かえ)らざる
 基地よさらばと
 まっしぐら……

 特攻機とは、特攻行(とっこうこう)とは……片道切符なのだ。往行あって、復行のない死への直線コースである。

 青春を忘れ、恋をすて、往(ゆ)きてふたたび還らざる死への旅立ちを、若桜(わかざくら)たちが敢えて行なった心境の解明は、いま、ここでは止(や)めよう。

 しかし、かれらは往(い)ったのだ。

 莞爾と笑み、基地よさらばと、まっしぐらに敵地に突込んで散って逝(い)ったのである。

 日本には、「神風」特別攻撃隊をはじめとして、菊水、桜花等、多くの特攻隊があった。

 満州帝国にも「蘭花特別攻撃隊」という空軍の特攻隊があった。日本に於(お)いては、遂にその名さえ知られずに終ったであろう。終戦を間近にひかえた折であった。蘭花(らんか)は、いうまでもなく、満州国の国花なのだ。日本でいえば、菊水であり、菊花特別攻撃隊と呼ぶにふさわしい、そして、あとにも先にも只(ただ)一つしかなかった『特別攻撃隊』の呼称であったのだ。

 蘭花特別攻撃隊は、しかし、そう簡単には生れず、そしてまた、その名にふさわしい飛行機をもたず、苦難な途をあえぎあえぎ歩いた末、生まれたのだ。

 しかも、その存在を在満日本人すら知らない人があったのだ。


【満州国防軍】
北を守る五族の国軍1.jpg


飛べる飛行機がほしい

 昭和十八年四月、連合艦隊司令長官元帥山本五十六の戦死以来、ようやく戦況は楽観を許さなくなった。この年五月十二日には、米軍アッツ島に反抗上陸し、三十日、日本守備隊は全滅した。

 十九年五月五日には連合艦隊司令長官大将古賀峯一の戦死が公表された。そして、その真相は終戦後に至って戦死ではなかったことが語られたのである。

 クエゼリン、ルオット両島の日本守備隊全滅、ニューギニア、ビアク島への米軍逆上陸、あるいは、サイパン、グアム、テニヤンの玉砕。悲風は相次いだのであった。

 この頃の満州はどうであったろう。かつて無敵を誇り、精鋭無比を呼号(こごう)した関東軍は昔日の面影もなかった。北辺鎮護の重責をにない、敵味方から、恐るべき関東総軍とその実力を信じられていた関東軍に対して、多くの不信と、怒りが投げつけられたのは終戦、そして終戦以後のことであった。

 しかし、それは関東軍のために、あまりにも冷酷、理解なきことといわなければならなかったであろう。実に、北の守りはカガシ同然に立ち至っていたのだ。精鋭を誇った関東軍はすべて南方に投入されていたのである。

 十九年夏までに南方に転戦した各師団をあげてみるなら、

二月 第二九師団-グアム
第一四師団-パラオ
六月 第九師団-沖縄-後台湾
第二八師団-宮古島
第六八い団-台湾-後レイテ
七月 第一師団-ルソン-後レイテ
第八師団-ルソン
第二四師団-沖縄
戦車第二師団-ルソン

 ほかに第一二師団、第七一師団、第二三師団、計十二個師団がひきぬかれていたのである。北の守りのためにあった関東軍が、南方戦線において、精鋭無敵ぶりを発揮し、あるいは玉砕、あるいは全滅したが、その実力は、敵軍も舌をまき、賛辞をおしまない働きを遺して潰(つい)えたのである。

 しかも、かつての関東軍の一個師団は、常時約二万の常識をやぶり、歩兵三個連隊、(対戦車砲を含む)砲兵四個連隊、工兵二個連隊、戦車一個連隊、捜索隊(騎兵一個連隊)実に七万という一個軍の兵力を備えていた師団が多かった。

 空軍においても、例外ではなかった。対ソ守備の重大さはわかっているが、目先に迫る南方の苦戦に、未だ、戦場と化していない、満州の地から、健全なる飛行機や戦闘操縦士が南へ、南へと移され、転戦せねばならなかったことはどうにもならないことであったろう。

