【八紘隊第十一隊皇魂隊】八紘隊は征く
この手記は1945(昭和20)年、文藝春秋2月号に掲載された八紘隊第十一隊皇魂隊の生活態度や言動などの記録です。
執筆者は陸軍報道班員だった中野実氏で、取材場所は茨城県の鉾田 (*1)でした。
八紘隊十一隊皇魂隊は昭和20年1月8日にリンガエン湾で散華しましたが、まだ十代か二十代前半だった彼らは透きとおるほどに凛々しく、静かでした。
戦後、共産主義者らは
「特攻隊は天皇のために死ねと言われたのだ」
と宣伝してきましたが、この手記を見るかぎり、中野氏は
「死なせたくない。死なせたくない。私は、その時、ただそう思いつづけていただけである」
と記述しており、しかもこの手記は月刊誌上で発表されているので、特攻隊員は「死ね」とか「必ず死んで来い」と命令されたのではないことがわかります。
最も重要なことは、特別攻撃は天皇の裁可を受けずに編成されたということです。共産党が天皇を処刑しようと、金融支配している米英仏、植民地支配している豪を動かして日本を侵略してきているのに、万一日本が敗戦した場合のことを考えれば、天皇の御裁可を仰ぐはずがありません。
日本のことなど何も知らない共産主義者の日本悪宣伝にはだまされないようにしたいものです。
【1945年1月8日リンガエンの戦い】
【八紘隊第十一隊皇魂隊遺墨】
出典:1945(昭和20)年 中野実「八紘隊は征く」「文藝春秋」昭和20年2月号掲載
見張所のガラス戸をあけて入る。
三浦隊長をはじめ、隊の人たちが、黒板の前に集っていた。蝙蝠(こうもり)と外套(がいとう)と鞄をおいて、私は、隊長の前に立った。
「気をつけ、礼。」
三浦隊長の号令で、隊の人たちは起立して私を迎えられた。
「今度、われわれ八紘隊が出発するに当って、陸軍省の報道部からわざわざ中野さんが、おまえたちに会いに来て下すった。なんでも遠慮なくどしどしお話をするように。みんな腰かけていい。」
私は、隊長の次に、こんな意味の挨拶をした。
「今度自分は報道部の指示をうけて、明日出発される皆さんと親しくお目にかかって、いろいろお話をきき、その記録を残すようにと派遣されて来ました。私は大正十年兵で、支那事変に参加し、また昨年九月から今春にかけて報道班員として南方に派遣されましたが、今度、このような使命を帯びて、みなさんにお目にかかれることは、まことに光栄であると思います。小説や芝居を書いて来た筆で、みなさんのお話を語り伝えることは、とてもお呼びもつかないことですが、しかし、私は、四十四年のこの生涯において、こんな名誉の機会を与えられたことはありません。ただただ一生懸命、与えられた仕事をやりたいと思います。どうか、みなさんが思っていらっしゃること、こういうことを云(い)っておきたいと思っていられることをお聞かせ下さい。」
そう云って、私は、はじめて、隊員たちの顔を見渡した。まじろぎもせず、きっと唇を結んだ顔が、つぎつぎに、私の目に入って来た。いくつであろう。まだ、みんな若い。私は、その時、ふと、気づいて、私の覚えた隊員の人たちにめいめい署名してもらうことにした。
この隊員の署名のうち、桑原少尉、門口少尉の署名は、隊長の三浦中尉が、連絡のためにその場に居合わされなかった桑原、門口両少尉に代って署名されたものである。三浦隊長は、さらに、その隊長の署名の下に、年齢、階級、出身校を書き入れた。
私は、この署名を、我家の家宝とする。
大阪の友人が土産にと云って持って来てくれた「光」が十個あった。ほかに、私が持っていたのと合わせて、隊員たちの前にさし出すと、
「やあ、光ですか。珍しいですな。」
春日軍曹は顔をほころばせる。三浦隊長は恐縮そうに、
「いただきます。おい、みんな、光をいただいたぞ。」
たった一個の「光」がこんなにも隊員たちを喜ばせるのであろうか。しげしげと「光」に見入るのは渡辺伍長。みんな、うまそうに火をつけて吸い出した。
「まだ若い者が多いのですが、タバコだけは…。」
と三浦隊長がはにかみながら、喫煙を黙認していることを説明する。誰が咎(とが)めようか。明日はレイテ湾に花と散る人々のかそけき無心のわがままではないか。
以下、私に答えて下すった人々の言葉をそのままに綴る。
三浦中尉(隊長)
私はずっと空輸をやっていました。空輸からかえって、始めて、新聞で万朶隊のことを知りました。今月の十一日でした。今度、休暇が出て、郷里の愛媛県の宇和島にかえりましたが、途中汽車が長くかかって十五日の昼前に家へ着きましたが、その翌朝、すぐ出発しなければなりませんでした。自分の家は農家です。いよいよ特別攻撃隊に出ることは知っていましたが、両親には何もうちあけませんでした。しかし、やっぱり肉親です。ぴんと来るらしいんです。同胞は三人です。姉一人と弟が一人あります。弟は今年予科士官学校に入りましたから、もう私の弟があとにいてくれます。
門口少尉
親父はしっかりしていますが、おふくろはどうも苦手です。おろおろしてしまって…。
三浦中尉
それで強いのだ。
桑原少尉
しかし、もうすこし母親にしっかりしていてもらいたいですよ。
門口少尉 しかし、おふくろが泣いてくれるのでいいんだな。いいからおまえ死んで来いと云われたらがっかりするよ。
この門口少尉の言葉で、隊員たちはどっと笑い出した。
小平兵長
自分はうすうす知っていました。 この時、誰の口からともなく万朶隊隊長の岩本大尉の話が出る。岩本大尉は、自分の宿舎のそばに芋畑をつくり、これを、一同に食べさせる約束だったという。岩本大尉は、少年飛行兵の教官で、非常に部下になつかしまれていたらしく、岩本大尉の芋の話がはずんで、どうしても岩本大尉の仇をうつのだという決意が、隊員たちの眉宇(びう)にみなぎりはじむ。
渡辺伍長 自分も休暇が出た時に攻撃隊に参加するのだということはだいたいわかっていましたが、家へ帰ってもとうてい両親にはうちあけられませんでした。おふくろが、それと知ってか知らずか、空輸の方に廻してもらえばいい。その方が安全だからというんです。体当りをしてもいいから、生きてかえって来いというんです。
