【梓隊】高久健一
高久健一
東北大学
神風特別攻撃隊梓隊、昭和二十年三月十一日内南洋ウルシーにて戦死、二十二歳
土浦日記その他
九月十日(昭和十八年)
九日、駅前の感激を後に十一時土浦着。
練習生娯楽室にて父上と叔父上と面会、一時間を過した。門までお送りしてその後ろ姿に固き決意を誓った。夜、釣床をかけたらうまくゆかない。しかし一生懸命やる。八時半就寝。
九月十四日
今日は当直学生だ。俺がエゴイストでない限り、班の者に徹底的に命令を下すことが出来ねばならない。
九月二十五日(土)
午前八時第一練兵場に集合。分隊長より科別申渡しあり。俺は勿論(もちろん)飛行。しかも二ヶ月基礎訓練三ヶ月目
十二月には飛行。
十二月には飛行。
俺は今日決意の至難を知った。身振ひする。
決意もまたやはり烈しい過程の中に生れるものであらう。俺は希望と懐疑に満ちてゐる。
俺の心は河口も判(わか)るだらう。
決意! 決意すること! 訓練への無! 無! 決意!
九月三十日(木)
父上より速達にて東北大入学に関する件あり。われ大学に未練なし。然(しか)れども休学になるとは夢想だにしなかつた故、新(あらた)なる勇気が湧いて来た。母の加護に深い感謝を覚ゆる。
十月一日
九月三十日付を以て海軍予備学生を命ぜらる。俺は勉めて無言と実行を決意した (*1)。俺の出発は始まる!
國に殉じ得る。その自信は我々の日課に於ける細部の実践により生ずるものではなからうか。
無言実行!
附言す。実行とは従順なり。
十月十一日
午前中、分隊長の訓話あり。「私」「我」を失するを云々(うんぬん)された。俺は聞いてゐる中(うち)にだんだん心の固まるのを禁じ得ない。断じて強く生きる。弱くなるな。何事にも己の身体を打ちつけよ。貴様は他に負かされるな。真直ぐに進め!
十月十二日
恵美子よりの元気な手紙に思はず微笑む。栗が出たさうな。今日は満月ではないだろう。
土浦の月も美しい。栗明月 (*2)には家では大賑(にぎわ)ひであろう。夕飯のことを書いて来たが、想像に難くない。母上に便りする。
十一月二日
適性検査日。
平均良とは言ひ難い。偵察 (*3)かも知れない。
最後の速調は我ながら良かった。
操縦ならんことを希(ねが)ふ。
久し振りにて夕食が美味しい。
汁粉を母に飲ませたい。
明日は明治節の佳日、晴れるやうに。
十一月四日(木)
札幌の子供達より千人針と寄書(よせがき)が来た。
久し振りに教へ子の筆蹟をみて感慨無量なるものあり。俺の教員生活は詩そのものであり、そしてそれは烈しかった。
みんな元気であるやうに。風邪引くな。
なつかしい絵巻である。
基地より
皆様 御壮健の由(よし)私も至極元気にてやりをります。写真、京子よりの便り、また只今(ただいま)父上よりの速達拝見しました。英二も鹿屋に居(お)ります事とか、大元気の様子だつたらしく安心しました。英二の同期生で私の所に居る者から「英二君の兄さんでせう。」と聞かれて驚きました。英二は其処(そこ)でとまるでせう。安心された方がよろしいです。宮崎は暖く、今日は風がありました。秋田とは雲泥の差であります。
秋田は百年振りの大雪とかで、みな様の御苦労がしのばれます。母上もあまり御心配なされず、専一(せんいつ、せんいち) (*4)御健康に御注意下さい。私は絶対大丈夫です。岩井も実に惜しいことをしました。皮肉なもので、今は岩井と一緒に暮して来た者とも顔を合せてます。いろいろと聞きましたが立派な最期とのことでした。此所(ここ)は天照大神の天孫降臨、八紘一宇の大精神発祥の御地として高千穂の峰をいただき、有明の海をのぞみ、櫻島の白煙を見る所です。
母上も京子も戦勝を迎へるまで必死に頑張つて下さい。特に母上は御身体に御留意なされ、決して無理なさらぬやう偏(ひとえ)に御祈りいたします。
霜焼けも、宮崎に来たらいつぺんに全快してしまひました。豊橋に居ります時にはちよつと苦しかったですが、退屈しのぎにこれもよいでせう。毎年やるので、また味もあるわけでせう。
ハッハッ………
