【天山艦攻機隊】菊水第七号作戦!沖縄へ沖縄へ!!菊水隊沖縄特攻戦記

菊水7・8号作戦/第8・9次航空総攻撃概要

場所 沖縄周辺
戦闘状況 上陸支援部隊に対する特別攻撃
日本側攻撃部隊 海軍 第九神風桜花特別攻撃隊神雷部隊桜花隊、同攻撃隊
神風特別攻撃隊菊水白菊隊
徳島第一白菊隊
第十銀河隊
第三正統隊
陸軍 特別攻撃隊飛行第六十二戦隊
第二十六振武隊
第二十九振武隊
第四十九振武隊
第五十振武隊
第五十二振武隊
第五十四振武隊
第五十五振武隊
第五十六振武隊
第五十七振武隊
第五十八振武隊
第六十振武隊
第六十一振武隊
第六十六振武隊
第七十振武隊
第七十八振武隊
第百五振武隊
第四百三十二振武隊
第四百三十三振武隊
連合国艦船被害 沈没/米輸送駆逐艦ベイツ、米中型揚陸艦135号
大損傷/米駆逐艦ストームズ、米掃海駆逐艦バトラー、米輸送駆逐艦バリー、同ローバー、
    米護衛駆逐艦オーネイル、米掃海艇スペクタクル
損傷/米駆逐艦ゲスト、米護衛駆逐艦ウィリアム・C・コール
作戦経過 1945(昭和20)年5月24日から25日にかけての菊水7号作戦期間中、特攻機182機、戦闘機
311機、その他が投入されたが、大半のものはエンジン故障や天候不良のため途中から引き
返した。12機出撃した桜花のうち8機が帰投した。これら特攻機のうち38機が攻撃兵力の穴
を埋めるために投入された機上作業練習機の白菊であった。7号作戦が終わった時、五航艦
(第五航空艦隊)では、兵力があまりにも少ないので、陸軍に協力することはできないと報
告していたが、五航艦は陸軍の第8次沖縄航空総攻撃を支援するよう、豊田連合艦隊長官から
命ぜられた。日本海軍記念日の5月27日、菊水8号作戦が実施され、175機が出撃した。この
攻撃には白菊31機、零式水偵13機、彗星8機、重爆10機、天山4機、銀河9機、陸上攻撃機
14機が参加した。出撃機数の割には、日本軍は立派な戦果を挙げた。駆逐艦2隻を撃沈し、
輸送駆逐艦1隻と兵員揚陸艦1隻に大損害を与えたほか、駆逐艦6隻、輸送船3隻、掃海艇1隻
にも損傷を負わせた。


出典:1956(昭和31)年 日本文芸社 「現代読本」第一巻第七号所収
   当時九三一空菊水隊千代田部隊員 元上飛曹 三村正治「菊水隊沖縄特攻戦記」


一噸(トン)爆弾を抱きかかえ米軍基地に突進した天山艦攻機の一撃に、大型輸送船は水柱を噴き上げて轟沈!

菊水七号作戦発動

 沖縄作戦がもっとも熾烈だった昭和二十年初夏の五月二十五日、陸軍協力の菊水第七号作戦に雷撃の任務をおびて参加することになったわが九三一海軍航空部隊の天山艦攻機隊は、残留部隊の盛大な見送りをうけながら、月光に浮び上った沖縄作戦の第一線基地串良をとび立った。


【天山艦上攻撃機】
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 菊水第七号作戦の大要を説明すると、まず、夕方から薄暮にかけ、わが陸海軍の戦闘機が伊江島および沖縄上空の制空権を確保する。つづいて陸軍の挺身切込み隊が飛行機で強行着陸し、斬込みを敢行するが、それを陸軍の靖国(双発機)が銃撃で掩護、これと併行して海軍の彗星艦爆が沖縄周辺の敵艦船を爆撃するという立体綜合作戦で、わが雷撃隊の任務は、それにさらに魚雷攻撃を加えるという、いわばこの作戦に於けるしんがりの役目をうけたまわっていた。出撃の天山艦攻機は全部で十機であった。


