【帝国海軍第五航空艦隊司令長官 宇垣纏(まとめ)】「還らぬ将軍特攻機」

1945(昭和20)年8月15日夕刻、第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将は、22名の搭乗員とともに大分基地を飛び立ち、最後の特攻を敢行しました。

列機は彗星艦爆11機、宇垣中将は中津留大尉操縦の彗星艦爆の偵察席に搭乗しましたが、宇垣長官搭乗機には複座(前後の2座席)でありながら偵察員の遠藤秋章飛曹長(飛行曹長)が乗り込み、降りることを拒んだため、3名搭乗していました。

宇垣中将は山本五十六司令長官がブーゲンビルで米軍に撃墜された時、その二番機に搭乗していたのだそうです。

出撃した22機のうち3機は不時着して5人が生還、8機が未帰還となりましたが、その最期は不明とされています。

終戦後の特攻について、米軍のハルゼー提督はこのように語っています。

「戦争は終わったが、われわれは日本機を友好的マナーで撃墜しつづけるだろう」 (*1)

と。

【出撃に先立ち、階級章をはずす宇垣中将】
宇垣纏中将_階級章をはずす.jpg




出典:1956(昭和31)年 日本文芸社 「現代読本」第一巻第四号所収

   「還らぬ将軍特攻機」 七〇一空大分派遣隊元海軍中尉 種ヶ島正人


〔〕内は管理人による注釈です。
極秘情報

 佐瀬大尉がまっ青な顔で無電室から出てきた。両眼は血走り、一枚の紙片を掴(つか)んだ右手が、ぶるぶるふるえていた。

 咄嗟(とっさ)に

(米艦隊の出撃か)

 畜生! いよいよやってきたな、と思った。

 五日前の八月六日に広島に原子爆弾を投下した米軍は、二日おいた九日に、またまた長崎を一瞬白色の閃光に彩り、戦史に見ざる、暴虐無惨な大量虐殺を敢行した。

 すでに、日本本土破砕を呼号する驕敵米軍は、その進攻基地として沖縄に進撃していた。

 沖縄が米軍の手中に落ちたのは六月二十二日。その未明、牛島軍司令官、長参謀長は、沖縄南端の海岸に臨む、鍾乳洞をくりぬいた防空壕のなかで自決した。

 大本営は、米軍の死傷八万と発表したが、その日の夕刻、司令部で受信した桑港(サンフランシスコ)放送は、日本軍の死傷者九万、捕虜四千、米軍側の戦死者千二百六十、負傷三万三千八百と報じた。

 だが戦後の沖縄民政府社会事業課の調査によって、島民の尊い犠牲者数はこれら彼我〔ひが:あちらとこちら〕戦斗〔闘〕員の犠牲者をはるかに上廻っていたことが明かにされた。

 戦斗員も民間人も区別はなかった。全島は一丸となって神州護持の悲願にけっ起し、敵砲火の前に壮烈な攻防戦を展開したが、物量を誇る敵大軍に抗し得ず、ついに無念の散華をとげたのである。

 いまその沖縄に、驕敵は太平洋艦隊と、機動力のすべてを集中し、洋上はるかに、わが本土攻撃の機を狙っていたのだ。

 一気に戦いを決すべし!

