【捷号作戦】艦隊特攻-レイテ沖海戦-(後編)

神風特攻隊進発す

 海戦の運命を決定的に左右する基地航空部隊の活動は、作戦開始以来いっこうに冴えなかった。

 第一回総攻撃の二十三日、ついに天候不順のため作戦を中止した一方、二十四日未明第二回の総攻撃を行ったがこの日も依然天候悪く、比島東方海面でわずかに空母、巡洋艦各一隻を撃破したという報告があっただけである。

【1944(昭和19)年10月24日朝|対空警戒航行序列 (*1)
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【対空警戒航行序列についた第一機動艦隊|米軍撮影】
写真左から重巡羽黒、重巡妙高、駆逐艦、戦艦大和、戦艦長門、駆逐艦の一握りの部隊がヒタと寄添い運命のサンベルナジノ海峡に向って急いだ。
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 それ以来ぷっつりと連絡を絶って沈黙する基地航空隊に対して、海上部隊はいかに切歯扼腕(せっしやくわん) (*2)して攻撃の再開を待ったことであろう。

 せめて飛行機千機、これに加えてマレー海戦当時の練達の搭乗員があったなら戦局は一挙に挽回し得るであろうに……艦隊は涙をのんで口惜(くや)しがった。

 とぼしい飛行機と未熟な航空兵、その上に課せられた使命は背負いきれぬほどの重荷だった。

 あれほど栗田艦隊が犠牲の血を強いられていた二十四日も、矢のような救援の催促にかかわらず、依然として悪天候のために活動も思うにまかせなかった。

 大西、福留の基地司令官は、いかにこの苦境を悩んだことであろう。そしてついに大西中将は、友軍の危急を救うために最後に特攻隊編成の断を下したのである。

【大西瀧治郎海軍中将】
大西瀧治郎少将_250.jpg

 聯合艦隊の捷号作戦要綱に「今夜作戦に特攻兵器を準備する」と特にうたわれていたが、基地司令官としては、たとえ自ら志願した特攻隊とはいえ、上官としてこれを許容するにしのび難いところがあった。

 しかし、航空作戦の成果がまったく挙らず、全作戦に多大の影響があると聞いた一部の青年将校 (*3)たちは、自ら志願して特攻隊となることをたびたび上官に進言した。

 そしてその熱意がついに届いたのだった。特別攻撃隊がはじめて編成されたのは二十日であった。

【最終攻撃目標である東京を指し示す司令長官チェスター・W・ニミッツ提督】
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【ハルゼー中将が血祭りにあげたサイゴン。貯油所の黒煙がメコンの流れを暗くした】
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【日本船団を撃沈しつくしたハルゼー|1945(昭和20)年1月12日】
タンカー4隻、貨物船6隻、護衛艦7隻。米軍は日本人であれば非戦闘員でも迷うことなく殺戮した。
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【懸命に逃げる丙型海防艦、背後はB25】
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【写真上の直後-爆弾命中、目をおおう惨状、艦橋のあたりは一人も生きていまい】
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 伝えられるところによると、第一次特攻隊は全隊員集合の前で司令自ら隊員に訓示すると、言下に十数名の隊員が、司令の声に応ずるように一歩前に進み出た。

 そしてこの志願者の中から、各人の家庭その他の事情を参考にして選ばれた。かくて第一次特攻隊としていわゆる神風特攻隊敷島隊が編成されたのである。氏名は次の如くであった。


 海軍大尉    関 行男 戦闘三〇一飛行隊

 同一等飛行兵曹 中野盤雄(やすお) 同

 同       谷 暢夫 同 三〇五飛行隊

 同飛行兵長   永峰 肇 同

 同飛行上等兵  横黒繁男 同 三一一飛行隊


 敷島特攻隊は二十日、二十一日と敵を索(もと)めて出動したが得るところなく空しく引揚げた。

 関大尉は敷島隊隊長として二度の失敗にいたく心を痛め、以来寝食を忘れて攻撃手段について検討をつづけていたが、二十五日比島東方海面で敵機動部隊群に殺到、空母エノーラーゲー (*4)に二機命中してこれを撃沈、他の空母数隻に損傷を与えた。