【沖縄米飛行場強襲作戦に出撃する義烈空挺隊】
義烈空挺隊2.jpg


 出発に先立ち、我々には左のような指示があたえられていた。


一、敵の機動部隊が近海にいるかもしれないので、それを発見した場合には、沖縄に行かずにそれを攻撃すること。

一、敵機動部隊を見落とさぬよう、種ヶ島の右と左に分れて進撃すること。

一、途中、敵機動部隊に遭遇しない場合は、沖縄周辺の敵艦船を攻撃すること。


 さらに、串良基地が明朝B29の攻撃を受け帰還しても着陸できない場合に、着陸すべき二三の基地が示され、その中には喜界島の基地もふくまれていた。

 とび立った艦攻機隊は一路、沖縄へ沖縄へと南下をつづける。重い一噸魚雷を抱いて脚が重い上に戦闘機の護衛もないので、慎重に見張りがつづけられる。我々には夜戦(夜間戦闘機)がいちばんの苦手で、こいつに先に発見されれば、まず撃墜を被ることはまぬがれない。先にこっちで発見して逃げなければならないので、見張りは真剣そのものだった。

 私の機は、種ヶ島東廻りの五機の中に加っていた。出発直前の指示にしたがい、残る五機は、島の西側をとんでいた。

 私の機は、操縦員が福田兵曹、偵察員が川村兵曹、電信席には私。三人とも、極度に緊張しているが、海上には、空母の影も形もない。何時(いつ)まで行っても同じことだ。そのうち、右側に、小さく喜界島が見える。

 ひきつづき何事もなく(流星があるたびにグラマン夜戦ではないかとヒヤッとしたが)午前二時ごろ、前方に沖縄本島が、黒々と見えてくる。接近するにつれ、その全島を覆うように、赤、青──色とりどりの火線が縦横にとび交うのがわかり、地上に於ける戦闘の烈しさを物語っているようだ。

 挺身斬込み隊は成功したにちがいない。

「やっている。やっている!」

 全身が叫び出しそうな、名状しがたい昂奮におそわれる。しかし、どうしたものか、わが天山艦攻の目標である敵の艦船は、一向に見えないのである。敵を求めて、ものの三十分も海上の空を旋回していたであろうか。その時、沖縄本島南端にあたり、白燈(きいろい光)が三つ四つ、点々とまたたくのが望見された。


いよいよ雷撃!

「なんだろう。アレは? 接近してたしかめて見よう」

 川村一飛曹も、すぐそれに気がついたらしい。

 機は、その白燈に接近するべく、けらま列島と本島中間の海上をとんで、東に針路をとる。敵を捕捉攻撃するならいまだ。月が沈んで海上が暗くなってはもう遅いのだ。

 接近して見ると、海上に点々と小島のようなものがいくつも浮んで見える。

「おかしいな。こんなところに島はないはずだが……」

 さらに接近するにつれ、われわれは思わず

「あっ」と声を飲んだ。いる、いる! 小島のように見えたのは敵の艦船で、よく見ると、巡洋艦、駆逐艦、その他輸送船などが、すぐには数えきれないほど、点々としてならんで碇泊しているではないか。われわれは、いったん白燈上を通過すると、中城湾に入り、さらに左旋回して雷撃進路に入る。

 川村兵曹が福田兵曹にむかって、

「目標、前方の輸送船」

 と伝達しているのがきこえる。中城湾では十米(メートル)くらいの高度で魚雷発射しないと、潮流の関係で、射点沈没するおそれがあるので、機はぐうっと降下して、海面スレスレにとぶ。月光にキラめく海面が、矢のようにはしる。全速、息づまるような一瞬「ヨー」「テー」の声が伝声管を流れる。次の瞬間機はフワリと浮きあがった。魚雷はまさに発射されたのだ。そのまま機は大型輸送船の船首上空を通過、左旋回で、上昇排気管から物凄い火の粉を噴きながら上昇に移る。

 上昇しながら海上を見下すと、いましも魚雷は、夜目にも白い航跡を一直線にひきながら、大型碇泊船にむかって突進している。去る一月の別府湾に於ける、実戦さながらの雷撃訓練をはじめ、訓練中、事故死者を続出させたほどの猛訓練の成果が、いま実敵にむかって発揮されようとしているのだ。