 おそらく、佐瀬大尉の右手に掴んだ紙片こそ、米軍の進攻作戦を受信(キャッチ)した情報でなくてなんであろう。

「いよいよ、やってきますか!」

 昂〔興〕奮して近づくと、佐瀬大尉は、きらりとするどい眼を向けて

「何ッ」

 と反問してきた。

「沖縄の米軍奴(め)、しびれをきらして動きだしたのとちがいますか?」

 咽喉(のど)がひりひりして、声がかすれた。頸(くび)から胸へかけて、どッと汗が噴きだすようだった。

 佐瀬大尉は、

「ちがう!」

 叩きつけるように一言いうと両肩をつきだすような恰好(かっこう)で、

「長官はどこだ?」

 低い声できいた。

「長官室ですが ──── 」

 佐瀬大尉は大きく頷(うなず)いて、一旦長官室の方へ行きかけたが、あたりを見廻し、附近に誰もいないと見定めると、

「急いで、見ろ!」

 右手につかんだ紙片を、眼の前につきだした。ぺたりと、『極秘』と朱印の押された暗号用紙だ。


一三二八 (*2) 桑港放送受信。
日本ハ裕仁ヲソノママトスル条件ノモトニ、ポツダム宣言ニ対シ、其ノ他無条件降伏ヲ申込メリ。

 「こ、これはッ!?」

 愕然とした。

 全身の血が、はげしい勢いで、逆流した。電文に灼(や)きついた眼に火花が散るかと思われた。

「極秘だ! 誰にも云〔い〕うな」

「佐瀬大尉!」

「俺も信じぬ。こんな馬鹿げた ─── 無条件降伏などと ─── 敵のオハコの謀略宣伝にきまっとる。案ずるな」

 佐瀬大尉はそう云って長官室の扉をノックした。だが ─── いつもの冷たいようなきびしさが、その声に感じられなかったのは何故であろうか。

 佐瀬大尉が長官室に消えて数十分後、私は長官室に呼ばれた。

 長官室といっても、横穴防空壕のなかに、薄っぺらな板で仕切った、薄暗い部屋だった。そこに、脚のガタガタする粗末な机と、ベッド兼用のみすぼらしいソファが置かれてあった。

 第五航空艦隊司令長官宇垣中将は、その机に向って日記をしたためていた。

 戦藻録(せんそうろく)と名づけ、開戦以来書きつづけてきた戦斗日誌である。

「彗星の調子はどうか?」

 長官は筆をおいて温顔をふりむけた。

 彗星とは、敵米軍の怖(おそ)れている、わが海軍の艦戦爆機だ。

「はッ! ひたすら、攻撃命令を待つのみであります」

 長官は満足そうに、にっこりして、

「飛べるのはいくつある?」

 連日の出撃に、相当の打撃を受けていることを、長官はよく知っていたのだ。一時逃れの嘘は云えなかった。

「十一機です」

「うむ」

 頷いて、独りごとのように

「五機もあれば ─── 」

 と呟いた。

 佐瀬大尉の報告した桑港放送のことに関してはそのとき長官は一言も触れなかった。

 これは終戦後私が或る機会を得て知ることが出来たのだが、そのときの長官の戦藻録には、八月十一日の出来事をつぎのように綴(つづ)ってあった。おそらく、私が長官室を出てから、なおも書きつづけたものであろう。


外国放送の波紋

日本ガ無条件降伏ヲ申出タル旨ノ桑港放送アリタル後、若干モタタズシテ、マリアナ基地ノ対戦略爆撃作戦部隊司令官ハ、日本ガポツダム宣言ニ対シ回答スル迄、原子爆弾ノ使用ヲ中止スルト発表セリ。

 嗚呼(ああ)! 一億玉砕ノ秋至ルカ。本早朝、GB電令ハ決号作戦準備ノ如何ヲ問ワズ、敵ノ機動兵力ニ対シテ積極的攻撃ヲトリ、沖縄方面ニ向ッテ攻撃ヲ強化スベク下令アリタルニ、スデニ戦局ハ小輩間ノ関知スル能(アタ)ワザル方向ニ進ミツツアルモノノ如シ。


 宇垣長官の苦悩は、三日後の十五日払暁(ふつぎょう)、早くも現実となって現れた。

 まだ仮眠のベッドにあった私は、当直の田口参謀に呼び起された。

「一緒に来い」

 防空壕を出て、丘陵の東端に立った。

 まだ明けきらぬ暁闇(ぎょうあん)のなかに、大分航空隊の兵舎が、黒い影を落していた。 (*3)

「長官が彗星の機数を尋ねたというが、ほんとうか」

 田口参謀が押し潰すような低い声できいた。

「はい」

「長官が乗ると云ったか」

「いいえ、まさか、そんな無茶な」

「無茶ではない。長官は嘗(かつ)て、聯〔連〕合艦隊参謀長の職にあった。山本長官がブーゲンビルで戦死なされたとき、その二番機に搭乗し、山本長官の前線視察に随行されている」

 私はハッとした。彗星の機数を質問したのは、長官自ら編隊を指揮し、敵機動部隊を攻撃すべき作戦のためであったのかと、はじめて気づいたのである。

「山本長官が危険を冒して前線視察に出られたのは、わが機動部隊を率いて自ら陣頭に立とうと決心したからだ。山本長官のご心中は、片時もおそばを離れなかった、参謀長であった長官が、誰よりも一番よく知っておられた筈(はず)だ。長官は、わが第五航空艦隊の最後の出撃の時機が、目睫〔もくしょう:目とまつげ。近い距離〕に迫っておることを予知し、自らその指揮に当ろうと決心されておるのにちがいない」