 比島海戦を通じて、最もはなばなしい戦果であった。

 二十五日、この特攻隊が比島基地を出発する日、大西長官も見送りにきて隊員の一人一人に対し、

「諸君の死は決して、無駄にはしないよ」

 と手を握った。

 関大尉の乗った飛行機は、六十キロ爆弾を積んだ単座式戦闘機 (*5)であった。

【フィリピンのマバラカット基地を発進する第一特別攻撃隊敷島隊の爆装 (*6)ゼロ戦】
1944(昭和19)年10月25日午前7時25分、隊員24名、ゼロ戦24機よりなる史上初の特攻隊は、敷島、大和、朝日、山桜の4隊に区分され別個に出撃した。世界は白人のものである。白人は有色人種の台頭を決して許さない。日本人はアメリカの世界経済一極支配、ソ連の世界同時革命、白人の根深く非人道的な人種差別、そしてそれらを操る国際金融資本 (*7) (*8)に反抗する。日本人絶滅の危機を回避するため、アジアの未来を背負って特攻隊は飛び立つ。
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【敷島隊、彗星隊、若桜隊の攻撃を受け沈没した護衛空母セント・ロー】
その他護衛空母キトカン・ベイ小破、護衛空母カリニン・ベイ大破、護衛空母ホワイト・プレーンズ不明、飛行機128機を破壊した。
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 大西中将はその後或(ある)人に、

「若い連中がどうしてもやらしてくれというからやむを得ず取上げた。日本が亡びる時に蹶起(けっき) (*9)する青年がなかったら、後世の日本人がどんなにか淋しがることだろうよ」

 と涙とともに語ったという。

 大西中将はその後転じて軍令部次長の要職にあったが、日本敗戦とともに自刃して果てた。

悲劇の艦隊はなお進む

 栗田主力艦隊のこの悲報は、全海軍部隊に異常な衝撃を与えた。

「栗田本隊パラワン海で被害甚大」

「妙高沈没」

「武蔵大空襲で被爆多数」

「大和被雷」

 相ついでの悲電に全軍は愕然として色を失った。

 七万五千トン、世界最大を誇った「武蔵」沈没──この悲報は何ものにも比べ難い悲痛な衝撃であった。

【右に回避運動をしつつ対空戦闘を行う戦艦大和、武蔵、長門|1944(昭和19)年10月24日】
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 攻撃隊の成果ついに上らず、意気銷沈 (*10)した機動艦隊にとって、栗田艦隊の運命は明日のわが運命である。

 作戦計画のすべてがその緒戦において狂い今やどうすることも出来ない。ちょうど、大きな歯車が廻転をはじめるとそれを止めることが不可能となるように。

 暮色がしのび寄ってきた。

 あかあかと照り映える南海の夕焼がやがて水平線に最後の光を残して没し去ると、急速に夜のとばりがあたりを包む。

 敵の重囲の中にあるわが艦隊にとって、今では、夜の闇だけが艦隊の安全を護る唯一の頼みであった。

 数時間後に迫った決戦に備えて、戦闘服の水兵たちが砲塔の陰に、羅針艦橋の片隅に、汗びっしょりになりながら、わずかの仮眠をむさぼっている。

 波浪高く巨艦も大きくゆれ、くだける波頭に、夜光虫が不気味に光っていた。

 黒い一団のかたまりのようになった艦隊は、巨大な煙突から赤い熱気を噴きあげながら南の戦場につき進む。

 闇をついて遥かな海上に明るい閃光がいなづまのように光る。

一度はほおえむ運命の神

 X日──この日は全海軍が守勢から大攻勢に転ずる待望の日であった。

 前日二十四日の大空襲で「武蔵」「妙高」が沈没又は脱落し、他にも大損害をうけた栗田艦隊は、一旦西方に退避、栗田中将は「航空の掩護なき艦隊がこのまま前進を続行することはいたずらに犠牲のみ多く一時避退(ひたい)して再挙を計ってはどうか」と聯合艦隊司令部に意見を具申したが、豊田長官は「艦隊は予定通り天佑を確信し突撃せよ」の断乎たる命令を発したのである。全軍死地に赴け、というに等しい命令であった。

 栗田艦隊は再び針路を東にとり、まっしぐらにレイテ湾へ進撃した。二十五日未明、狭隘なサンベルナジノ海峡を通過して南進、一路目指す敵地へ向う。

 午前三時すぎ艦隊はサマール海岸をかすめ、日の出一時間前の五時三十分、昼間の対空警戒輪型陣をとった。

【対空警戒輪型(形)陣とは】
艦隊の隊形の基本隊形であって、空母中心、戦艦中心と形は種々あるが、空母の場合は空母を中心にし、そのまわりに戦艦、戦艦のまわりに巡洋艦、そのまわりに駆逐艦と輪になって進んだ。 (*11)
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 すでに「武蔵」を失って二隻となった第一戦隊「大和」「長門」、その左舷寄りに第三戦隊「榛名」「金剛」の四戦艦を中心として左右に第七、第四、第五戦隊、第二、第十水雷戦隊がつづいた。