 息をのんで魚雷の航跡を見つめている、その一瞬、輸送船中央に、船の三倍もの高さのまっ黒い水柱が噴きあげる。

「万才!、当ったぞ」

「当った、当った!」

 一同、思わず声をあげて、快哉をさけぶ。

 この時、機翼に鋭い鋼鉄音がはじけ、叩かれたようなショックが、機体を揺りあげた。

 敵は電探による機銃掃射を開始したのだ。つづいて、高角砲が機の周囲に炸裂しはじめる。その物凄い弾幕のあいだを、機は右に左にバンク (*1)しながら、いったんあげた高度をまた下げて速力を増し、突っ込んでは逃げた。

 それを追うように、今度は曳光弾が花火のようにポンポン打ちあげられ、夜空はあかるく染った。それに対抗して、こちらも欺瞞紙を撒(ま)いて、敵の眼をくらまそうと試みる。


【欺瞞紙】
全軍特攻欺瞞紙1.jpg
☞電探欺瞞紙。電波を反射する物体を空中に散布することで、レーダーによる探知を妨害するもの。

 
 逃げながら、さっきの輸送船を見ると、すでに水柱は消え、船は大きく傾斜して、船尾から水中に没しつつあった。

「しめた。轟沈!」

 と直感した瞬間、また、翼のあたりにガンと大きな衝撃があり、機は大きく傾むく。

「やられたかな?」

 と思いながらも、伝声管にしがみついて、夢中で「全速、全速!」と怒鳴る。陸地上空にのがれることは危険なので、機は全速で艦船群の真上に突っ込んだ。すでに曳光弾は消えていたが、敵艦の上を飛ぶたびに、電探射撃で打ちまくられる。まさに全速でとんでいるのだが、まるで機が停止してでもいるかのような焦燥感でヤキモキする。海上を見ると二隻の敵艦が全速で「の」の字運動をしながら逃げ廻っている。なんのことはない。両方で逃げっこしているのだ。そう思ったら、危急の瞬間なのに、なんとなくオカしくなった。

 敵に遭遇するまではなんとなく不安があるが、いざ戦闘開始となると、そんなものは吹ッとんでしまうのだった。

 雷撃を終って、すでに攻撃の武器もない我々は、一刻も早くこの死闘の空を脱出せねばならなかった。猛烈な対空砲火の洗礼を受けながらも、どうやら艦隊上空を通過したらしい。「ラユ」雷撃終り、を送信して機首を立てなおした時、また新しい敵が私たちに挑みかかってきた。後方の空に、こちらを向けて進んでくるグラマン夜戦一機を発見したのだ。

「しまった!」

 グラマン夜戦では相手が悪い。最後の欺瞞紙を一束まき散らして、必死の遁走に移る。

 遁走数分、背後をふりかえってみると、どうしたものか、グラマン夜戦の姿はない。こっちの姿を見失ったのかもしれない。とにかく、肉眼での夜間飛行は日本人は絶対に優秀なのである。グラマン追跡もなくなったし、機は北へと方向をとり、基地へ向って、大型輸送船一隻轟沈の戦果を打電する。もう欺瞞紙もないので、さらに夜戦への警戒を厳にしながら飛行をつづけ、何時(いつ)か奄美大島西海岸の上空に到達していた。戦闘に移る前、敵発見のために三十分くらい空費していたので、串良基地まで帰れる燃料がなくなっていた。


【串良基地】
九州航空基地_串良.jpg


 仕方なく、遠くに見える喜界島に不時着することにきめ、基地に向けて「われ不時着す」の無電をうつ。時に午前四時ごろ、いくらか空は白みかけたようである。喜界島上空に達した我々は、上空を旋回しながら、地上へ向けて味方識別番号を出したが、地上からなんの応答もない。むろん夜設(夜間に飛行機が着陸する設備)が行われる様子もない。

「おかしい。どうしたのだろう?」

 不審に思いながら、さらに味方識別番号を出すが、依然として地上はまっ暗で、なんの反応もない。附近には敵の潜水艦がいるかも知れず、また上空ではグラマン夜戦が見張っていないとも限らないので、そう瀕繁 (*2)に味方識別番号を出すわけにもいかない。我々はようやく、不安と焦燥の念にかられてきた。こんなことをしていたら、やがて燃料がつきてしまうし、他の基地へ今から向うことも不可能だった。