 満州には、第二空軍(軍司令官板花中将)が厳として存在していた。しかし、厳として存在していたのは空軍司令部だけであったといっても過言ではなかったろう。

 有能なる飛行士、優秀なる飛行機は、本土防衛と、南方戦線へまわされてしまっていたのだ。平時、在満日本空軍は、戦闘中隊八、軽爆五、重爆四、偵察二、直協三、中隊数合計五六個中隊であった。

 日本空軍使用機は、

一式戦闘機(隼)マレイ時代。二式戦闘機(鍾馗)シンガポール時代。同複座(夜間用双発)シンガポール陥落後、三式戦闘機(飛燕)四式戦闘機(疾風)、終戦半年前に満州に着。

 そして、満州国空軍使用機はノモンハンの華(はな)、九七戦(九七式戦闘機)であったのだ。

「飛べる飛行機をくれ!」

「飛べる飛行機をくれ!」

 これは、満州国空軍の戦闘操縦者の悲痛な叫びであった。満州空軍の育ての親は、ノモンハンで華々しい戦果をあげた野口雄次郎中佐(後中将-ソ連のラーゲルで死亡)であった。


一機でも墜(お)とせ!

「おれは鍾馗(二式)はほしくないな、着陸の困難は操縦者以外にはわからんのだ」

「贅沢(ぜいたく)をいうな、おれも空中勤務者 (*2)だった。機のことはわかる、脚の引っ込まぬ、旧式オンボロの九七戦より、どれだけいいと思う、速度といい上昇力といい申し分なく優秀だ」

 新京のある料亭の奥まった室で、満州国の空軍将校たちが集まって論争していたのである。

「おい、着陸の時でんぐり返るの、決して操縦未熟からじゃありませんよ、あいつの悪い性癖だ。ずんぐりむっくりしていて、すぐひっくりかえる。あいつのために、池中尉や三田少尉をはじめ、有能な操縦者がずいぶんと犠牲になっている」

「それはわかっている。しかし空戦においてだな、九七戦よりどれだけいいかといっているのだ。比較の問題だぞ。せいぜい八千、それも装備(機銃他)一切すてて空手(からて)の話だ、おい、から手でどうして空戦ができるんだ」

「九七戦はノモンハンの華か知らんが、今次大戦の花とはいえんな、まあ骨董品の部に属するよ。ノモンハンの時にだって、エス・ペーが出て来たら、てんで歯も立たなくなった戦闘機だ。今時、小学生の参観用の模型にしかならん。日満共同防衛の立場からいっても、有能な操縦士を南方にひきぬかれている日本軍は、無傷の満軍に飛行機をくれなければならんはずだ」

「飛び上ったら、着陸のことなんか考えるな!」

 君塚少校(少佐)がどなった。

「おい、おだやかでないことを言うなよ。日系軍官(日本人将校)にならいい、満系(満州国軍人)や蒙系(蒙古軍人)に、そんなことがどうして押しつけられる! そりあ、自殺しろということじゃないか」

 実際に日本空軍は弱体化していた。有能な戦闘技術を有する操縦士は、すべて南方や本土防衛に転属していた。未熟な、飛行時間もわずかな操縦士が残っているばかりである。そして、それらの未熟練者が、性能のいい飛行機を訓練中に毀(こわ)すことが日課のようになっていた。

 そこへゆくと満州空軍の方は性能の悪い九七戦で、訓練に訓練を重ね、操縦伎倆(ぎりょう)は日本軍に比してぐんと上達しているというのが、当らずといえども遠からずという批評だったろう。

 役にたつ飛行機を、役にたつ操縦士の方へ廻(ま)わしてもらおう。満州の空は、満州国空軍で護ろうというのだ。満軍には優秀な操縦陣は日系六十名以上を数え、満系三〇、蒙系二人、鮮系(朝鮮出身軍人)四、未訓練操縦士五〇という数字だったのだ。

 満州空軍は直接日軍 (*3)第二航空軍司令官の指揮下におかれていた。密議をこらした満軍の参謀たちは、板花司令官に意見を具申した。最新の戦闘機百機を日本軍から満軍の手にむしりとろうという案なのだ。その結果はニベもなかった。