 決戦の海は美しく晴れているが波は高い。

 日の出をすぎた六時二十三分「大和」の電探は敵触接機をさぐり、針路を真南にとって、最大戦速で目的地に突走った。

 それから四分後「大和」の見張員は南東方のはるか水平線上に突如として敵の大機動部隊を認めたのだった。しかも空母七隻を含む巡洋艦、駆逐艦多数、正に求めても得べくもない好餌であった。

【敵艦隊を追撃する戦艦大和】
敵艦隊を追撃する大和.jpg

 真に天佑とはこのことであろう。運命の神はようやく我にほおえみかけたのだ。

 栗田長官はこの時の喜びを次のように大本営に報告した。

「わが艦隊は天与の神機(しんき)を得、全力をあげてこれを追及せんとす」

 艦隊はこれを追ってまっしぐらに敵艦隊群に向って突進した。

大和の巨砲火をはく

 午前六時五十九分、視野四万ヤード (*12)はるか水平線に煙幕をはりながら逃げまどう敵艦隊が望見される。直ちに戦闘開始命令のブザーとともに、まず「大和」の十八インチ (*13)巨砲が一斉に火を吐き、つづいて各艦も猛射をあびせかけた。

 水雷戦隊は全速をもって敵の内懐(うちふところ)に突込もうとする。

 戦勢はわれに有利に展開していた。追われて必死に逃げる敵艦は、相ついで火を噴き燃え上った。

【米空母機の反復猛襲にさらされる日本艦隊|1944(昭和19)年10月25日】
水上艦艇から撃ち上げられる対空砲火の弾幕が上空をおおっている。
19441025米空母機の空爆を受ける日本艦隊.jpg

 この時の「大和」の十八インチ巨砲はすばらしいものであった。

 最初の斉射をうけた一隻の駆逐艦は忽(たちま)ちその姿を消した。

 ついで七時二十五分、右舷に望見した駆逐艦に斉射をあびせ、二分後に爆沈した。

 その十分後の三十五分、空母一隻を見る間に炎上させ、同五十一分、一万一千ヤードに迫ってきた駆逐艦に対し十二インチの副砲をあびせてたちまち撃沈。

 午前八時三十四分さらに二万ヤードの距離にあって肉薄する駆逐艦は、巨砲の斉射を浴びて見る間に撃沈した。

【戦艦大和18インチ(46センチ)主砲が空前絶後の威力を敵艦に向って発揮】
米空母部隊の先頭駆逐艦が必死の煙幕を展張する。砲弾の真白な水柱が立つ場所に敵空母がいるのだろう。
19441025大和46糎主砲.jpg

上の砲撃を別の角度から撮影した写真であろう。
19441025大和主砲.jpg

【護送 (*14)空母ガンビア・ベイを追いつめる巨弾の水柱】
夾叉(きょうさ)射撃 (*15)の伎倆まさに抜群といってよかろう。
19441025大和ザンビアベイ.jpg

【米軍の煙幕をくぐって米艦の至近にすさまじい勢いで落下した大和の砲弾】
米軍撮影の写真には「この日史上最悪の日」と記されていた。
19441025大和巨砲米軍至近弾.jpg

 当時「大和」司令部はこれらの駆逐艦はいずれも巡洋艦、空母は制式 (*16)空母と誤認したが、戦後、これは間違いでいずれも駆逐艦と護送用空母であったことが確認されている。

【被弾した戦艦大和】
前部第一主砲塔直前に爆弾の直撃を受けたが、被害は小さかった。
被弾した大和前部第1主砲塔直前.jpg

 好機をとらえた他の各艦の活動も又すばらしいものであった。

 艦隊司令部から報告された戦果は、「空母三隻撃沈、巡洋艦二隻撃沈、駆逐艦三隻撃沈、一隻大破」となっている。

 しかし栗田艦隊は敵を追及のあまりバラバラになって行動し、各隊の連絡も思うにまかせなかった。

 米艦隊の反攻も勇敢であって、巧みに煙幕をはってのがれ、スコールを利して日本艦隊の分散誘導につとめ、栗田艦隊は知らず知らずにこの魔術にかかっていた。

 少数ではあったが、空母を飛立った敵機は日本軍の攻撃の手をゆるめさせるため単機或いは二、三機で日本艦隊の頭上に反復攻撃の手段に出てきた。

 この奇襲は決定的効果を得なかったが、うるさくつきまとう熊蜂(くまばち)の役割を充分に果たした。

 日本艦隊は片手で敵艦隊を攻撃しながら、片手ではこの熊蜂を追い払うことにつとめねばならなかった。

 第三戦隊の「金剛」はこの熊蜂を軽くみて、艦の目である主測距儀を機銃でたたかれ、一時は主砲の発射も困難となったほどだ。

 「筑摩」は爆弾一発を蒙って火災を起し、戦列から脱した。

 米駆逐艦の肉薄攻撃も極めて勇敢でスコールや煙幕の中から影絵のように日本艦隊に突進し、「大和」も五発の水雷を真正面からうけ、これをかわすため避退し、重巡の「熊野」「筑摩」「鳥海」も砲撃を浴びせられて損傷し戦列から落伍した。