雷撃魂の権化小松大尉

 今度はもう最後の手段だ。我機は脚を出して超低空で、小さな喜界島の上をグルグルまわりはじめた。すると今度は、パッと夜設のカンテラがついたのである。

「やっと判ってくれたか」

 ホッとして、誘導コースをまわり、やっとのことで着陸した。しかし、どうしたことなのか、頭上に敵がいるかもしれないというのに、今度は夜設の燈が煌々ととつけっぱなしになったまま、何時(いつ)までたっても消えようとしないのである。

「整備員はいったい何をしているのだろう?」

 我々はようやく、強い疑惑と不安をもちはじめた。このあたりには、第一線の優秀な整備員が配備されているから、こんなヘマをやるはずはないのだ。

 そう思っている時、突然、パッパッと花火のように火がはね、頭上に不気味な爆音が迫ってきた。

「あっ、グラマン夜戦だ!」

 まだ機上にあったわれわれは、はじかれたように機からとび下りると、夢中で滑走路を駈けだした。

 グラマンは二機いた。やはり上空で旋回しながら、こっちをねらっていたにちがいない。走るわれわれに向って、グラマンは低空で銃撃を浴せて来た、すぐそばで土けむりがパッパッと上った。とにかく、手近かの遮蔽物に駈けこまねばならない。伏せては駈け、伏せては駈けしていると、また不思議なことが起った。今度は地上から、私たちに向って機銃がうなりはじめたのだ。事態を判断するまもなく、夢中で飛行場のはずれの草むらにとび込んだわれわれはさきほどからの漠然とした疑惑が、ようやく強い不安となってくるのを感じた。

 もしや、喜界島は敵の手中に帰しているのではないか? そう思ったとたん、慄然と膚(はだ)に粟を生じてきた。そうだったら百年目である。われわれはすべて、拳銃一つ持っていない丸腰だった。

 その時、福田兵曹がこんなことを言った。

「この夜設の仕方は、四月十一日に此処(ここ)へ来た時と同じものだ。敵じゃないよ」

 われわれも、そう思いたかった。さっき串良基地を出発する直前にあたえられた情況から言っても、此処は味方によって確保されているはずだった。そう短時間に、情況が変るはずもない。そのあいだも、グラマンはつづけて銃撃をくり返している。その時、われわれはふと、ちかくの防空壕らしいところで、人の話し声をきいた。まぎれもない日本語だ。もう大丈夫、と思ったので私たちは、パッと草むらから出ると、

「入れてくれ!」

 と叫びながら、その壕の中に、かけこんだ。

 やっぱり、喜界島基地は、我軍の手中に確保されていたのだ。そのとき、グラマンの音が一時遠のいたように思ったので、われわれは指揮所に行って不時着の報告をすませ、ついでに今夜の戦果を報告する。そのあいだに整備員たちは、グラマンの再襲にそなえてわれわれの愛機を飛行場の片隅に押してゆくと、木の葉などをかぶせて擬装してくれた。

 予想通り、グラマンはまたやってきた。今度は二機、四機と次第に数をまし、ついには十六機もやってきて、かわるがわる急降下しては銃撃する。ひとしきり、猛威をたくましくすると、グラマンはふたたび遠ざかっていったが、わが天山は、せっかくの擬装のかいもなく、この銃撃によって、ついに炎上してしまったのである。

 情況が一段落したところで、さっき、われわれが着陸する時の、飛行場の不思議なやり方についてきいてみると、地上では、はじめわが機を敵機と誤認し、味方識別番号が出てもわざと夜設をしなかったらしい。というのはその時、飛行場上空にグラマン二機が征空中ということが判っていたからである。しかし、われわれが、しまいには脚を出して低空でとんだので、その爆音ではじめて天山艦爆とわかり、いそいで夜設をしたのだった。それと同時に、今度は、われわれの上空から襲ってきたグラマン二機をも味方と誤認、その着陸にそなえて、夜設を消さなかったのだという。

 九死に一生を得たわれわれ三人は、翼(よく)をうばわれたまま、しばらく喜界島基地に滞在することになったが、そこで、われわれの分隊長小松大尉機の、胸のすくような戦果を知った。