「一機でも墜とせ! B二九を墜してからやる!」

 それが板花中将の答えだった。実は日本軍の方も飛行機不足に悩んでいたのであった。


月月火水木金金

 同じ日本人同志でありながら、満軍は日軍に意地や張りをもっていた。反感をもっていた。主要機たる旧式の九七戦で日夜の訓練をおこたらなかった。「月月火水木金金」は日本海軍の伝統的猛訓練の標語ではなかった。今や、満軍の航空部隊は、日本海軍の月月火水木金金を標語とし、合言葉として、猛然と空中戦の訓練にはげんでいたのだ。

 奉天は、満軍の野口中将が、奉天飛行学校長であり、奉撫(ほうぶ)地区(奉天・撫順地区)防空戦闘司令官であり、終戦近く、奉撫地区の日本空軍は、この満軍の野口中将の指揮下におかれたのである。

 そして、野口中将の部下にエース松本少校(少佐)がいた。松本は日夜、B二九撃墜の戦闘法の研究に余念がなかったのだ。

 松本少校が新京に出張して来たある夜、親友の細野少校が、自宅へ誘った。一盞(いっさん) (*4)かたむけながら、細野は、

「すると、あれか……九七戦でB二九と戦闘を交えることはまず不可能というわけか」

「高々度で、敵機が侵入して来たときはな、八千じゃ、奴のところへとどかんのだからな」

「では体当りといけばいい」

「体当り?」

 松本は、空中勤務者でない細野をかえりみて驚いた表情をしたが、

「竜車(りゅうしゃ) (*5)に向う蟷螂(とうろう)の斧(おの) (*6)というやつだ」

「たとえ斧がへし折れても、竜車に立向うという気魄は必要だな」

「大和魂だけでは、飛んでいる飛行機は落せないよ、科学には科学の戦いが必要だ。世間の人間はな、空戦の体当りをまるで、狭い道路上の自動車の衝突ぐらいに思っているからやりきれんよ。体当りほどむつかしい仕事はない。一機が一艦を、戦闘機一機が重爆一機に特攻突入できて刺(さし)違えることができたら、なるほど人間は一人で、相手は何倍、何千倍の損害だ。理窟 (*7)と数字の上ではね。それは敵機より、こっちが遥かに高性能でなくてはならんよ。足が敵より速く、敵よりも高々度の位置を占める上昇力がなくてはな……。早い話があの大きな空母や戦艦へ、あれだけ多くの雷撃機が喰い下っても、何パーセント体当りに成功しているかね?」

「…………」

「広漠たる無限のひろがりをもつあの大空で、対進上空の三〇〇メートルから五〇〇メートルぐらいがまず理想の位置というのだ。敵機の頭上で、そんな調子には滅多にぶつかるものじゃない。たまさかぶつかったとしよう、相対速度秒速三〇〇(今のジェット機ではさらに超速度となる)という超速度で、衝突点を正確に掴(つかま)えることが、口にいうほど容易かどうか? 敵機をふんばってみても駄目だ。かりに理想のところで発見しても、文字通り間髪の差ですれちがえば、こっちはそれでおしまいさ」

「すると、あれか……運?」

「まず運だね。考えてもみ給(たま)え。上昇力、速度、火器、すべてB二九に劣る戦闘機で、どうして空戦をやるのかね? 追尾するというのはこっちの足の速いときのことだ。いつでも三〇〇か、せめて五〇〇の対進上空でB二九を捕捉するには、敵機の何百倍かの戦闘機を上下左右、網の目のように配備できたときのことだ。空戦はな、敵よりも性能が上まわり、敵よりも数が多いという時、勝利を占めることができるのさ。ちょっとだけ敵が進歩した機を作れば、極言すれば、こっちの持ち駒(ごま)は全部骨董品、廃物というのが、科学の世界の常識だよ。敵機より戦闘機も少く、性能がさらに悪いのだ。かりに近づき得て、運をつかまえたとしても、こっちの着弾距離の遥か前に、こっちは敵の火網でまず火達磨(ひだるま)というわけさ。尤(もっと)も、部下にはこんな話はうまく胡麻化(ごまか)しているがね」