写真は函館の家二軒と小原さん、あと気づいた所にやつて下さい。あんまりふり廻さぬやうオヤヂに言つて下さい。
父上も非常に御苦労してゐられることと拝察します。少し苦しい時には父母様の写真をみますとそれは消しとんでしまひます。
母上もあまり山歩きをして身体をこわしませぬやう、洋三君、恵美ちやんも元気に愉快にやつてゐてくれることでせう。心身共に立派になつて、大いに頑張つて下さいよ。
京子は店の方どうなつたかな。一旦やり始めたものは、倒れるまでやつてみなさい。キャビネ版 (*5)の写真(和装)と洋装の写真があつたね。あれを送つてくれ、恵美子のも。
秀ちやんは元気かな。相変らずあばれてゐることと思ふ。美和子ちやんはどうしてゐますか。臣坊は? 武子叔母さんも元気のことと思ひます。井川の家、前田の叔母さんは? 佐藤一家はどうしてゐますか。信太郎様にもよろしく伝へて下さい。
母上様、健一はこの通り相変らずですから何卒御安心下さい。絶対大丈夫です。
あんまり御無沙汰しましたので愉快なところを一筆しました。健康には手荒く注意してゐます。毛の靴下がありましたら御送附下さい。どうも不精な事ゆえ汚ない字でかんべんして下さい。
あんまりしんみりなつて書くとどうもイケマセン。今日はこれでやめます。
御身体はくれぐれも大切に。
健一拝
母上様
京子江
宮崎からの訣別 (*6)
父母上様
御壮健の事と御察し致します。
健一も頑健です。
期熟し我行く。
感奮興起(かんぷんこうき) (*7)惜(おし)く能(あた)はず。
御祝して下さい。健一も愈々(いよいよ)〇〇〇に転勤になりました。
内地 (*8)ですが訓練後遠からず南の驕敵を粉砕する事になるでせう。
絶対に御安心下さい。
断じて行へば鬼神も之(これ)を避く。
御健康をひたすら念じております。
健一拝
御父母様
【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
- 【*1】 不言実行は帝国海軍の美風であった。〔出典:1944(昭和19)年 海軍省監修「海軍予科生徒志願指導書:海軍兵学校・海軍経理学校」~不言実行は帝国海軍の伝統である。文句を言はず不平を漏らさず、黙々と任務を遂行するのである。本校の教育は、訓育を基調として、実行力ある逞しき士官、気魄あり強靱なる指揮者を作るにある。従って本校の志願者は、言論の人より実行の人を望むのである。〕
- 【*2】 (栗をそなえるからいう)陰暦九月十三日の夜の月。豆明月
- 【*3】 海軍予備学生は「海軍予備学生教育綱領」により入学から三ヶ月後に適性検査を行い、操縦術専修者と偵察術専修者とに種別された。学生たちの希望はもちろん操縦術専修者に選ばれ、航空機搭乗員(パイロット)になることであった。〔出典:「第7類 教育訓練(5)~「第七類 教育訓練 海軍練習航空隊教育綱領」第二十八条 飛行予備学生ハ海軍予備学生教育綱領ニ依ル基礎教程終了後之(コレ)ヲ操縦術専修者ト偵察術専修者トニ種別ス 飛行予備学生ノ術科教程ハ之ヲ練習機教程及実用機教程ニ区分シ操縦術専修者ニ在リテハ各教程ニ於テ更ニ特修別ヲ左ノ如ク種別ス〕種別後、操縦術専修者は筑波、霞ヶ浦航空隊へ、水上機は鹿島航空隊、偵察術専修者は鈴鹿航空隊などに入隊して訓練を積んだ。〔出典:1944(昭和19)年 海軍航空本部「海軍飛行予科練志願読本」~共に学び共に鍛へた兄弟以上の同級生も、いまは操縦、偵察とそれぞれ別れ、筑波、霞ヶ浦航空隊、水上機は鹿島航空隊、偵察は鈴鹿航空隊等と、すつかり離れてしまふ。〕
- 【*4】 もっぱらそれにうちこんで他をかえりみないこと
- 【*5】 手焼き写真のサイズ(120×165mm)。機械焼きの2Lサイズ(127×178mm)に相当する。現在のB6サイズ位の大きさ。
- 【*6】 けつべつ。別れること
- 【*7】 心がふるいたつこと。感奮、興起ともに同じ意味
- 【*8】 日本国内
- 最終更新:2015-12-06 04:03:17