「えッ!」

「広島、長崎に原子爆弾を投下した敵は、やがては本土に驕慢の上陸を企図する。待っておられぬのだ。敵出撃の出鼻を挫(くじ)き、一気にわが劣勢を挽回するお考えなのだ!」

 腹の底からふりしぼるような熱のこもった声だった。

「そうだったのか ─── 」

 私は佐瀬大尉に見せられた、桑港放送の電文を思いだしていた。

 おそらく長官は、この驕慢な宣伝文に対する行動的の反撃として、沖縄基地出撃を企図したのではなかろうか。私は田口参謀に、桑港放送のことを話したかった。だが、それは情報将校以外にはわかる筈のない極秘文書である。自分を信じて、電文を見せてくれた佐瀬大尉を裏切るわけにはいかない。

 そこへ伝令が飛んできた。

「宮崎先任参謀が田口参謀をお呼びです」

 田口参謀はうむと頷いて

「種ヶ島中尉。いよいよ出撃らしい。彗星の点検を頼むぞ!」

 田口参謀の靴音が防空壕のなかに吸いこまれると、急に四肢に、ぎりぎりと力の漲(みなぎ)るのを意識した。

 整備班に所定の命令を下達して、防空壕に帰ったときには、すでに夏の朝は明け、東の空に灼(や)けるような太陽がのぼっていた。

 だが、いつもは、連日の敵機の空襲に、まったく重圧され、重苦しい朝を迎える司令部が、その朝にかぎって、何事か、ざわめいていた。

 防空壕に一歩足を入れたとき、ばたばたと駆けてきた兵に、

「何か? 騒がしいではないか」

 浴びせかけるように尋ねたが、兵は答えぬ。埃(ほこり)にまみれた、陽焼けしたまっ黒い顔に、眼だけが光っている。そして、その両眼が、涙に濡れているのだ。

「おい、どうした。何故〔なぜ〕答えぬ!」

「種ヶ島中尉!」

 兵はぐッと唇を噛みしめた。その頬に、新しい涙がどッとあふれる。

「自分には、答えられません」

 そう云うと、両手で顔を覆い、よろめくように、表へ飛出していた。

 夏雲のように、云い知れぬ不安が、胸にのしかかってきた。

 前方を見ると、佐瀬大尉が、急ぎ足で、無電室へ入ってゆくところだった。

「佐瀬大尉」

 叫びながら、佐瀬大尉に駆けよった私は、

「何があったのですか ─── 兵たちがざわめいているではありませんか」

 佐瀬大尉は、かちッと靴を鳴らし、直立不動の姿勢をとった。

 佐瀬大尉の眼もやはり濡れている。

「戦争の終結が宣(せん)せられたのだ!」

「な、何ですって?」

 私は愕然とした。

 バカな! そんなことがあってたまるものか。現に、長官は敵基地攻撃を準備しておるではないか。

「信ぜられないことだ。しかし事態は、われわれの知らぬまに、進捗していたのだ。外国放送は、帝国の無条件降伏と、正午にはラジオで陛下が戦争終結のお言葉をご放送なさると報じている。戦争は終ったのだよ、種ヶ島中尉!」

 その声は涙にうるんでいた。

 すでに、戦争終結のニュースは、壕内に嵐のように喧伝され、あちこちに、狼狽する兵の姿が見られた。

 だが、私はまだ、その外国放送を信じる気にはなれなかった。


玉音をききつつ

 八月十五日の朝はかくして明けたのである。基地には凡(あら)ゆるデマが乱れ飛んだ。外国放送を敵の謀略と断ずる者。いや、こんどこそ本物かもしれぬ。神州の地はやがて鬼畜の泥靴にふみにじられるのだ。悲憤こうがいする若い士官は、軍刀をひき抜いて、丘陵の立木を滅多斬りにして、声をあげて慟哭(どうこく)した。

 だが時刻は刻一刻と過ぎるのに、軍令部からは何ら命令がなかった。

 不安のうちに容赦なく時間が過ぎた。

 やがて、七〇一空大分派遣隊に艦爆出動の命が下った。

(見ろ、無条件降伏など、根も葉もない嘘八百ではないか)