「B二九を撃墜するには……」

 細野のいいかけるのを松本は、

「撃墜するとは対等のときの言葉だね。せめて、千載一遇の好機がつかめたとき、敵を屠(ほふ)る戦法を考えているが……」

「…………」

「尾翼をねらうことだ。目標にもいいし、主翼やエンジンにはそう正確にぶつかれん。あいつの尾翼は大きいし、切りよい、尾翼をやればまず撃墜は間違いない。その上、体当りをやった方も、まず、三分の一、五分の一の割合で助かる公算がある」

「自殺行(じさつこう)……」

 細野は暗然とつぶやいた。

「そうだ、自殺行。結局は、自殺のための訓練だな。おれたちは今一心になって集団自殺行の訓練中さ。どうせ死ぬことが軍人のつとめと教えられて来たおれたちだ、総員死に方始めさ……」


逸(はや)る若桜たち

 隊がひけると、独身の若い隊員を松本は自分の官舎へ誘うのが常であった。隊の酒保では味わえぬものをかれは用意して、若桜たちを労(ねぎら)ってやるのが、唯一の楽しみになっていた。やがて、B二九は満州の空を掩(おお)うであろう。それは、自分も、また、この若桜たちもともに散る日なのだ。

 そして、その日も、そう遠くないであろう。シェーンノート少将の第十四爆撃隊は、大陸を基地として、満州の空を襲う日を待機しているという確度甲の情報は、すでに満州の空軍がキャッチしていたのだ。

 きょうは珍(めず)らしく、春日中尉と、まだ少年に近い西原少尉の二人だけであった。

「B二九は、満州の空襲を敢行するでしょうか?」

 西原少尉は、眼を輝やかして松本教官にたずねる。

「必至だな……満州は日本の宝庫じゃあないか」

「先日、こんなことを話しておられるのをききましたが……」

 春日中尉が口をいれた。松本はどんなことかと眼でたずねた。

「満州国といっても中国人の国です。住民の大部分は中国人ですから、その中国人に多くの死傷者を出すことは、将来、アメリカの損になる、したがって、満州空襲はそれほど大がかりにはやらないだろうというような話でした」

「そういう観方(みかた)もあるかも知れない。しかし、日、満国民の離間と、空襲によって、満州重工業をマヒさせる、満系工員の就業意欲を失わしめる、そのためにも、奴らは空襲を敢行するに違いないさ」

 松本は二人をみて、

「B二九に来られたくないかい?」

「来てほしいです! 教官どのに教えて頂いた戦法で、一機だけでも墜(お)としたいと思います……そうすれば、日本軍から、優秀機がもらえるでしょう

 春日たちの耳にも、あの板花中将の言葉が入っていたのであろう。頬を輝やかしてそういう言葉に、松本は思わずジーンとなった。いい機さえあれば……満系や蒙系の戦意を昂揚することができると、日本人の春日中尉たちも語りあっているに違いないのだ。

「春日中尉……お前はお母さんが一人だけだったな……」

 もし戦死したら……唇に出かかった言葉がのどのあたりでひっかかった。

「いいか、決して死に急いではいけないぞ。B二九に遭遇した場合、チャンスを掴(つかま)えられなかったら、次の機会をねらって必ず退避するんだ。近づいたところで、機銃二十門、いっせいに銃火を浴せかける火網で忽(たちま)ち、こっちだけが火ダルマになる……」

 若い二人に体当りという言葉が、自宅ではどうしても口にできない松本少佐だった。

「もし、幸いにして対進上空で敵機をつかまえましたら、私は教官に教えて頂いた十字戦法を用いて体当りします。私はこの戦術が一番効果があるように思えますから」

 かりに、十字戦法と松本が名附(なづ)けたのは、敵機の直前で自分の機を|字型にひねって、真正面からぶつかってゆく捨身の体当りであった。

 西原少尉は、多少でも生還の可能性のある尾翼を切断する体当りをねらっていない。自分は、この若桜たちに、生きる道を訓(おし)えるのでなくて、死ね、死ね、と死ぬ道だけを訓えて来ている。松本は暗い気持になった。