わかる、わかる、親の気持。しかしこの渡辺伍長の言葉で、また隊員たちは笑うのである。渡辺伍長のテキパキした調子がまだ私の耳底に残る。
三浦中尉
私は、空輸の途中から転属になって、××飛行隊からここへ来たのです。今日でちょうど十日目です。万朶隊の中には私の同期生もいます。みんな、グラマンに喰われました。が、陸軍では、海軍よりも先に特別攻撃隊があったのです。今の私たちの気持を、どうときかれても、ハッキリと申し上げられるものではありません。どういうものですか…。
三浦中尉はまたはにかむように顔をあからめる。世に美しいという形容があれば、三浦中尉のこんな時の表情ほど美しいものはない。生死を超脱したとか、死生観を割り切ったとか、そういうものではないのである。死なせたくない。死なせたくない。私は、その時、ただそう思いつづけていただけである。
利光兵長 休暇が突然出ました。攻撃隊に出ることは知りませんでした。帰ることを電報で知らせてやりましたが駄目で、家へ帰っても誰もいないんです。みんな稲刈りに出ておったんです。裏口から田圃(たんぼ)に出ると、昼頃になって父が帰って来て、じろじろ私を見るんです。まさかと思っていたらしいんです。ただ今かえりましたと云ったら、やっと気がついて…。それから、母もかえって来ましたし、親類などもやって来ました。はあ、妹が二人あります。
吉村伍長 家へ帰って、万朶隊の話をしました。自分も特攻隊で出るかも知れんと云いましたら、親父は、ただそうかと云っただけです。母も兄弟が多いから、誰かが手柄をたてるだろうと云いましたから、自分が一番早く第一線に立つと云って来ました。自分の家は神戸ですが、去年の夏帰った時には、中学の同期生でずいぶん不良カブレになっていた者もいました。しかし、今度かえって聞いたら、みんな志願したということで、なんだか寂しいような、また力強い気がしました。
入江兵長 自分は九州へかえりましたが、父は朝鮮にいるのです。電報をうったのですが、とうとう会えませんでした。未練と云ったらそれだけです。一度会っておけたらと思います。
私は瞼が熱くなった。どんなにか、この神鷲は父に会いたかったろうか。そしてこれはその翌日のことであったが、三浦隊長は、一日出発が延びたので、入江兵長に電報をうって、父に大阪へでも来てもらえと云っているのを私は傍(かたわら)で聞いて知っている。弱冠二十二歳の三浦中尉が、隊長であればこそ、部下の心中を思いやってのいたわりであったろう。
小平兵長 郷里へかえったら、途(みち)でパッタリ先生に会いました。小さい時から、先生は、私に無駄死するなと教えてくれました。先生にうちあけようと思いましたが、とうとうそのままお別れしてしまいました。しかし、私は、先生にお会いできて、こんなうれしいことはありませんでした。父は、隊へ面会に来てくれました。父は、諒解してくれました。
小平兵長は十九歳。恩師を偲びつつ征途にたつのである。先生。安心して下さい。そして、小平兵長の最後の言葉を喜んであげて下さい。
寺田兵長
自分は何もいうことはありません。ただ今度休暇をもらって、国へかえる途中で、汽車でも電車の中でも、自分が航空隊の者であることを知って、みんな親切に、席を譲ってくれたりしてくれました。それで、国民の期待を強く感じました。責任が重いことを感じました。家へかえって、岩本大尉殿の話をしながら、自分も第一線へいよいよ立つなと思っていると、万朶隊の戦果が発表になりました。家でも期待しておりますから、その期待にそむかないつもりであります。
寺田兵長も十九歳。小柄であるが、怜悧な眸(まなこ)、子供々々した口もと。国民の期待と責任の重大-こんな言葉が、しかも、私たちが不用意に使えば概念的に耳を掠(かす)め去るこんな言葉が、私の胸に強く響いたのは、皇国の神兵たる十九歳の熱血と燃えるような肉体とがよく裏うちしているからである。そしてこれは、もは言葉ではない。肉体で書かれているのである。肉体と精神そのものなのである。
渡辺伍長
渡辺伍長はせき込んでいう。はげしい力をこめて次のごとくいう。
率直にいいます、死ぬのはいけないのだ。私は、内心寂しいと思っています。
私は、ここに渡辺伍長の言葉をありのままに記録した。そして、私はあえて、これに註釈を加えまいと思う。だが、しかし、これだけの言葉を捉えて、誤解をされては申しわけないから、一言附け加えておきたい。ある人はこれをこの渡辺伍長の生徒死の苦悶なりと心理を説く人があるかも知れない。帰らざる前途を控えて多少とも心の緊張が伍長を上がり気味にしているのだろうと解する人があるかも知れない。よしやよし、それらの人の推量が何分の一か当っていようとも、決して、卑怯ではないことを私は強調する。私は、伍長とほとんど丸二日一緒にいた。下士官室を訪ねて、私は無言の中に、渡辺伍長を凝視しつづけた。私は後記するであろうが、この渡辺伍長こそ真先(まっさき)に敵艦に突入するであろうことを疑わない。それほど不敵な渡辺伍長の面魂が私の眼底から離れないのである。
春日軍曹
なんにも知らずに家へ帰りました。すると、その日に万朶隊の発表です。その時、はじめて、俺も行くなと感じました。それで、ほんとのことを云ったら、またおふくろに泣かれると思って、冗談めかして、俺も体当りをするかも知れんと云っておったんですが、最後の日になったら、ほんとのことをほのめかしてかえるつもりでおったんです。ところが、どうしても云えなくてね。ほかの家から電報をうって帰隊しました。その前に、家を出る時に、どうかして覚悟をさせようと思って、十二月になったら、ラジオのスイッチを入れていてくれと云って出て来たら、途中で、おふくろが感づいたらしいんですよ。急いで家を出て、駅へ行く途中で、おふくろがうしろから追いかけて来て、私の名を呼ぶんですよ。つかまったらかなわんと思って、とっととこっちは駈け出して来たんですが、こんなことなら、よくわけを云って落ちつかせて来た方がよかったですよ。
春日軍曹はそう云って明るく笑うのである。私は鼻がしらがじいーんとなって、目をそむけてしまった。
人懐っこい春日軍曹の顔が浮ぶ。鼻の下にうす髭を生やした、鋭角的な輪郭は、私の知人の誰かにも似ている。そう云えば、入江兵長が、どこかしら私の弟に似ていたことも、親身になって隊員たちの空気にひき入れられた原因でもあった。