 ちょうど、われわれが敵輸送船を攻撃しているころ、小松大尉機は敵の戦艦に攻撃を加えていた。ところが、雷撃進路に入ると敵艦が回避したので、射点が不良となり、攻撃をやりなおすことになった。

 雷撃機隊のつねとして、攻撃をやり直した時には必ずといってもいいほど失敗し、撃墜されることを免れなかった。それを、小松大尉はあえて、攻撃のやり直しをしたのである。しかも、二度目もダメ、三回目もいい射点につけず、四回目にとうとう魚雷を発射して命中させるという、とんでもない離なれ業をやっのけたのである。まさに雷撃魂の権化ともいうべきものだった。この時の操縦は小松大尉、偵察は芦野兵曹長、電信は伊藤上飛曹だった。


照明雷撃に出動

 不時着した喜界島基地から串良基地に帰ったわれわれは、こえて七月十八日、ふたたび月明雷撃の命をうけた。めざす相手はやはり沖縄周辺の敵艦船だった。このころは戦局は大きく移り変り、沖縄戦も米軍の勝利に帰して、沖縄戦開始当時、串良の基地にひしめいていたわが艦攻隊、特攻隊も残り少なくなっていた。その大部分は、来るべき本土決戦に備えてそれぞれの方面に配属されていた。そのあとは、串良にいる各雷撃隊の残存搭乗員が掻きあつめられて新たに九三一空が編成され、対沖縄攻撃を一手に引受けることになったのである。しかし、その陣容はさびしいもので時たま申訳(もうしわ)けのように出撃するだけであり、すでに頽勢をくつがえすべくもなかったのである。

 七月十八日の月明雷撃では、私の機はエンジンの調子が悪く、ついには攻撃に向う中途からひっかえし、一噸魚雷を抱いたまま、ふたたび串良に逆戻りした。

 ついで八月の十日、われわれはふたたび沖縄周辺の敵艦船を索(もと)めて、照明雷撃に出動することになった。照明雷撃とは、月のない暗夜、照明弾を投下して、敵艦船を攻撃する方法で、照明機と雷撃機の二機が、きんみつな一体となって行動しなければ、なんの役にもたたないという、技術的に非常にむづかしいものだった。

 そのころ、照明雷撃のできる少数のペアーを新選組 (*3)と目されていたが、この新選組が出撃することになったのである。

 もう少し照明雷撃のむづかしさについて説明すると、照明、雷撃の二機は、攻撃に向う途中、敵の戦闘機、地上砲火など、どんな急迫した情況に遭遇しても、決してはなればなれになる事はできなかった。いったん、攻撃目標の上に達すると、照明機は、あらかじめ雷撃機と打合わせ地点で雷撃機をはなれ、一定の間隔をおいて照明弾を落してゆく。その光茫を利しぐっと高度を下げた雷撃機が目標をとらえて雷撃するのである。二機一体のぴったり呼吸の合った攻撃もむづかしいが、攻撃地点にゆくまでの、夜間飛行で、たがいに緊密な連繋を保たなければならない。いずれにせよ、最高度な夜間飛行の技術を必要としたのである。

 八月十日午後七時三十分、わが照明雷撃隊は串良基地をとび立った。私の雷撃機がとび立つや、これに添うように、照明機の離陸してくるのが見える。そのまま、照明機は、二番機の位置をがっちりまもって、ついてくる。雷撃機が一番となって進出するのは、燃料の節約のためであった。沖縄本島との中間奄美大島あたりまで行くと、編隊の位置が変り、照明機が一番機に進出することになっていた。やがて、一番機交替で、照明機がどんどん前へ出る。もちろん、航空燈も尾燈も点けていないから、機体がぼんやり黒く見えるだけだ。そのうち、一番機が何時(いつ)か前方に遠のいた、と思う間に尾燈をつけてわれわれを誘導してくれる。二機はまたがっちり編隊を組む、こうしたことを繰返しながら、やがて沖縄上空ちかくにさしかかった。