【満州国防婦人会】
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敵機ついに現わる

 昭和十九年七月二十一日午前十一時三十分。八〇〇部隊(第二航空軍団)隷下の四〇〇部隊(通信)は重慶から印度カラチへの暗号電報を傍受解読したのである。

「シンコンリョコウジュンビカンリョウ」(新婚旅行準備完了)すなわち、満州への新婚旅行────空襲の準備が完了したというのであった。

 この日、わが対空監視は失敗におわり、B二九は無防備の満州へ侵入した。高度八千-九千で見事な編隊であった。そして、それは、爆撃よりも、空中偵察、写真撮影が主目的であったようだ。

 敵はいよいよ、満州の空をねらい出した。奉撫(奉天・撫順)地区への空襲はもはや必至である。

 昭和十九年十二月七日。

 朔風(さくふう)吹きすさぶ満州の地は零下二十数度という寒さであった。広漠として吹きさらしの飛行場は体感温度三十数度に下っている。

 手も耳も千切れそうだ。地上整備員の苦労は一通りではなかった。いつ、襲来するかも知れない敵機の空爆に備えて、地上整備員は休日というものがなかった。いつでも出撃可能の態勢に自分の受持の飛行機を整備しておくことは、この寒波の吹きすさぶ満州の曠野(こうや)のような飛行場では、言語に絶したものであった。

 頬は今にも割れるかと思うし、睫(まつげ)には樹氷のようにつららが下って、眼をしばたたくと針を刺されるような痛みを覚えるのだ。

 敵機は三つのコースのいずれをとるか、それによって飛び上らなければならない。今日までは日本全土、朝鮮、満州すべての航空全管区が飛びたって哨戒任務についた。油の消費は厖大(ぼうだい)な量となる。そのため、まず、日軍で新司偵(新司令部偵察機)が前線へ出て、〇〇時〇〇分何機東へとか、南へとか無電を送ると、その管区だけが哨戒につく。

 この日はわけても寒気がひどかった。酷寒期はエンジンの始動を拒みがちである。

 戦闘指揮所の無電は、B二九の編隊が満州に向いつつあるという電報を受けた。

 今度は新京か奉天 ─── まず奉天に間違いない。新京は関東総軍司令部や、政府、協和会 (*8)中央本部等の所在地であり、政治の中心ではあったが、アメリカ側はおそらく、新京など重視していないに違いない。奉天は満州航空、満州飛行機、その他重要生産地帯をひかえた大都市である。鞍山(あんざん)は日本空軍だけが護りについていた。

 全搭乗員は一せいに戦闘指揮所に集合した。奉撫地区は日本軍飛行隊も、満軍飛行学校長野口中将の指揮下に入る。編隊の去った後、サイレンやブザーの鳴るような第一次の醜悪はさらしたくない。

 松本、長谷川、新妻、前田、林、金森、載(さい)、日満鮮の各空軍の猛者(もさ)たちに交って、若鷲の春日中尉と西原少尉の、少年のような黒い瞳が飛行帽の下に光っていた。


体当りに装備はいらぬ

 刻々無電は入る。敵機の針路 ─── 奉撫地区。全員愛機のもとに馳(か)けつける。これが最後。微笑を交わして走り去った。戦闘指揮所の側の地上に、野口中将の見送りを受けながら。

 プロペラの爆音が、一瞬空地を圧し、次々に砂塵をまいて飛びたってゆく。あのノモンハンの親鷲野口部隊長とうたわれた野口中将は、ノモンハンの空戦に片腕を失って、今は、すでに翼のない親鳥であった。

「あッ……あれは誰のか?」

 思わず地上の道畑参謀が声高く叫んだ。一機、又(また)一機と舞い上り、低く旋回の別れの翼をふって翔(か)け去る中に、ただ一機の周囲を数人の地上整備員が狂気のように舞い走っているのだ。

「春日中尉機はエンジン故障のため、飛べないらしい」

 もう飛行機は一機もない、春日が小さな人形のようにみえる。狂気のように愛機にのぼったり、地上へ飛び下りたりしている姿が可憐(かれん)に痛々しい。春日の整備兵五、六人は、愛機に抱きついて故障個所(かしょ) (*9)を点検修理しようとしているが、どうしても始動がかからぬ。全機出撃し、もう空のかなたへ消え去ってしまった飛行場は、広々とした原野の姿のように侘(わ)びしい。