野沢曹長
自分は休暇が出た時に、特攻隊に入ったということはわかりました。それで、家へかえっていうつもりでありましたが、母親は胃腸病で長い間寝ていますし、自分もすこし健康を傷めているので、かえって母親が自分のことを心配するもんですから、とうとう、うちあける機会がなくて帰隊しました。しかし、私は、最後に、親父に礼を云いました。親父は、弟も予科練にいるから、しっかりやって来いと云ってくれました。
野沢曹長は、事実、健康を害しているらしく、扁桃腺を痛めて、その日も軍医に診てもらったらしい。三浦隊長は、まるで自分のことのように、いたわっているのが目にのこる。
倉知軍曹
私は、これで戦地へ行くのは三度目です。今度休暇で家へかえって、また戦地へ行くからなと云っていると、万朶隊の戦果発表がありました。見ると、岩本大尉殿はじめ自分の戦友の名が出ているので、これは、うちの隊から出た人たちだと云ったら、おふくろがお前も体当りするのかというので、また帰るからと云って来ました。もう云い残すことも何もありませんでした。親父が、妹の婿も弟二人も南方へ行っているのに、誰も手紙をよこさない。お前はこの正月から手紙をよこせというもんですから、承知しましたと云って出て来ました。
朴訥(ぼくとつ)そうな倉知軍曹。日焦(ひや)けした大きな顔。神様を欺くことができないように、この人も生きているうちから欺けないような人のよさが身にしみる。
桑原少尉 自分は同胞が多くあります。はじめの気持は、自分でも明瞭ではなかったと思います。これは自分だけの感じであります。母は、やはり、女々しくあります。しかし、そのうちに、自分も南方へ行くかも知れんと云ったら、覚悟したようであります。父は軍人であります。いいところで死ね。つまらんところで死ぬなと、そう申しました。しっかりやって来ようと思います。
桑原少尉はきびきびした調子で語る。
三浦中尉 一同初陣であります。任務に邁進するのみであります。そして、この任務は一度で、また最後のものであります。まだ若い私でありますが、みんなも私について来てくれるものと確信しております。御承知のように、今度の私たちの任務はハッキリしています。ほんとに雪のような、世の俗塵を去って(と云いながら、三浦中尉は、黒板に、俗塵という文字を書き示す。)自分たちの口からいうのも変ですが、そういう気持でおります。しかし、日本の軍人として、こうして死ぬのも、また第一線の部隊が地上で戦うのも、また海上で軍艦と運命をともにするのも、臣民として、同じであると考えます。ただ、私たちは、自分たちの戒めとして、華々しさを求めて、それに汲々として行動することのないように、どこの野辺に散ったかわからないように、ただ、私たちに課せられた任務を遂行するのみであります。今日も、鹿島さんへ参詣しました。鹿島さんは、実行、断行の神様であります。参拝させてもらってよかったと思います。鹿島さんでは練成道場へ導かれました。高貴な方々でも、宮様だけしかお入りにならない、そんなところへ通していただきました。微々たる自分たちが、もったいないことです。宮司様が、いずれは、神様になられるのだと云われまして、ほんとに何も彼(か)も破格の事をしていただきました。あとは、ただ八紘隊の自分たちが、やり遂げなればならぬ気持でいっぱいであります。
神の礫(つぶて)のように、私は胸うたれているだけであった。決死行の出発を前に、従容として、弱冠二十二歳の三浦隊長は、こう私に語るのである。わざわざ黒板に、俗塵なる文字を書きしるしたのは、おそらく、少年飛行兵出身の部下たちのためだったに違いない。最後の一瞬にいたるまで、隊長は細かい注意と周到なる用意をもってのぞんでいるのである。
門口少尉
隊長殿も云われたように、自分たちは、みんな光栄に思っております。地上部隊は悪戦苦闘しているのに、部隊長閣下をはじめみなさんに、激励していただいて、感激しております。この上は、覚悟して、りっぱな戦果をあげたいと思うのであります。
ところで、この間に、本部との連絡に中座した桑原少尉から、都合により、明日の出発が一日延期になった旨報告があった。傍で聞いていた私は、ほっとした。これは隊員たちの親御や同胞たちの心に通ずるものではなかろうか。それとも、これは、私だけの女々しい未練であろうか。
六時三十分表門発の部隊専用バスを待つことにして、私は、守衛舎に黙然と一人いた。
冷たい雨が降り出した。すると、何の話からか中年配の守衛長が、万朶隊の岩本大尉の噂をし出した。
「岩本大尉って、万朶隊の隊長ですか。」
「そうです。」
「少年飛行兵の教官だったそうですね。」
「そうですよ。えらい人でしたよ。若い人ですけれども、情があってね。週番の時なんかに当ると、よくここへ来られて、いろいろ親切にして下さいましたよ。」
天、人をもって云(い)わしむ。万朶隊の歴史は、光彩陸離たる伝統となって、すでに八紘隊の隊員の血潮に、脈々と波うっているのである。岩本大尉は、宿望達成の寸前、惜しくも敵グラマンのために散華されたが、必ずや大尉の英魂は、その教え子によって復仇成るの日を、静かに瞑して待っておられよう。私は、固く固くそう信ずる。
第二日。
午前六時二十分起床。
七時発の部隊専用バスに乗る。小糠(こぬか)雨。守衛室で、美藤副官を待つ。やがて、出勤の将校団を乗せたバス到着。副官室へ挨拶にゆく。
出発が一日延びたことは、私個人にとっては、またとない機会を恵まれたことだと率直にいう。副官は笑いながら、窓外の飛行場を眺めていたが、明日は大丈夫出発するでしょうという。
第二見張所にいたる。
すでに、隊員たちが顔を揃えていた。間もなく三浦隊長、門口少尉、桑原少尉の顔もそろう。
「気をつけ。桑原少尉以下××名集合終わりました。」
「休め。」
一同、着席する。この見張所は、名は見張所であるが、教室にも当てられているのである。
三浦隊長は、すぐさま黒板に向って、次のようなことを書き始める。
これは編隊の隊形である。操縦者の下に同乗者の姓名が括弧に入れられて附け加えられる。この同乗者は機付きの整備兵である。