 私は雀(こ)踊りしてよろこんだ。

 そこへ、田口参謀が入ってきた。

「やっぱり、長官も出動するぞ」

「えッ?」

「貴官に彗星のことをきいたとき、すでに出撃をご決意なさっていたのだ」

と暗然として

「長官にもしものことがあったら ─── われわれは心のよりどころである、慈父を失うことになるのだが ─── 」

「長官の搭乗を阻止できぬのですか?」

「駄目だ。宮崎先任参謀が泣いてご翻意を願った。長官と兵学校以来莫逆(ばくぎゃく:きわめて親密な間柄)の友である。城島十二航空戦司令官も説得につとめた。だが長官は、武人として俺に死場所を与えてくれ。皇国護持のために死んでいった、可愛い部下のそばへ、この俺をやってくれ。後任の長官も夕刻には赴任する。やるべき手は、ちゃんと打ってあるのだ。俺を笑って見送ってくれ ─── と宮崎先任参謀と城島司令官を拝まれたそうだ」 

「私も、長官のお伴をいたします!」

「許されるなら、儂(わし)も行きたい ─── だが、儂にも貴官にも、司令部に残って、なさねばならぬ任務がある。勝手なことはできない」

 だが、おめおめと引きさがれない。

 この上は、じかに長官に同行を願うほかに手段はないと思った。

「有難う! その気持ちは嬉しい。だが、すでに編成は終っている。命令は改めるわけにはいかんで喃(のう)」

 長官室を訪れた私に、長官は机上にあった、命令書の写しを、笑って手渡した。

 

七〇一空大分派遣隊ハ艦爆五機ヲ以テ沖縄附近敵艦隊ヲ攻撃スベシ。本職之(これ)ヲ直卒ス ───。


 
 私は言葉もなかった。

「艦爆隊長の中津留大尉が同行する。各々、その分にしたがって行動する。それが帝国軍人の歩むべき道だ。わかるね」

 長官はやさしく云った。返す言葉もなかった。

 長官は戦斗日誌のペンをとられた。

「これが、この戦藻録のしめくくりになるかもしれんよ」

 長官室を辞して、自室へ戻ってから、一時間とたたぬうちに、突如非常集合のラッパが鳴りひびいた。

 何事? と床を蹴って部屋を飛び出すと、

「全員、壕前へ集合!」

 田口参謀が声を嗄(か)らして叫んでいた。

 壕を出ると、赤肌をさらげた丘陵の斜面を背に長官の雄姿が見え、その前に、部隊の将兵が奇異な目を瞠(みは)り整列していた。

 あとからあとからと、士官と兵が馳せつける。灼(や)きつく太陽の直射を浴びて、どの顔も汗でキラキラ光っていた。

 田口大尉が現れた。その手にしたラヂオを見て、あッ、というどよめきが隊列にまき起った。

 病いの身をおして長官に扈従(こじゅう:つき従うこと。おとも)していた横井参謀長が、「気ヲ付ケ」の号令をかけた。

 一瞬粛然となった。

「只今(ただいま)から大元帥陛下のご放送がある。慎みて……」

 語尾はかすれて聞きとれなかった。その参謀長の眼に涙が光り、ほほに滂沱(ぼうだ)と流れる滴(しずく)の糸が、誰の目にもはっきり見えた。

 部隊の将兵は思わず呼吸(いき)を呑(の)んだ。

 宇垣長官は唇を噛みしめていた。

 田口大尉が、ラヂオのスイッチを廻した。

 
ラヂオノ状況悪ク、畏(おそ)レ多クモ其ノ内容ヲ明カニスルヲ得ザリシモ、大体ハ拝察シテ誠ニ恐懼(きょうく)之(これ)以上の事ナシ。

親任ヲ受ケタル股肱(ここう)ノ軍人 (*4)トシテ、本日此(こ)ノ悲運に会ス。慚〔慙〕愧之(これ)ニ如(し)クモノナシ。

嗚呼!