 かくて十時前、栗田艦隊はいったん戦闘を止(や)め、あまりに遠く散らばり過ぎた艦隊の集結を命じ、南方に変針して帰航の途についた。この集結命令があった時「榛名」「利根」「羽黒」は米空母群に肉薄し、特に「利根」と「羽黒」はその距離一万メートルに近づいて、今まさに砲火を開こうとしている時であった。

【栗田部隊の攻撃を受ける米護衛空母群】
捷号栗田部隊の攻撃を受ける米護衛空母群.jpg

 司令部の命令によって攻撃を断念し北方集結地に向った。この好機を司令部が知っていたならば、さらに追撃してこれを撃滅することも可能であったかも知れない。

 この絶好のチャンスを逸した栗田艦隊には、再び好機はめぐってこなかった。

スリガオ海の悲劇

 一方栗田艦隊から引抜いた西村艦隊は、第二夜戦部隊として栗田本隊に半日おくれ、二十二日午後三時プーネー湾を出撃した。

【第二戦隊司令官西村祥治中将】
捷号第二戦隊司令官西村祥治中将.jpg

 第二戦隊旗艦「山城」「扶桑」の二戦艦を主軸として重巡「最上」、第四駆逐艦「満潮(みちしお)」「朝雲」「山雲」、第二十七駆逐隊「時雨(しぐれ)」の四艦、ミンドロ島西方を通って、スリガオ海峡を通過、二十五日未明、本隊及び志摩艦隊に呼応しての、レイテ突入が予定されていた。

 二十二日朝、栗田艦隊の「妙高」ほか三艦が敵潜水艦の雷撃をうけて沈没したという報をうけ、対潜警戒を厳にしながら北西方に迂回針路をとり、ミンドロ島西方を南下、二十四日には敵艦載機二十数機の攻撃をうけたが、損害というほどのこともなくそのまま進撃をつづけ、二十五日未明、スリガオ海峡入口にさしかかった。

 三時、艦隊の前方に駆逐艦三隻を認めこれに猛攻を加えるとたちまち煙幕の中に遁走する。

 幸先(さいさき)よしと、艦隊は警戒を厳にしながらなお進航をつづけているうちに、さらに巡洋艦一隻と駆逐艦三隻を含む敵艦影を認めた。

 "発射用意"砲撃を浴びせようとした瞬間、すでに海中には敵艦の放った多数の魚雷が左右から艦隊に殺到していた。

 避退する暇もあったものではない。「山城」の左舷二千メートル前方にいた「山雲」は、その一発を喰(くら)ってあっという間に轟沈、「満潮」「朝雲」も火炎を噴きあげて停止、旗艦「山城」も二発の魚雷を喰って大火災を起した。

 敵の奇襲をねらったもので、あっという間もなかった。

【攻撃を受ける戦艦山城】
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 もがき苦しむ「山城」は南海の朝やみの中に不気味に燃える。総員必死の防火作業もその甲斐なく、約四十分後に火薬庫に誘爆を起して見る間に姿を没した。

 火薬庫誘爆のためほとんど避退する暇もなく、全員艦と運命をともにしたのだった。

【米巡洋艦に捉えられた西村部隊】
捷号米巡洋艦に捉えられた西村部隊.jpg

 残る艦隊は「扶桑」「最上」「時雨」の三隻、司令部潰滅によって、指揮は「扶桑」艦長伴大佐が代ってとった。それから十分後、米艦隊の正確な砲弾が三艦の頭上に浴びせかけられた。

 暗(やみ)の中をどこからともなく飛んでくる砲弾、敵の位置はまったく雲をつかむように判らなかった。

 名状すべからざる混乱、三艦は雨のように落下する斉射の中を逃げまどった。

 米艦隊は、予(あらかじ)め日本艦隊を待ち受け精密な電探の十字放火を集中してきたのである。

 「扶桑」「最上」も炎々と燃え、絶望的にのたうちながら逃路(にげみち)を求めていたが、四時すぎ「扶桑」は全艦蜂の巣のようになり、大爆発を起して姿を没し「最上」も遂に姿を消してしまった。