「寺田、発動機の調子はどうか。」
「まだよくありません。右発は回転〇〇、左発は〇〇であります。」
「そうか。」
と隊長は、考え深げにじっと一点を睨む。紅潮した寺田兵長の顔に、ありありと、いまいましそうな色がうかぶ。××のような双発の飛行機は、回転数が同じでないと、離陸の時に、ひっかけられて事故を起すのである。今、寺田兵長は、その発動機の不調を、まるで自分の過失か怠慢のせいのように、唇を噛んでいるのである。
「離陸の時に、〇〇〇〇のものがあるか。」
三浦隊長はさらに質問をつづける。誰かが起立して、
「はい右発…。左発は〇〇…」
と答える。春日軍曹であったかも知れない。
隊長はそれをきいて、自分もこの間、気筒が二つに割れたことがあるから、と注意を与える。それから、一人一人について、発動機の調子をたずねた後、
「よし。」
と、その質問をうち切ってから、
「攻撃の際、装備で取り去るもの。」
と黒板に向った。私は、ギクリと胸に来た。隊長の文字を凝視した。
一、防弾鋼板
一、無線
一、酸素
一、同乗者銃架
「これだけとれ。つまり、これだけマイナスになる。そして、その代りに、〇〇〇㎏爆を積む。これがプラスだ。差引、プラス、マイナス、ほぼ同じだ。それで、〇〇〇㎏ +-になる。」
離陸、即、死なのである。肉体、即、爆弾なのである。私は、息づまるような気持で、隊員たちの気配をうかがった。微塵も変っていない。たんねんに、隊長の文字を書留めている隊員がある。
「行動の予定」
と三浦中尉は続ける。
「天候および器材さえよければ、明日は、××で泊る。次に××で泊る。それから××まで海上だ。それから××に行くのであるが、それから先は別に指示があるはずだ。で、明日出発の場合、その経路は、××まで直線に飛ぶ。」
「明日の見送りには」
と隊長が語をつづける。
「総監閣下もおいでになるそうだ。みんな、セイセイと出発するように努力せよ。」
この時セイセイは、正々という意味か、あるいは清々か、それとも整々か、おそらく、みんなを合わせた意味であったろう。正々堂々とすがすがしくそして整然と────
まだつづく。
「慎重ということも必要であるが、みんなおたがいに迷惑をかけないように。いいな。」
「はい。」
「出発の準備が完了したら、僚機から先に合図せよ。機付きに合図をさせたらよろしい。離陸直後はもっとも危険だから、決して、翼をふらないこと。飛行場上空で翼をふる。離陸の注意。滑走路使用のばあいは」
と云いながら、隊長は、黒板に図を書いて、
「この隊形にならぶ。途中故障の場合、小隊長機が不時着した場合は、小隊全部が下りる。隊長機が下りた場合は、全部下りる。それ以外の場合、たとえば四番機が故障を起した場合は、事故の記号をして、近くの飛行場に下りる。そして、すぐに、部隊へ電報をうって、なるべく早く処置して、追及する。それから」
と三浦隊長は思い出したように、
「上空へ上って、気温が低下して、九十度から下ったら、シャッターを閉める。閉めたことがあるか。」
「はい。」
と数名の隊員が手を上げる。
「よし、忘れないように。」
と、隊長は、ふたたび黒板に向って、色チョークで、警戒区分を書き出した。
「第一小隊は前方、第二小隊左前方、第三小隊右前方、後方は、機付きに警戒させる。もし、途中で敵機を発見することがあったら、機体を急激に振って合図をし、グラマンであったら、×××。」
三浦隊長は、この×××と云ったあとで、微笑した。
「予定地が空襲警報だった場合、その時は、隊長機について来い。荷物の整理は終ったか。」
「はい。」
「今日の中に搭載できるものは、全部搭載する。」
腕時計をみて、
「十時から、各機について整備援助。午後の集合は十二時四十分。よし。」
「気をつけ。敬礼。」
隊員達は格納庫の方へ駈け出していった。門口少尉も本部に連絡のため出ていった。
「整備の情況を見せていただきたいのですが。」
と、私は桑原少尉に頼んだ。
「どうぞ。案内しましょう。」
翼を休めた屠竜が、圧するように、並んでいる。各機について、四、五名の整備員が、油にまみれて、整備に余念がない。
「九州で、B29をやっつけたのはこの飛行機です。」
と桑原少尉が説明する。
「乗ってみませんか。」
促されて、私は、桑原少尉に介添されながら、風防をあけて、操縦者席に腰を下ろした。種々のスイッチを捻って、操作の説明をきく。ねっとりとした操縦桿の油が私の掌に染みとおる。座席いっぱいに、あます余地もなくぎっしりと組みたてられた操縦席の器械を眺めながら、二年か三年か、これを支配するまでに育てられ、技術を磨きあげた隊員たちのことを思うと、ほんとに犬死させたくないと思う。もったいないと思う。特攻隊の編成に当られる方々も、きっと私同様の感を抱いていられるに違いない。
「こいつで突っ込むんですが」
と桑原少尉は、快活に笑いながら、
「わたしたちの棺桶も同じですよ。
平然と、何のこだわりもなく、こんな言葉が口をついて出るのである。私は羨ましくなった。
今、私の眼の前にあるのは、飛行機である。それは、人間が空を飛ぶための機械ではなかったのか。だが、しかし、特別攻撃隊の人たちにとっては、その機械が魂なのである。忠誠心に貫かれた魂の箱なのである。
棺桶。棺桶。
桑原少尉は機上から降りたつと、気をつけの姿勢で、その棺桶に向って挙手の敬礼をした。
八紘隊の標識のある立尾翼に3と番号がうってあった。門口少尉機であった。私の今腰を下ろした操縦者席に納まって門口少尉は突っ込むのである。私は厳粛な気持にうたれて、桑原少尉のあとから深く頭を垂れた。
桑原少尉と別れて、格納庫から見張所へかえる。
三浦隊長が一人机に凭(よ)って、葉書を書いている。隊長の心持を乱すまいと思っていると、
「こちらへどうぞ。」
と隊長は、椅子をすすめた。気をつかわせてますます恐縮する。
桑原少尉が戻ってくる。隊長に、何か低声で報告してから、腰を下ろし、静かに冊子を拡げる。
「気象ならびに航法」という本だ。
三浦隊長も葉書を書き終えると、机の上の書類に目を通し始めた。心のエアー・ポケットがないのである。純一無雑、出発直前の読書も、すべて、攻撃という一つの目標に集中されているのである。