 春日の故障機と、そこに一機置き去りに忘れられたような一機だけだ。毀(こわ)れた飛行機なのか? 春日中尉は愛機をふりすてると、そいつに飛びのった。

「春日中尉どのゥ……」

 整備員は驚愕した。追っかけながら、

「中尉どの……練習機に乗られる気でありますか?」

 思わず叫ぶ。もう風防ガラスを閉めた中で、春日は淋しく微笑んでみせた。体当りに装備はいるものか……そう思っているのか? 装備がなければそれだけ高度がとれる。高度から突込みをかける、とっさにそう考えたのか?

 手なれた愛機はきょうに限って毀れているのだ。死ぬときはお前と一緒(いっしょ)と約束していた愛機は、何という情けない仕打ちか、微動だにしてくれない。ぽつん ─── と侘びしい姿を飛行場にさらしたまま。

 僚機出撃した今、どうして残っていられよう、若い未完成の思想は苛立(いらだ)ち焦(あ)せるのだ。たとえ練習機であっても ───

「中尉どの ─── 中尉どのゥ ─── 」

「これには装備(機銃)がありません!」

 思いとどまってくれという必死の声を張りあげて、胴体をはげしく叩(たた)いた。声はきこえないのか、きこえたのか、きこえて答えないのであろう、風防ガラスの中の春日中尉は、

「いい……いい……」

 と眼顔で言ってみせている。皮肉にも練習機の方は、エンジンがかかった。砂塵をまいて離陸すると、戦友たちの頭上を二度三度、翼(よく)をふって消え去った。

 第二航空隊全機出撃、練習機を交えて……しかも、それは三個編隊わずか十八機というさびしさであった。

「何だってお前たち止めないんだ。いくら何(な)んでも装備のない練習機にのせるやつがあるか」

 口では言ってみたものの、野口中将もかつてはエースだった。飛ぶだけ飛んだら帰ってくるであろう ─── 心で、そう思い、空の荒鷲(あらわし)の若い時代を思い出していた。愛機が故障です ─── といって残っていられるわけがない。

 春日中尉も自殺行に飛びたって行ったのだろうか。空の竹槍(たけやり)突撃に、かれは、その竹槍さえ持たず。

 春日中尉は遂に帰還しなかった。


数十万の目撃者

 その日、奉天の市民は日・満・鮮・白系露人 (*10)、あらゆる民族が、はじめての空中戦の恐怖を忘れて、防空壕の傍(かたわ)らでみつめていた。

 大鷲(おおわし)に挑みかかる小雀(こすずめ)よりみじめに小さい友軍の飛行機をみとめた。小雀は、その大鷲の後方に向って落下していった。体を投げつけるように、吸い込まれでもするように……

「あッ……」

 数十万の眼が、けなげな小鳥の姿を見たのだ。B二九のどこに当ったのか、空の戦艦のようなB二九が突然火を吐いた。

「あッ墜(お)ちる!」

「足を出したままの飛行機だ」

 素人(しろうと)の眼にも、足の引込まぬ飛行機の古ぼけた痛々しい姿はわからない筈(はず)がないのだ。

 空戦の知識や、飛行機への開眼が、ようやく市民の心にももたれるようになった頃のことであったからだ。

 数十万の目撃者は、その足をにょっきり出したままの小鳥は、敵機に近づいても一発の機銃も射たないことを奇異に思って見つめていたのだった。

 B二九の残骸とともに、木葉(こっぱ)みじんとなった春日中尉機の残骸が発見された。

 満州におけるB二九との初空戦に、最初の体当り撃墜の偉功(いこう)をたてたのは、満軍の航空隊であった。満軍の……しかも、九七戦ですらない、無装備の練習機であったのだ。