 西村艦隊でわずかに生き残って帰ったのは駆逐艦「時雨」(司令西野中佐)一艦のみで、「時雨」も数発の砲弾が命中して無線装置ジャイロコンパスもついに役に立たず、盲航海でようやくブルネーに逃げ帰った。

 西村艦隊はかくてここに全滅したのである。

 当時「山城」艦上には吉野報道班員(東京新聞)がただ一人乗っていたが艦と運命をともにした。

志摩艦隊空しく引返す

 西村艦隊と同様の任務を持った第二遊撃部隊志摩艦隊は、マニラから西村艦隊の後を追ってスリガオに向っていた。旗艦「那智」「足柄」の二重巡洋艦、軽巡「阿武隈」を旗艦とした駆逐艦七隻が、二十五日未明、西村艦隊の後方二十浬(カイリ)に追随していた。

【第五艦隊司令長官志摩清英中将】
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【志摩部隊旗艦 一等巡洋艦(重巡洋艦)那智】
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 幸運にも艦隊は途中一回の空襲もなく、無傷でこのまま一気にスリガオ海峡突破も可能と思われていた。

 西村艦隊が敵部隊の集中砲火と魚雷を浴びているとき、二十二ノット (*17)でこれと近接していたが、午前三時二十分パナオン島附近で突然艦隊の左前方斜めから襲いかかった敵魚雷艇の放った魚雷をうけ「阿武隈」は水煙に包まれて戦列を脱した。

【米軍|PT103型魚雷艇】
45トン、4050馬力機関で速力40ノット、長さ80フィート、魚雷4本を抱え両舷側から転がり落して発射する。静かな海では怖い敵だ。
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「阿武隈」を残した艦隊はさらに航進し、スリガオ海に入るや、北方に当ってはげしい砲声のとどろきが耳をつんざき、閃光が飛び散っていた。西村艦隊が敵艦の集中砲撃をうけて最後のあがきをつづけている時であった。

 この時「扶桑」「最上」は猛火に包まれてのたうち、「扶桑」は沈没の寸前にあった。

 狭いスリガオ海峡に、敵はすでに日本艦隊の来攻を予知してあらゆる戦闘態勢をととのえ待ち構えていた。

 ソロモン海峡でもそうであったが、比島南方諸島の小さな島の点綴(てんてつ) (*18)する狭隘な海面では、駆逐艦、魚雷艇などの小艦艇を無数に準備していたようだ。日本艦隊が予想地点に進入して来ると島陰にひそんでいたこれらの小艦艇は獲物を求める猟犬のように殺到し、相手を葬ると敏捷に逃げた。

 西村艦隊は、このような敵の待ちぶせる海面に突込んで、全滅を喫したのだった。

 志摩艦隊はこの慎重に準備された敵の陣地を突破して、所期 (*19)の目的通りレイテに突入し、西村艦隊の二の舞を演じいたずらにスリガオ海を日本艦隊の墓場と化させるか、このまま引あげて再挙をはかるか、司令部はこの決断に迫られ、そして後者を撰(えら)んだ。

 待望のレイテを目の前にしながらついに志摩艦隊は南方に避退したのである。

 「阿武隈」「最上」は傷つきながらあらゆる努力を傾けて復元につとめ、それぞれ帰航についたが、米機の空襲で沈没した。

 「那智」は四時半過ぎ、深傷(ふかで)を負ってさまよう「最上」と航路誤認で衝突、左舷に破口をあけ速力二十ノットに墜ちたが、とにかく無事にマニラ湾に帰りつくことが出来た。その後、十一月初旬、米機のマニラ空襲で沈没した。

【突入を断念してマニラに向う一等巡洋艦那智】
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 かくて我が遊撃部隊のうち、レイテ突入の所期の目的を果したものは一艦もなかった。そしてこれ以後日本海軍はレイテを見捨て、一度も出撃することがなかった。

大空襲下の機動艦隊

 レイテを中心とした比島海面で血みどろの闘いが行われている時、小沢機動艦隊は「おとり艦隊」として敵を陽動するために一路南下していた。

 すでに一機の攻撃機も持たない艦隊であったが、いざという場合には空母も高射砲と機銃でたたかう決意であった。

 小沢艦隊は幾度か、わざと空電を放ち、出来るだけ敵艦隊を北方に引つけようとつとめたが、索敵機も思うにまかせず敵がどこに位置しているかも判らず、レーダーと友軍部隊の無線傍受が、唯一の戦況判断の神経であった。