 この時、私の機の背後で、赤いオルヂスがまたたいている。

「おや、おかしいぞ! 照明機が何時(いつ)のまにか後になったのかな」

 と思ったが、しかし、考えて見ると、照明機の発光信号は、赤いオルヂスではないわけだ。私は、とっさに気がついて、

「夜戦、夜戦が後ろからくる!」

 と怒鳴った。機は急速度で右旋回すると雲の中に退避する。もう赤いオルヂスも、先をゆく照明機も見えない。

「空中衝突でもしなければいいがなあ」

 思っていると機はふたたび降下し、雲外に出た。ちょうど、その地点が、照明機と別れるところだったらしい。照明機は、すでに海上に照明弾を八箇(こ)投下すべく、はるか三千米(メートル)の上空に上昇していた。もう照明弾が投下される頃だと、上空を見つめていると、高い上空から、一つ、二つ、三つ──と、全部で八箇の照明弾が、等間隔に落下してきた。海上ばパーッと明るく照し出される。わが機はこの時とばかり、光茫と闇の境をぬうようにとびながら、海上に索敵するが、敵艦船の姿もない。そのうち、照明弾はもえつきて、あたりはふたたび暗黒にかえった。照明弾を落し終った照明機は、先に帰路につく。しかしわれわれはまだ魚雷を抱いたままだ。この夜、沖縄上空に行動しているのは、われわれのたった二機だけだった。その一機と別れるのかと思うと、なんとなくさびしい。

 しかし、照明機を送ったわれわれは、さらに敵をもとめて、沖縄の上空をとびつづける。

 まもなく、われわれは、はるかな海上に、もの凄くあかるい燈火の列を見た。その不夜城のようなうつくしい光の列は、いったい何だろう。なかば訝(いぶか)しみながら接近して見ると、なんとそれは、おびただしい敵の船団ではないか。あらゆる艦という艦、船という船が煌々と灯をともし、観艦式でもあるかのように、居ならんでいるのである。この世のものとも思われない。そのあまりの美しさにわれわれ三人は、操縦席も、偵察席も風防を開けっ放しにして、しばし呆然と見とれていた。だんだん、その光の列に接近してゆくが、べつに対空砲火を打ちあげる気配もない。不思議なくらい、しづかだった。しかしいまは、それに見とれている場合ではない。われわれは未発射の魚雷を一発抱いているのだ。

 すぐ、攻撃意識をよびさますと、船団のいちばん右端をネラって雷撃進路に入る。

 魚雷発射。機がスッと軽くなる。すぐさま全速右旋回で船団上空をさけ、離脱する。といままで点いていた船団の灯が、パッと消えた。魚雷は命中したのかどうか、暗夜で灯も消えたので確認できない。しかし、船団は依然として静まり返り、対空砲火はやはり沈黙したままだ。いっせいに船団の灯が消えたと思ったのは錯覚で、ネラわれた当の船をのぞいては、燈さえ点じたままだった。

「不思議なこともあるもんだなあ」

 われわれは狐につままれたような気持になりながら、やむなく攻撃を断念して帰路につくほかはなかった。この夜、何十機かが出動していれば、目ざましい戦果が上ったのにと思うと、惜しい気がしてならなかった。

 八月十四日、串良基地で沖縄作戦続行中だった私達は、八月十四日夕刻、攻撃交代の命をうけ、それぞれ配置替になることになった。私達は、四国の観音寺航空隊に、照明機搭乗員として配置されることになった。が、この時はもうたたかいは終っていたのだ。

 八月十五日、朝食をすませて後、四国へ出発すべく搭乗員宿舎で待機していたわれわれがきいたのは、無条件降伏に関する陛下の玉音放送だった。

 それを、われわれがどんなに万感胸に迫る思いできいたか、それは、改めて此処(ここ)に記すまでもあるまい。

 なお、不思議なのは、私にとって最後の作戦ともいうべき、あの八月十日の照明雷撃の時、灯をつけたまま静まりかえっていた艦の船団のことだった。

 終戦後の話では、八月十日はポツダム宣言を受諾した日であり、敵船団の不思議な沈黙は、あるいはそのためではなかったかと思っている。(完)


【資料出典】
・1995(平成7)年 光人社 「日本軍用機写真総集」
・1997(平成9)年 株式会社ベストセラーズ 「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」下巻

  • 最終更新:2017-08-16 11:48:08

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