 戦闘指揮所に電話連絡があった。夕闇をついて春日中尉の遺骸を収容に出て行ったトラックはまだ還(かえ)らなかった。

 その日も ─── 春日中尉の老母は、防空壕のかたわらで、空に向って合掌していた。

 警報のなる度に、老母は、そうするのが習わしとなっていた。自分の独(ひと)り息子のためばかりではなかった。同僚、先輩の武運を祈る切ない思いからであったのだ。

 関東軍司令部発表は、日本軍「熱風号」の搭乗員とともに、春日中尉の体当りを発表した。

 満軍における二階級特進は春日中尉がはじめてであった。春日少校(少佐)となったのであった。初撃墜であり、満軍航空部隊における空中戦の戦死者は、これまた春日少校が最初だった。

 「蘭花特別攻撃隊」の隊名が生まれた。マングンと蔑視された満州国軍が見直された。春日中尉の歌が作られた。

 森繁久弥の作詞、作曲、吹込(ふきこ)みの「みどりみどり草原をこえて……」という春日少校のレコードが町で売り出された。


つづく荒鷲の体当り

 松本編隊長は、部下の春日を戦死させて以来、死所(しにどころ)を求めているように人々には思われた。奉撫地区への空襲は頻度を加えたのだ。松本は死を求めて空を彷徨(ほうこう)する巡礼者のようになっていた。

 きょうの出撃に、松本は高度五〇〇〇をとって哨戒についていた。その松本編隊長機に呼び出し符号がなった。

「サクラ……サクラ……高サ七〇〇〇……七〇〇〇」
(松本編隊長高度七〇〇〇に待機せよ)

 松本はぐっと操縦桿を引いた。諸方に散った部下僚機も、それぞれ高度七〇〇〇に上昇した。もう九七戦ぎりぎりの戦闘位置だった。

 B二九の第一、第二編隊は高度八〇〇〇で爆撃行をおわって通過し去った。第三編隊を大空で待っていると、第三編隊は戦闘指揮所の意表をついて高度五〇〇〇で入って来た。松本編隊長はそれを真上に近い二千メートル上空で発見したのであった。

 そのまま急降下をかけるなら、眼球が飛びだしてしまう。僚機はさすがにその技術はなく、B二九の通過を見送るほかはなかったのだ。松本編隊長は狂乱したのか?

 突如として七〇〇〇の上空から背面ピッケで九機編隊の真只中(まっただなか)めがけて急降下した。

 B二九の搭乗機関砲、機銃一機二十門、九機百八十門はいっせいに火を吐いた。この気狂(きちが)いじみた小鳥に向い、銃火の弾幕が一瞬、火の海となってとりつつんでしまった。

 隼(一式戦闘機)ですら着弾距離は三〇〇であった。松本機の機銃が火を吐くまえに、松本機は一個の火焔(かえん)となって、その火網の中の一機をめがけて突っこんでいったのだ。B二九の第三編隊は、この狂った小鳥のために崩れた。その崩れた編隊の穴の真中(まんなか)を火ダルマとなった松本機は投げ槍(やり)のように落下していった。

 僚機ばかりではなかった。地上の人々の眼もこの離れ業(わざ)をただ手に汗して見守っていたのだ。一旦(いったん)落下した松本機が火ダルマのまま機首を立直(たてなお)して、一個の幽鬼(ゆうき)のような姿で、ふたたび上昇したが、力つきたのか、たちまち錐(きり)もみ状となって煙霧深い奉天市外へ、その視野から消えさってしまった。

 それが松本少校の機とは知らず、それを見た人々は、今もって、

「まるで幽鬼の執念のような気持がした。思わず背すじに水を浴びせられたようだった」

 と語ったものだ。米のミッチェル、伊のドウエ、満軍の松本……と酔うと無邪気な自慢を口癖にしていた松本も、ついに尾翼、十文字戦法の体当りに、初志を貫くことができず死んだ。

 しかし、あの少年航空兵のような西原少尉は完全に十字戦法を敢行して敵一機を撃墜した。この発表には日軍、第二空軍との間に華々(はなばな)しい論争が展開されたが、西原の愛機の発動機が、明らかな証拠を示していたのであった。

 同僚、先輩の武運を。やがて満軍の航空隊にも優秀機が配分されるようになった。しかし、すぐ終戦となり、満州帝国もこの地上から消滅した。

 だが「歌」だけはまだ残っている。 (*11)   (完)


【写真出典】

  • 最終更新:2016-03-14 09:08:52

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