 二十五日の朝は明けた。

 この日も南海の海は美しく晴れ、エメラルドのように透明な海は静かだった。

 午前六時半すぎ、旗艦「瑞鶴」のレーダーが少数の敵機の触接を感じた。すわ敵機来襲! 艦隊は色めきたち、対空戦闘配備につづいて対空警戒輪型陣をとる。第一群は「瑞鶴」「瑞鳳」の二空母を挟んで先頭に「大淀」後方に「伊勢」、その外側(がいそく)を護って「初月(はつづき)」「若月」「秋月」「桑(くわ)」の四駆逐艦。第二群は空母「千代田」「千歳」の二隻を挟んで前方に「多摩」「五十鈴(いすず)」の二軽巡、後方に「日向(ひゅうが)」.これを「霜月」「桐」「槙(まき)」「杉」の四駆逐艦で直衛した。各艦の距離二千メートルであった。

 敵の索敵機は二機、雲間から見えかくれして執拗に艦隊にくっついて離れようともしない。やがて敵機もわが戦闘機の反撃なしと悟ったのか、豆粒ほどの姿を現わし、キラキラとジュラルミンの機体を光らせながら旋回をはじめた。

「えい、うるせい奴だ!」

 見張(みはり)の水兵は蠅でも追っ払うように叫んでいた。

 わが機動艦隊は今や完全にその一挙手一投足を監視されているのである。

 艦内でも戦闘準備に忙しく、暑苦しい三種軍装にゲートルを巻き、鉄かぶとが艦橋指揮要員に配られた。

「いよいよはじまるぞ! 今のうちにうんとめしを喰っておけ!」

 田辺高射長がどなっている。

「恐くなったら、きんたまを押えろ」

 幾度か砲火を潜(くぐ)り、海中に投出されたことのあるという小泉主計長は、若い初陣の水兵に冗談をとばしてからかっている。

 折から配食された熱い握りめしをほおばる。午前七時四十分、「瑞鶴」は右前方百三十度-二百十度の方向に敵機の大集団をキャッチした。いよいよ来るぞ! ぞくぞくと身体中の神経がひきしまる。

 砲員は一斉に配置についた。

「しっかりたのむぞ」

 艦長や司令官の激励をうけて砲術長はタラップをかけ上った。十分、二十分──それは無限に長いような時の刻みであった。

 敵編隊が視野に入った。

 遥か右前方に黒いごまを散らしたように三段構えとなって空を蔽(おお)い、重く鈍い爆音をふるわせて進撃してきた。

 彼我(ひが) (*20)の距離四万メートルで大編隊を解き、一群は右に一群は左に旋回、他の一隊はまっしぐらに進んでくる。

 距離三万メートル、戦闘開始のブザーを待ち兼ねたように「日向」の主砲が一斉に火を噴いた。つづいて高射砲機銃、ロケット砲、三万五千トンの巨艦は全身を怒りにふるわせたけりほえる。

【攻撃を受ける小沢部隊】
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 目のくらむ閃光、耳を聾(ろう)する砲声、強烈な爆風で毛穴がピリピリいたむ。

 各艦の斉射で上空は見る間に赤、白、黒、色とりどりの弾幕で蔽われてしまった。

 敵機は三機ずつの編隊で襲いかかり爆弾、機銃の雨を降らせる。と見る間にさっと低空で反転、機銃の曳光弾が光の弧を描いてこれを追う。

もがき沈む我が空母

 最高戦速に機関室は焼けるような熱気だ。

 真白い尾をひいて噛みついてくる魚雷、ハッとする瞬間、巨艦はみごとにこれをかわしていた。さらに左から迫る雷跡(らいせき)──

「とり舵いっぱい」

 野村艦長の張りのあるダミ声がいかに頼もしく感じられたことであろう。

 後方から音もなく肉薄した急降下爆撃隊が急に編隊を解くとみごとなダイブを見せて後部甲板をねらってきた。一機、二機、三機──つづいて轟然たる爆音とともに数十丈(じょう) (*21)の水煙が艦を包み、ザァッと生温かい海水が滝のように艦橋近くまで飛散る。舷側すれすれの至近弾だ。

「負傷者はないか」

「異常なし」

 元気一ぱいの声がはねかえる。

 敵の攻撃の主力はわが空母に集中され、細長い芋虫のような空母はのたうちながら逃げる。

 これを追ってあくまで粘りづよく反復攻撃を加える敵機。「千代田」は早くも飛行甲板に白煙を噴き上げ、「千歳」も左舷前方に直撃弾をうけ、メラメラと赤い火がなめているが、猛煙の中に依然として高射砲が火をふいているのがはっきりと見える。

【水柱をあげる改装空母千歳】
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 第二群にあって小沢中将座乗の「瑞鶴」も集中攻撃を浴びていた。

 海上低く飛んできた雷撃機の放った魚雷があわや「瑞鶴」に襲いかかろうとした瞬間、護衛の駆逐艦「秋月」が雷跡に突進、ガーンという物凄い轟音とともに真っ二つに割れ、やがてどす黒い油を海面に浮かせて姿を没した。