「隊長」
と、私は、タバコの火をつけた三浦中尉にたずねた。
「量と質と、もちろん、どちらも大切ですが、あなた方の場合、どっちが問題になりますか。」
「そうですね。」
と三浦隊長は、切れ長の目もとに、相変らず、微笑をうかべて、しばらく考え込む。
「私は、昨日からこちらへ向って、飛行機の質ということを考えさせられるのですが。」
「そうですね。」
私のように一方的な口調ではなかったが、三浦中尉も肯定する。すると、とつぜん、桑原少尉が、
「隊長殿、二百五十キロの爆弾二発よりも五百キロ爆弾一発の方が威力があるでしょう。」
と口をはさむ。
「ある。」
と三浦中尉。
「二百五十、二つで、四百五十、一発ぐらいかな、もうすこし効率が落ちるかも知れない。」
その瞬間、私は、三浦中尉の表情に、一抹の寂しさを目撃した。同じ体当りなら、装備の関係で、やむを得ないが、二百五十キロ爆弾を二発積むより五百キロ爆弾を一発積める飛行機をぶつけたいのである。だから三浦中尉の質の問題は、私のいう質の意味とは違っていた。私のように、飛行機の故障について文句など並べているのではないのである。生命と引換えになるべき爆弾の効率が、より大である飛行機をのぞんでいたのである。
どやどやと、午前中の整備作業が終って、隊員たちが帰って来た。
十三時。また学科が始まった。
三浦中尉が書類袋から小冊子を出して一同に配る。
「小平兵長、読め。」
「はい。」
と小平兵長が起立して読みはじめた。
「…号は爆弾飛行機にして、目標への衝突により効果ありものとす…。」
「よし、倉知軍曹、その次。」
「はい。第二、…よって、操縦者は生死を超脱し、捨身必殺の攻撃精神をもって…。」
「よし、その次、吉村兵長。」
「はい。…訓練の精到、機眼技能を練磨し…。」
次々に、読みあげられてゆく。出発を控えてこの学科だ。誰も、声を上ずらせていない。そして、これは、単なる読方(よみかた)の時ではないのである。
途中で桑原少尉が、
「気象部の連絡終りました。明日は天気はいいそうであります。」
と報告にくる。
「ご苦労。」
ふたたび冊子に隊員の目がそそがれる。終ると、三浦中尉は、黒板の前に立った。
「よし。要するに、おれたちはV2号ができあがるまで、この覚悟をもってやるんだ。操縦技術の未熟は、精神力をもって補う。攻撃に当って、われわれがもっとも肝腎とするところは、必突より必達だ。」
云いながら、黒板に必突という文字を書き、必達の上方に〇印をつける。
「敵艦船の上に達するまで、障害になるものは的の掩護(えんご)戦闘機だ。敵の戦闘機はこの敵艦船より、一万メートルないし一万五千メートルの上空を掩護しているから、この線を突破すればよろしい。そのためには、友軍の直掩機もついていてくれるが、とにかく、この線へ達することが第一だ。それで、最近、この敵は回避しないで直進する。というのは、回避運動をやると照準整度が狂いやすいからだ。倉知軍曹、本部へ行って、敵艦船を書いた表があるだろう。借りて来い。印鑑が要ると云ったら、俺がそう云ったと云って。」
倉知軍曹は駈け出してゆく。
「小平兵長。」
「はい。」
「敵の艦上の戦闘機にはどんな種類があるか。」
「はい。グラマン…。」
とこたえたが、小平兵長はちょっとあとがつかえる。つづいて、入江兵長であったが、指名される。入江兵長も、
「はい、グラマン…。あと忘れました。」
なんと、のどかな、悠々迫らざる学科風景であろう。
吉村兵長が起(た)って、グラマンの新機種、ボートシコルスキー等の名前を五つ六つあげる。
「よろしい。」
と三浦隊長は、吉村兵長の答えに、なお一、二の機種の名を加える。それから、敵戦闘機の性能についての説明がある。
「零戦は、グラマンの性能より優秀だ。火器はどっこいどっこいだろう。グラマンの弱点は××だ。」
倉知軍曹が戻ってくる。三浦隊長は、
「御苦労」
と答え、持って来た表に目を落す。
「敵艦の装備、これはすこし古いと思うが、巡洋艦等を改造した特設空母で三十機から四十機内外、エセックス級の制式空母になると、九十機ぐらいは積めるだろう。敵の対空火器は。」
そこで、三浦隊長は、細かい数字を黒板に書き込んで割り出し、
「四メートルに機関砲一銃ずつの割合になる。」
その瞬間、さっと、隊長の頬が紅潮した。形容を絶した光景が私の頭の中をかけめぐる。が、隊員は、依然として、瞬き一つしない。
「敵の戦闘艦の装甲はだいたい、×センチ、航空母艦になると×センチぐらいだ。甲板は×センチ半ぐらいとみてよろしい。われわれはこの横っ腹をねらう。」
黒板上の敵艦に、ぐいと白チョークの矢が飛んだ。
そこへ、気象部から連絡。
気象図を拡げて、三浦隊長と桑原、門口の両少尉が額を集める。
「よし。これから試験飛行を実施する。」
と三浦中尉は黒板に向う。
一六二〇 飛行
注意
一、発動機の情況
二、離着陸(障害物。地盤)
三、地上滑走(地盤悪し、ベトン上)
「今日飛べないものは、明日出発前に試験飛行をやる。それまで、各機の整備援助。」
隊員たちは、落下傘の縛帯(ばくたい)をつけ始めた。
試験飛行の準備は完了したらしい。隊員たちと入れ違いに入って来た始動車の運転手君が、黒板を眺めて、
「ずいぶん遅くまでやるんだな。」
と呟く。そう云えば、十六時二十分と云えば日没に近い、おまけに曇っているので視度は狭い。大丈夫かしら、と、余計な心配をする。
と、一番前列の7号機が、大きく揺れながら地上滑走をはじめた。いよいよ出発。さっと水煙があがる。ひどい泥水だ。飛行機の前半分が見えなくなってしまうくらいである。
離陸。
つづいて一機、また、一機。三浦中尉は、隊長機の上に登って、小手を翳(かざ)しながら、じっと瞳を凝らしている。隊員達の離陸ぶりを見ているらしいのである。
ふと、窓外に目をやったとたん私の視線を横ぎった一機がある。急降下超低空爆撃の演習であった。見ると、また一機、飛行場を目がけて急角度でつっ込んでくる。あわや地上に激突か。その瞬間。ぐっと機首は上って、地上すれずれに水平飛行だ。そして、三、四百メートルも真一文字に飛ぶと、ふわりと、ふたたび急角度で離脱。