参謀長ニ続イテ、城島十二航空戦司令官ニ再考ヲ求メラレタルモ、余(よ)ノ出撃ノ決意翻(ひるがえ)ス能(あた)ワズ。未(いま)ダ停戦命令ニモ接セズ。多数殉忠ノ将士ノ跡ヲ追ヒ、特攻ノ精神ニ生キントスルニ於(おい)テ、イマヤ考慮ノ余地ナカリシナリ。


 宇垣長官の戦藻録は、当日の模様をそのように綴っていたのである。

 ときまさに、昭和二十年八月十五日正午。われわれは終戦の詔勅を、大元帥陛下の玉音によって拝聴したのだ。

 敗戦! それは厳たる事実なのだ。長官も参謀も、そして士官も兵も、相ともに玉音をきき、敗戦の事実をこの耳に灼(や)きつけたのであった。

 だが、誰の胸にも、それは現実感となってはひびかなかった。

 そしてその日の午後四時には、食堂で長官訣別のささやかな宴が催された。

 長官の戦斗行は、陛下の玉音をもっても阻止することはできなかったのである。

 長官は三種軍装に威儀を正し、右手には、嘗(かつ)て山本元帥から贈られた遺品の短刀を握りしめていた。

 にこやかに席につく長官には、数時間後に迫る、死の怖(おそ)れは微塵もなかった。


宇垣纏中将.jpg


散華するみたま

 瀬戸の海は、夕陽に映えて、赤くきらきらと光っていた。

 長官は双眼鏡を首からかけ、静かに、一番機に歩みよった。十一機の彗星艦爆は、すでに轟々たる爆音をひびかせ、十一組二十二名の搭乗員は、日の丸の鉢巻をきりりとしめて、長官を迎えた。

 一番機は指揮官中津留大尉の愛機だ。長官は銀翼を連ねた彗星を眺め、

「中津留大尉。命令とちがうようだが ─── 」

と瞳をくもらせた。

「わしは、五機出動と命令した筈だが」

「はッ。五機だけと指示したのですが、部下は上官たる自分の命令をききません。長官が ─── 親父が突っこまれると云うのに、五機と限定するとは何事だ。われわれは十一機、これ一心同体だとききいれません」

 二十二人の白い歯が、にゅッとこぼれた。微笑さえ浮べているのだ。

「そうか ─── わしと一緒に行くというのか」

 長官は声をうるませた。

「そうであります!」

 一斉に、十一の口が、破(わ)れ鐘のような声を飛ばした。

「よし! 命令を改める。彗星十一機、只今より敵艦隊を攻撃す!」


【ともに征く搭乗員たちに最後の訓示中の宇垣中将】
宇垣纏中将_最後の訓示.jpg


 長官は一番機の偵察席から、手をふって自ら出撃の命を下した。

 エンジンのひびきが、暮れゆく大空にこだました。長官は、地上に整列した部下の将兵に、いつまでも手をふって、その歓送に応えていたが、やがてその白い手も、遠く夕闇に吸いこまれ、エンジンの音は、はるか南溟(なんめい)の雲間に消えていったのである。


【操縦の中津留大尉と宇垣中将の間に遠藤秋章飛曹長の姿がある】
宇垣纏中将_彗星艦爆偵察席.jpg


 まもなく進行中の長官機から、麾下(きか:特定の指揮権の下にあるもの)将兵に対する訣別の辞が送られてきた。

 その電文を、田口大尉が涙とともに読みあげた。


過去半歳ニワタル麾下各隊ノ奮戦ニ拘(かかわ)ラズ、驕敵ヲ撃砕シ、神州護持ノ大任ヲ果スコト能ワザリシハ本職ノ不敏(ふびん)ノ致ストコロナリ。 本職ハ皇国無窮 (*5)ト天航空部隊特攻精神ノ昂揚ヲ確信シ、部隊隊員ガ桜花ト散リシ沖縄ニ進攻、皇国武人ノ本領ヲ発揮シ、驕敵米艦ニ突入撃沈ス。 指揮下各部隊ハ本職ノ意ヲ体シ、来(きた)ルベキ凡(あら)ユル苦難ヲ克服シ、精強ナル皇軍ヲ再建シ、皇国ヲ万世無窮トナラシメヨ。

天皇陛下万才!

昭和二十年八月十五日一九二四   機上ヨリ


 将兵はわッと声をあげて泣いた。まもなく

「敵空母見ゆ!」

 という飛電につづいて、

「われ必中突入す! さらば!」

 その声が最後だった。

 とき午後七時三十分 ─── 終戦の八月十五日。

 神州不滅を叫び、この地上から消えていった最後の特攻隊の悲壮な姿だった。     (完)






  • 最終更新:2015-08-17 05:48:16

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