 しかし、「瑞鶴」は「秋月」の身を挺した犠牲も甲斐なく、その一発をうけて艦尾が吹っ飛び、舵機(だき)に故障を生じてついに手動機によって舵をとらざるを得なくなってしまった。


 それから五分後、艦は力尽きたように横倒しとなり同時に甲板に集っていた将兵たちはズルズルと海中に落ちて行った。

 この時大傾斜した艦橋に艦長らしい一人の軍人が足をふんまえて、傲然(ごうぜん) (*22)と天をにらんで立っていたが、再び姿を見ることは出来なかった。

【攻撃を受ける空母瑞鶴と駆逐艦若月】
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 沈んだ空母からすべり落ちた人々は重油の海の中を必死になって泳ぐ。巨艦が沈没の瞬間は巨大な渦が巻き起って、人も物もその渦の中に呑(の)みこまれてしまうからだ。

 このころから第二波の敵編隊が頭上で乱舞をはじめた。

 頭上をかける敵機──散弾がバラバラと頭上に降りそそいでくる。敵機の間隙を縫って駆逐艦が近づき生存者の救出にあたる。

「おいしっかりつかまえろ!」

「離しちゃだめだぞ!」

 艦上では大声ではげましている。

 必死になって一本の縄にしがみつき舷側に引上げられる者。途中で力つきて再び海中に投げ出される者。この一本の縄が死か生か文字通りのぞみのつなである。

 敵機が再び近接してきた。

「おい早くしろ!」

 艦上では大声でどなる。艦は微速で動きはじめた。この一瞬をのがしては永遠に生きる希(のぞ)みは絶たれるのだ。

 海中ではたれ下った縄をめぐって多数の人間がひしめき、なんとか舷側にはい上ろうとして最後の力をふりしぼっていたが、その大半は空しい努力であった。

 敵機来襲! 前進全速! 駆逐艦の艦尾はスクリューの巻き起す白い波が盛り上り、その波間に手を高く差し上げた無数の犠牲者は、そのまま取残されてしまった。

巨艦相ついで沈没す

 「瑞鳳」も中央部飛行甲板に爆弾をうけ、白煙をひきながら逃げていた。

【攻撃を受ける空母瑞鳳】
攻撃を受ける瑞鳳.jpg

 損傷をうけたのは空母だけでなく、第一群の巡洋艦「多摩」も魚雷を喰って戦列から離れ、気息奄々(きそくえんえん) (*23)として戦場の後方に取り残されていた。

 あっという間もない瞬間の出来ごとであった。

 最初に雷爆撃をうけた「千代田」はすでに沈没の直前にあった。

 「日向」「槙」の二艦がこれに寄りそうように、最期を見守っていた。

【全力航走する空母戦艦日向】
エンガノ日向全力航走.jpg

 艦橋では全員が必死になって防火につとめていたが、猛火はいよいよ拡がるばかり、魚雷による艦底の破口から海水が滝のように奔流し、傾斜は次第にひどくなった。しかし、なお艦橋には信号機が高くあがっている。

「我(われ)航行可能なる見込み、片舷(かたげん)五ノット」

 万身 (*24)傷ついた艦をなお捨てきれない悲壮な決意だった。

 十時、第二波来襲。生残った三空母に攻撃を集中してきた。

 第一次空襲では初陣の兵隊は多少あがり気味だったためか敵機の撃墜はついに確認出来なかったが、第二波ではやや冷静をとりもどし命中率も高い。

 一機は急降下反転の瞬間火を噴き、急に失速すると見る間に水しぶきをあげて海中に没した。巨砲の零距離(れいきょり)発射 (*25)ですさまじい風圧をうけ、近接した一機は紙のように四散する。

 「千代田」はさらに艦尾と左舷に直撃弾をうけ、燃えさかる焰(ほのお)の中に動く力さえなかった。「日向」が曳航しようとしたが、はげしい爆撃の中でどうすることも出来ない。

 ついに「五十鈴」に乗員を収容することにし、空襲のさい中、まず負傷者からはじめて、整然と、全員を移乗し終った。

 今や艦上人影なく一塊の屑鉄のようになった「千代田」は、駆逐艦によって自沈させることになったが、敵襲の中にその手段もなくなり、戦場に遺棄していったん艦隊は北上した。同艦は午後七時ごろ、追撃してきた米巡洋艦の砲撃によって沈められた。

