【旭日隊】吹野 匡
吹野 匡
京都大学
昭和二十年一月六日神風特別攻撃隊旭日隊に参加、比島(フィリピン)方面にて戦死、二十六歳
遺言状
母上様
私は永い間、本當(当)に御厄介ばかりおかけして参りました。色々の不孝の上に今又母上様の面倒を見る事もなしに先立つ不孝をお許し下さい。
昨秋、私が海軍航空の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思ひます。常識的に考へて、危険性の少い道は他に幾等(いくら)もありました。国への御奉公の道に於ては、それでも充分果されたかも知れません。併(しか)し、この日本の国は、数多くの私達の盡(尽)きざる悲しみと歎(なげ)きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、又、今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。私の母上はこの悲しみに立派に堪(た)えて、日本の国を立派に栄えさせてゆく強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂ひもなしにこの光栄ある道を進み取る事が出来ました。私がいさヽさかなりとも国に報ゆる所のある益良雄(ますらお)の道を進み得たのも、一に母上のお蔭(かげ)であると思ひます。
母上が、私をしてこの光栄ある海軍航空の道に於て、輝かしい死を、そして、いさヽかの御奉公を盡させて下さったのだと誇りをもって言ふ事が出きます。
美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河とのために死んで行きました。
母上様
永い間御心配をおかけ致し、今日迄にして戴きました御恩を酬(むく)ゆる事なく今また先立つ不孝誠に申訳(もうしわけ)ありませんが、之(これ)も大君の為、国の為の立派な御奉公なれば、喜んで御許し下さる事と思ひます。
何等(なんら)思ひ残す事なく限りなき満足の心境を以て、笑って敵艦に体當(当)りした私の姿を想像下さい。
海軍航空隊に生活して、初めて私も悠久の大義に生きる道を悟りました。戦地に来て未だ十日ですが、私の戦友部下達の相當の数が既に戦死しました。此等(これら)の友と部下達の事を想ふと、生きて再び内地 (*1)の土を踏む気持にはなれません。
私は必ず立派に戦って、悔なき死場所を得る積りで居(お)ります。
皇国三千年の歴史を考ふる時、小さな個人、或(あるい)は一家の事など問題ではありません。我々若人の力で神洲の栄光を護り抜いた時、皇恩の廣(広)大は小さな一家の幸福をも決して見逃しにはしないと確信します。
勿論(もちろん)、皇恩の餘澤(余沢)を期待される母上ではないと信じますが。
つまらぬ事を書き連ねましたが、要は、私が、心から満足して立派に死んで行った事を知って、母上から喜んで戴ければよいのです。百枝(註・妹)や叔母上様方にもよろしくお傳(伝)え下さい。
呉々(くれぐれ)もお身体を大切に長生きされて、日本の隆々と栄ゆる御代の姿を見とどけて下さい。
では、さやうなら。
昭和十九年十二月三十一日
母上様
【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会編 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」
- 最終更新:2015-11-30 06:48:33