さらに一機。地上の何ものを求めているのであろう、否、否。三機編隊の特攻隊は、飛行場内に敵アメリカの仮想軍艦を求めて、突っ込んでいたのである。
まざまざと敵艦爆沈の光景が、私の瞼にその映像を結びはじめた。息がつまる。第一番機は誰か。第二番機は誰か。第三番機は…。基地出発前の訓練に相違ない。そして文字通りの猛訓練ではある。しかしながら、私は、ここで訓練という言葉を使いたくない。
それは、ぞくぞくと、厳粛感のみなぎる実戦そのものなのである。
さらに、一機、また一機。
黄昏が来た。ぽっかりと、林の向うに、月がかかっている。
「やあ、ひどい目に遭ったですよ。」
桑原少尉が元気に笑いながら帰って来た。
「せっかくの一張羅も泥だらけですよ。」
見ると、新しい飛行服にぽつぽつと泥水をかぶったあとがついている。飛行帽と飛行眼鏡は、ぐしょぐしょに濡れている。着陸後風防をあけたためらしい。元気であるが、やはり、急降下のあとで、息づかいははげしいように感じる。
桑原少尉はすぐ表へ出てゆく。飛行後の飛行機の手入れをするためである。
春日軍曹が戻って来た。
鋭角的な、一見都会の学生らしい風貌である。が、きさくな人懐っこい人だ。やっぱり、頬が蒼白い。
「御苦労さま。」
「やあ…。見たですか。」
「ええ。」
「跳飛爆撃というやつですよ。」
春日軍曹は、昨日の「光」を出して、うまそうに吸いはじめる。
「急降下は高度どれくらいから突っ込むのですか。」
と私。
「まあ、×××××××。そばへ、とっつくまでですよ。敵の奴は、最近、こっちの戦法を知りやあがって、十四吋(インチ)、十六吋の大砲を、ぼかぼか下に向けてうって来やがるそうです。」
「水柱をたてるんですね。」「そうです。その中へ突っ込んだら、こっちは一ぺんにパシャンです。」
さっきの三浦隊長の説明が蘇る。かりに四メートルに一本ずつそんな水柱がたっているとすると、もちろん、××ばその間をくぐり抜けることは絶対に不可能だ。いやたとえ、機関砲の水柱は手法の水柱とは違っていても、ほとんど不可能に近い。
その不可能を可能にするものはなんであろう。
第二見張所から職員宿舎へ、薄闇の格納庫の前を横ぎりながら、私は三浦隊長に導かれて、松林の中を行く。
桑原少尉と同行。
「昼は割合にごちそうがあるんですが、夜は普通です。空中勤務者は、以前は、なかなかごちそうがあったのですが、この頃は、地上勤務者と同じです。朝と夜は麦飯です。しかし、今度出て行く隊員たちには、せめてと思って、交渉して、夜も白飯を炊いてもらうことにしました。私たち隊員だけの分を炊くというのは手数がかかるらしいですが、部隊長殿にお願いして許されました。部隊長殿は、ほんとにわれわれを大切にして下さるんです。」
第二将校室(?)に入る。片側に木の寝台が四つ並んでいる。暖炉があったが、もちろん、火の気などない。中央の机の上に、お膳がならんでいる。
「どうです。先に一緒に入浴しませんか。」
と誘われる。ちょっと遠慮したが、三浦中尉をはじめ、さかんにすすめられる。記念すべき思い出になるかも知れない。案内されて浴場へ行く。
私たちの前に二人の将校が入っていた。そのうちの、背の高い、細面の将校が、三浦中尉に、
「お。」
と声をかける。
「お。」
と三浦中尉。
「明日になったんだってな。」
「そうだ。」
「俺もあとから行くからな。」
「貴様は残るよ。」
「残るもんか。」
「貴様は残るよ。」
「おれが行くまでにレイテ湾を片づけるか。」
「そう。」
「ははっ。」
と、その人は屈託なく笑い、
「残ったって、正月の餅を一つ余計食うか食わないかだけだよ。」
ここでもまた、崇高な死が日常茶飯事のように語られている。
食卓に向う。一汁二菜。
静かな、最後の晩餐がはじまった。私もその一人に加えられているのである。
食事の最中、桑原少尉が、計理室から、不時着の場合の用意だと云って、千円あずかって来たことを隊長に報告する。
「千円…。機付きの分も一緒か。」
「そうであります。」
「それで足りるか。」
「はあ、この前の時には余ったから、それで充分だというのであります。」
三浦隊長はしばらく考えている。
「最寄りの部隊に行けば、部隊の給養があるから金は要らんというのであります。」
「部隊に行けばそうかも知れんが、不時着の場合、近くに部隊があるとは限らんからな。」
「はあ。」
「まあ、いい。」
そこへ、さっき入浴場で一緒だった元気な将校が鼠色のジャケツを著(き)て入って来た。
「中野先生だ。同期の佐藤中尉です。」
とはじめて、三浦隊長に紹介される。ほかに、もう一人、もの静かな、これも隊長と同期の若い将校があった。
「おい、これを持って来てやった。」
と佐藤中尉がウイスキーの罎(びん)を出す。
「ウイスキーか。」
「それに近いな。」
「なんでありますか。」と桑原少尉。ビタミン酒だよ。」
と、佐藤中尉があっさり底を割る。門口少尉が、さっそく、どこからか杯を出してくる。三浦中尉がまず一杯飲む。
「おい。先生にさせよ。」
私は、ありがたく盃をうけた。うけてから、私は、隊長と門口少尉に盃をかえした。あけっ放しの明朗な佐藤中尉が、それとはなく持って来た三浦中尉との別れの盃であった。
佐藤中尉が、謄写版ずりの一冊の本を、机の上に投げるようにおいた。
「フィリピンへ行ったらな。こいつをみんなに見せてやってくれ。」
「なんだ。」
「同期生の名簿だよ。死によった奴のは、みんな前に載せてある。」
三浦隊長は、名簿を拡げていたが、
「ずいぶん死んだな。」
キラキラと三浦中尉の瞳が燿(かがや)く。すこしうるんでさえ見える。
「それで、台湾沖と比島沖のは、まだ全部入っておらんのだぞ。」
「貴様わかっとるか。」
「わかっとる。」
「じゃあ、これへ、書き込んでくれ。」
「よし。」
私は身のひきしまるような思いであった。三浦中尉の万年筆にインクがない。
「どうぞ。」
と私は自分の万年筆を出した。
「すみません。」
と佐藤中尉は、戦死した同期生の氏名を書き入れ始めた。
「□□と××と△△と、それから〇〇、これはその他大ぜいの口だな。」
その他大勢-私は、思わず、佐藤中尉の顔を見あげた。