 「瑞鶴」も数弾をうけ死傷多数、惨たんたる状況であったが、最も打撃をうけたのは艦内のあらゆる通信機関が破壊せられ、他艦との連絡が絶たれたことであった。

 「瑞鶴」艦上にあった小沢司令部は、ここに完全に孤立状態となったため、司令部を「大淀」に移すことになり、空爆下に「大淀」短艇員の決死隊によって将旗を無事「大淀」にかかげることが出来た。空母「瑞鶴」はその名の如く日本海軍のホープで、真珠湾、ミッドウェー、珊瑚海、サイパンなどの苛烈な戦いに参加し、つねに武勲赫々(かくかく) (*26)たるものがあった。

【二等巡洋艦(軽巡洋艦)大淀】
軽巡洋艦大淀.jpg

【司令部移乗のため空母瑞鶴に近づいた大淀】
捷号司令部移乗のため近づいた大淀.jpg

 真珠湾攻撃で一人の犠牲者もなく全機帰還したのは「瑞鶴」だけだった。

 小沢司令官も幾度かこの「瑞鶴」を旗艦に撰(えら)んで出場、いわば切っても切れぬ縁につながる艦である。

 司令部移乗の際小沢司令官は、

「俺はここに残って艦と運命をともにする」

 と頑強に移乗を拒否したが「瑞鶴」艦長貝塚大佐、大前参謀長に無理矢理に引立てられて移乗したといわれている。

 この瑞兆の巨艦もそれから一時間後に沈没し、永遠にその姿を消した。

【瑞鶴の最後|沈まんとする艦に乗員は万歳を唱えて別れを告げた】
捷号瑞鶴の最後.jpg

 当時「瑞鶴」の生存者は「若月」「初月」の二駆逐艦に収容したが、「初月」は同夜生存者救出のため南進し、それから杳(よう)として行方を絶った。

 「瑞鳳」の最期も悲壮であった。

 米機の最後の攻撃まで持ちこたえた同艦は午後三時二十分、沈没の寸前、傾斜した甲板上に総員集合、大軍艦旗をかかげて最後の袂別(けつべつ) (*27)ののち、秩序整然としてボートに移乗した。

 敵機はさらに午後一時、午後三時、午後五時と相ついで集団攻撃をかけ空母二隻の息の根をとめるとともに、「伊勢」「日向」などの残存艦隊にも最後の反復攻撃をかけ、「伊勢」は左舷カタパルトに直撃弾が命中、死傷五十余名を出したほか、「大淀」「五十鈴」などが直撃弾によって損傷、午後五時十分「日向」「霜月」に加えられた攻撃を最後として激烈なる戦闘を終った。

【攻撃を受ける空母戦艦伊勢】
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 傾き、あるいは傷つきながら北方に遁走する機動艦隊の隊列に加わるものわずか四隻、二十六日朝九時十分、遥かに奄美大島の一端を望み、激烈な戦闘の後をふりかえって熱い涙がこみあげてくるのだった。(終)


【暴れまわる米軍】
アメリカは日本の船という船を撃沈し尽くし、日本の補給線を断った。そして日本が制海権を失うと米軍はアジアで暴れまわった。1944(昭和19)年10月13日、米軍はフィリピンマニラを空襲、施設、艦船は甚大な被害をこうむった。
米軍マニラ空襲.jpg

この写真はフィリピンルソン島南方で、米軍に撃沈された日本の貨物船。帰投する米軍パイロットの高笑いが聞こえてくるようだ。こういう残忍で国際条約も守らない国が東京裁判で日本軍の非道を捏造までしてあげつらい、憲法9条を強要し、戦後は中国、韓国、北朝鮮の日本悪宣伝に同調していることを日本人は忘れてはならない。そして軍隊を持たない国の国民はいつ、こういう災難に見舞われてもおかしくないことも忘れてはならない。日本がいかに「平和」を望もうと一線を超えて戦争をしかけてくる国はたくさんある。
米軍貨物船撃沈.jpg


【出典】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編 「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」
・1956(昭和31)年 鱒書房 佐藤太郎 「戦艦武蔵の死闘」
・1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正 「太平洋戦記 神風特別攻撃隊」
・1980(昭和55)年 日新報道 モルデカイ・モーゼ著/久保田政男訳 「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」
・1983(昭和58)年 講談社 千早正隆編 「写真図説帝国連合艦隊-日本海軍100年史-」
・1989(平成元)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史・別巻 昭和天皇の時代」所収 大前正臣 「天皇と天皇制をどうするか」(「文芸春秋」昭和50年2月号掲載)
・1996(平成8)年 株式会社ベストセラーズ カミカゼ刊行委員会編「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」(上)
・1997(平成9)年 株式会社ベストセラーズ カミカゼ刊行委員会編「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」(下)

  • 最終更新:2018-02-22 07:28:50

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