【旭日隊】三宅精策

三宅精策

神戸高等工業学校
神風特別攻撃隊旭日隊、昭和二十年一月六日比島 (*1)方面にて戦死、二十二歳


 母上へ

 一七・一〇・二六 (手紙)

 お母様お風邪をお召しになったさうですが、もう宜(よろ)しゆうございますか。お忙がしい時に僕が行ってお気をお使ひになったからですね。不断は手紙を出さなかったり、時々憂鬱になるだけで好(よ)い子の積りなんですが、お母様のお側へ行くと駄々っ子になってしまふのです。これから段々に寒くなる一方ですから、御無理をなさらぬやう随分御注意下さい。

 今夜から秋宗さんへ行く時だけ袷(あわせ) (*2)を着ることにしました。部屋の内はそれでも未だ暖かなので、袷は比較的長い間着ますから、家では当分「セル (*3)」を着てゐます。護の方は円満に解決が附きました。

 高工生活は充分意義があると思ひます。

「あの我儘(わがまま)が何を云ふか解(わか)りはしない」 とおっしゃるかも知れませんが、お母様のお側にゐると全く駄目なのです。

 では今日は、これで。充分御身体お大切に。

                               精策

 母上様

 二伸
 風邪ももうすっかり癒(なお)りました。


 一八・九・二七 (葉書)

 御機嫌如何(いかが)、私は至って元気。適正検査合格愈々(いよいよ)海鷲 (*4)の卵と決定。引きつヾき当隊に在隊。当分面会謝絶。小包は一切送って下さいますな。時節柄御身お大切に。


 一九・五・二〇 (葉書)

 前略 突然こんな所から手紙を出して、さぞかし驚きになる事でせう。いよいよ決戦の大空に雄飛する事が出来ます。三宅学生は某地に向ひました。彼もやるでせう。前線で再び会ふ日を楽しみにして待って居ります。お母さまも御安心下さい。いづれ又御会ひする機会もあろと思ひます。が降るともつかぬ天候不順の折、お身体に萬々の御注意を!


 一九・六・二〇

 無事


 十九・一〇・二五

 極めて健康



【出典】1953(昭和28)年 白鷗遺族会 「雲ながるる果てに-戦没飛行予備学生の手記-」

 

  • 最終更新:2016-02-16 12:35:35

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