「あ、それから佐藤────。」
「なんだ、貴様も勘定に入れとくのか。」
「俺じゃあないよ。」
笑声。
「そう、そう。まだあった。◎◎と…。」
すると、三浦中尉が、
「まだ殺しよるのか。」
またさざめくような笑いである。
「ざっと、××戦死仕候(つかまつりそうろう)なりだ。」
佐藤中尉は、筆をおくと、長身の躯をそらして云った。
苛烈な戦争の事実。
寝台が運ばれて来た。私のためのものであった。
野田少尉がかえってゆく。ほとんどまたそれと入れ違いに、整備隊長の高橋少尉が入ってくる。この人も目が充血している。前日とその前々日の空襲警報のせいもあったが、ほとんど、連日にわたり、深夜にいたるまでの整備作業と、朝は朝で、搭乗員より早く起床するのとで、ろくに睡眠時間もないらしいのが一目でわかる。
「あした、出発は何時でありますか。」
と高橋少尉。
「十時だ。」
と三浦隊長。
「隊員の集合は。」
「七時だ。」
「では、自分たちは六時に入れます。」
「試験飛行をやりたいと思っておる。」
「十時の出発に、試験飛行をやっていると間に合わんでしょう。」
「じゃあ、集合をもっと早めてもいい。」
「すると、われわれもそれだけ早くかからなければなりませんが。」
「とにかく、集合は七時としておこう。」
「無理じゃあないかな。それで試験飛行は。」
「うむ。」
と三浦中尉はしばらく沈黙していたが、決然と、
「やる。やっとかないといけない。」
すべて、三浦中尉は、この調子なのである。周到綿密に、一度頭の中で自分の案を練ってみるまで、かりそめの口をきかない。口をひらけば、与えられるものは、断然たる決意。私はまた繰りかえす。これが、年歯(ねんし)、わずかに二十二歳なのだ。
人の長としてのあり方、しつけ、態度、指揮。この人天禀(てんびん)なのであろうか。それとも、軍隊の教育なのであろうか。
遅疑逡巡は木っ葉微塵(こっぱみじん)である。
素晴らしい月夜であった。出発前夜。寝台に横たわると、私は、いつにない疲労をおぼえた。心身の緊張のせいもあったろう。だが、しかし、私は、まだまだ修行が足りなかったことを、この人たちによって訓(おし)えられたことをその疲労感の中から、あたたかく感謝しつつ眠りについたのである。
出発。朝。
六時二十分起床。
洗面を終えて、門口、桑原両少尉と一緒に、別棟の食堂へ行く。私たちと前後して、部隊の青年将校の姿も見える。
和親共同、忠君愛国の扁額がかかっている。
「閣下はあすこで食事されます。」
と三浦隊長が、食堂の一番奥の卓子を指して説明する。
朝食は、味噌汁、海苔の佃煮、鶏卵、漬物、それに麦飯。
味噌汁が冷めていたので、暖かいのと取り換えられる。
桑原少尉の鶏卵が腐敗していた。私は、自分のと交換する。
「あまり生卵をいただきませんから。」
「そうですか。じゃあ、遠慮なく頂戴します。」
食事がすんで、ふたたび、将校室。
荷物は昨夜のうちにみんな搭載完了。
三浦隊長をはじめ、桑原、門口両少尉も身ごしらえが出来た。一装用の晴衣である。三浦中尉は、首に白絹を巻いている。その白い絹の襟巻が、なぜか、今でも私の眼に、凛々しく、清らに、はては、深い哀傷をもともないがちに、染み残っているのである。
もののふもいったん討死ときわめたからは、鎧物具美々しく着飾り、戦場に赴くのが世のならい。こんな言葉が思い出された。
女々(めめ)しいのでもない、卑怯未練なのでもない。若武者の征衣のよそおいに涙せざるものあらんや。
哀傷哀感ことごとく尽きるところに、猛然たる闘志も沸(たぎ)りたつのである。
将校室を出る。隊長と、また、第二見張所へ。
金色の朝日が飛行場いっぱいにさし始めた。すでに、愛機は、格納庫前に、翼をつらねて、あたかも、おのがじし、主人を待つかのように、機首を北に向けて並列。
「集合終りました。」
と桑原少尉の報告。
「やすめ。野沢曹長。」
と三浦中尉。
「はい。」
「どうだ。咽喉(のど)は。」
「はい。大丈夫であります。」
「薬をもらったか。」
「はい。医務室でもらいました。」
「そうか。」
そこで、ふたたび出発時と、上空で編隊を組む時の注意が与えられる。三浦機はまず××上空に向って飛ぶ。次に、二番機はその右に向って飛び次第にそうやっておおむね、××上空において編隊を組む。
「時速は××××キロ。隊長機を抜いて前へ出ないように、いったん前に出てしまうと、編隊を組むのは困難だから。」
準備の都合で、予定の試験飛行はできないことになったらしい。気象図がとどく。九時四十分の整列まで、各機の準備援助の命令が出て隊長をはじめ隊員たちが飛行場へ出てゆく。
入れ違いに、どやどやっと、二十四、五名の飛行服に身を固めた搭乗員たちが現れた。教官の××中尉が入ってくる。
跳飛爆撃演習の学科が始まる。この人たちこそ、明日も八紘隊につづく若鷲なのだ。学科の最後に、
「今日は八紘隊が出発する。十時までに演習が終ったものは、みんな見送る。」
学科が終ると、生徒たちは、戸棚の中からてんでに、日の丸の旗を持ち出して、北側の格納庫へ駈け出した。
本部へ連絡に行った門口少尉がかえってくる。ちょうどそこへ、白鉢巻の女子事務員が現れた。眩しそうに門口少尉を見あげる少女の瞳、つぎつぎと、帰らざる勇士を見送る乙女たちの心持がききたい。
九時。
いよいよ出発の時間がせまって来た。この日はじめて特攻隊の出発見送りを許された地元の人たちが、旗をふりながら、飛行場の一隅に到着したのが見える。
出発準備が終って、野沢曹長たちがかえって来た。もう機会がないかも知れぬ。私は進み出た。
「時間もないようですから、ここで御挨拶をします。いろいろありがとうございました。みなさんどうぞお元気で。」
「行ってまいります。」
隊員たちは異口同音であった。しかも、それははかなく思われるほど、落ちついた声音である。
隊長と桑原、門口両少尉にまだ挨拶が残っている。私は、飛行場へ出た。桑原、門口両少尉が見つかった。
「ありがとうございました。これで失礼するかも知れませんので。」
「いや…。元気に行ってまいります。」
桑原少尉は、きっと姿勢を正してこたえた。写真班が来ている。三浦中尉が愛機の前に立っていた。
「三浦さん、ありがとうございました。」
「私の方こそ、行届きませんで。」
これだけが、私たちの最後の別れの言葉であった。
見送り人はぞくぞくと流れるように詰めかけて来た。その頭上すれすれに演習中の飛行機が飛ぶ。急降下超低空飛行だ。部隊の職員も集合。白鉢巻の女子隊員も整列。広い飛行場の一角がたちまち人で埋る。
はじめ、私は、その光景を遠くから眺めていたので、何か、運動会ででもあるような明るい賑(にぎや)かさに、多少とも心にそぐわない感じを持ったのは事実である。が、私自身、どの位置で、隊員を見送ろうかと思いあぐねながら部隊の人たちの列をはなれて一般見送り人のうしろに廻った時であった。女学生の一団であったが、折から定位置に集合した三浦中尉をはじめ隊員たちの姿に、息をはずませつつ駈けよって行った時の、真剣な表情にぶつかって、私は自分の皮相な観察を深く恥じた。識(し)らず知らずのうちに、私自身の三浦隊長であり、私自身の八紘隊員のような気持になっていたのである。そうではなかった。今日ここに集まった地元の人たちは、一億の醜草(しこぐさ)を代表し、特攻隊の人々に心からなる感謝と感激の誠をささげていたのである。
定刻十時。
「気をつけ。」
三浦隊長の号令が澄みとおる。さんさんと太陽の光はふりそそぐ。
自動車が二台。先頭の車から、菅原航空総監。つづいて、陸軍大臣、参謀曹長代理の松村陸軍報道部長。部隊長。
航空総監は自動車から降りたって一同に挙手の答礼。一瞬、げきとして、天地に声なし。やがて、総監は隊員の前に歩を運ぶ。
三浦隊長は敬礼の後、隊員の中央に出た。
「申告いたします。八紘隊、三浦中尉以下、ただ今より征途にのぼります。ここに謹んで申告いたします。」
この人がと思われるほど、凛々たる声。
「諸子は選ばれて八紘隊の一員となり、」
と総監は、すこしさびのある声で、烈々たる訓示を与える。
「決戦場裡に赴くことになった。当方面における戦況は、まことに鍔(つば)ぜり合いであって、その際における一機一弾の価値はきわめて大である。今やまさに棒が倒れて、地につこうとしているのである。諸子の同僚は、すでにその一機一弾となり、国民の感謝するところである。諸子もまた必ずや国民の期待に添うことを心から信じまた厚く信じて疑わない。我々もまた、国民も必ず諸子のあとに続く。どうぞ平素の訓練を発揮し、充分の働きをしてもらいたい。が、決して、若気のいたりで暴虎馮河(ぼうこひょうが)の勢はくれぐれも慎むように。諸子の任務はまさに重大である。器材の準備に心して、途中において遺憾のないように、必達の研究訓練をもって、千載一遇のこの好機をとらえ、乾坤一擲(けんこんいってき)、十二分の働きを願う次第である。終り。御機嫌よう。」
この最後の「御機嫌よう」がぐっと私の胸に来た。
つづいて、松村陸軍報道部長の陸軍大臣および参謀曹長の壮行の辞の代読があり、終って、部長としての激励の辞。
「諸子は一億国民の先鋒となって、いかに国民の戦意をかきたてたか、必ずやあとに続くものあるを信じてもらいたいのである。」
さらに、部隊長の袂別の辞。
「ここに三浦中尉指揮するところの…武人としてまことに恵まれたり。歯を喰いしばってゆけ。我ら全員必ずつづく…。」
長身、温顔、言々句々、あふれるばかりの慈父の言葉に、私は胸うたれて涙した。われら全員必ずつづく-総監も云われ、部長も誓われた。が、朝に夕に、いわば手塩にかけて育ててきた特別攻撃隊隊員の上官としては、ひとしお切なくなるものがあったことと想像するのである。俺も必ず行くぞ。おまえたちだけ死なせはしないぞ。言外にあふれる部隊長の決意に、私は泣いた。否、おそらく、三浦中尉をはじめ隊員たちは、私以上に感激し、武者ぶるいし、必殺の闘魂を燃えたたせたことであろう。
部隊長は袂別の辞を読み終ると、三浦中尉の前につかつかと歩み行き、隊員の一人一人に固い握手を交わしはじめた。
「岩本大尉殿の仇をとってまいります。」
この時、誰であったが、隊員の一人がそう叫んだということを、私はあとで報道部長から聞いた。おそらく少年飛行兵出身の隊員であったろう。だが、私は、それさえ気づかなかったほど、胸がいっぱいになり、目がかすんで、あえかに、部隊長の顔も隊員の顔を見さだめかねていたのである。
部隊長は、隊員全員との握手が終ると、大股に歩んでもとの位置にかえった。
「よし。行け。」
白い手套(てとう)が、部隊長の蒼白い頬を蔽(おお)うようにかぶさった。と、いっせいに、格納庫前の隊機が轟々たる爆音をたてはじめた。
三浦中尉は隊員を引率して、見送りの人々に挨拶をして廻る。さっと、その列の中から、日章旗をふり出した一団があった。さっき見張所に現れた少年飛行兵の一群だ。
「しっかりやれ。」
「がんばれ。」
「俺もあとから行くぞ。」
そのすさまじい声援と気魄。たのもしいと云おうか、無邪気と云おうか、眼中、生も死もないのである。しんがりの方の隊員の四、五人は、その一団に、肩をたたかれ、手を握られ、戦友の間にまじって、歓呼のどよめきがしばしつづく。
「八紘隊万歳。」
私もたまらなくなって、隊員のあとから駈け出した。
列のうしろを追いかける。先頭にたつ三浦隊長は、挙手の敬礼のまま、莞爾(かんじ)として歩を運ぶ。
「万歳。八紘隊万歳。」
旗の波にともすれば隊員の顔が視界から消えてしまう。渡辺伍長が、一番あとになってしまった。あ、もう、花束がおくられている。何の花か、赤、黄、紫、ぱっと一瞬私の視界をかすめた。と、次の瞬間、三浦中尉は、一散に、向うへ駈け出した。
進発、十時十五分。
見よ。隊長機が滑空を始めた。万歳、万歳。つづいて、二番機、三番機。離陸だ。万歳。四番機。また五番機。ああ、全機、離陸。真一文字に、大いなる空へ。
やがて、飛行場の北端に、ポツリと機影が見えた。一つ、二つ、三つ。-美事(みごと)な編隊飛行。飛ぶ。飛ぶ。万歳。万歳。
「八紘隊万歳。」 (完)
【写真出典】
・1996(平成8)年 カミカゼ刊行委員会 「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」
- 最終更新:2016-03-14 08:57:25