【マリアナ沖海戦|翔鶴乗組員】豪快!マリアナ海戦の『秋月』
出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本 第二巻第六号 われら学徒かく戦えり」所収
元海軍上等兵曹 布川義雄 「豪快!マリアナ海戦の『秋月』」
剛勇沈着な「秋月」の艦長は、敵潜水艦の攻撃も恐れず、探照灯を照して母艦を失って着水する艦載機十機の搭乗員を無事に救助した!
昭和十九年六月十九日の未明、「大鳳(たいほう)」を旗艦とする小沢部隊は、グアム島西方五百マイル (*1)の地点にあり、すでに戦闘準備を終っていた。
【マリアナ沖海戦日米態勢図】
第一、第二、第三の航空戦隊にわかれ、その空母は第一「大鳳」「翔鶴(しょうかく)」「瑞鶴(ずいかく)」第二「隼鷹(じゅんよう)」「飛鷹(ひよう)」「竜鳳(りゅうほう)」、第三「千歳(ちとせ)」「千代田」瑞鳳(ずいほう)、大和、武蔵、戦艦六隻、大型「巡洋」艦十一隻、軽巡洋艦二、駆逐艦三十三、補給艦艇十二、総計七十三隻の大艦隊である。
これをみてもわかるように、マリアナ沖の海戦は艦隊同志の大決戦であり正に勝敗は"この一戦"にありの感があった。
すでに、この日より一週間前から敵機動部隊はテニアン、グアム、を空襲し、サイパンに艦砲射撃を浴びせていた。
【グアム島、サイパン島を16インチ砲で艦砲射撃する米戦艦ミズーリ】
艦砲射撃の砲弾は軍艦の厚い装甲を撃ち抜く。艦砲を浴びせられれば人間はひとたまりもない。
参考:マリアナ沖海戦の翌月、1944(昭和19)年7月、サイパン島の帝国陸軍は玉砕した。 自決するサイパン島の帝国陸軍(米軍撮影) 洞穴陣地から日本兵が一人出てきた。 手に手榴弾を握りしめて、じっとあたりをうかがっている。 静まり返った空気を破って手榴弾が炸裂、兵は自決して倒れた。 サイパン基地でむなしく地上で散った爆撃機(上)と戦闘機(下)。 物資豊かな米軍の補給艦。 ※連合国による対日経済封鎖(ABCD包囲網)のため物資欠乏にあえぐ日本軍とは対象的に、国際金融資本(ウォール街)の私兵たる米軍の物資は豊かで家庭用台所道具を除いたすべてのものが、自動車もろとも補給艦に積み込まれて部隊を追った。 対日経済封鎖という手足を縛られた状態にありながら、日本軍はアメリカの経済侵略と共産党の思想侵略(世界同時革命)その両方と果敢に戦った。この事実はわれら日本人の誇りである。 |
この日、日の出は午前五時二十二分、空はいちめん雲におおわれていた。前日末の索敵で、敵空母を主力とする大機動部隊のありかはわかっていた。
まさに日、米ががっちり四つに組んだ大海戦が始まるのだと、信号科の水島下士 (*2)が知らせに来てくれた。
私は再度の召集で、一下士官として、空母「翔鶴」に乗組んだが、責任のある配置もなく、現役兵が代って指揮してくれ、私はもっぱらのんきな要員であった。
【航空母艦「翔鶴」】
発着甲板には、艦首の方から零戦、彗星艦爆機 (*3)が、天山雷撃機と並び、整備員は真剣な面持(おももち)でエンジンの調子を見ていた。
翔鶴の前方約二〇〇〇米(メートル)内外に大鳳が驀進(ばくしん) (*4)しており、続いて右後方一〇〇〇米に瑞鶴が波を切って進み、それらの前後左右を堂々たる戦艦、巡洋艦が護りその外側には数十隻の駆逐艦がいた。
【航空母艦「大鳳」】
【航空母艦「瑞鶴」】
【帝国海軍の駆逐艦群】
整備員はあごひもをかけたり鉢巻をしめて、キビキビと動いている。
午前八時、第一次攻撃隊が発艦した。
帽を振って、これを見送る乗組員、手を高く座席から差し伸べて応える搭乗員たち──
「がんばれよ!」
「たのむぞ!」
祖国の運命を双肩に担って飛び立っていく人達に贈る激励であり、同時に再び帰還せぬ戦友に告げる別離でもあった。
航空戦隊の全部が発進しおわって、その行手(いくて)をしばらく見送っているうち、待機所で見送っていた兵員達から異様な声が起った。
「魚雷だ、魚雷だ」
だが、すでに時おそしであった。
前方に位置して驀進していた旗艦大鳳の右舷に、米潜水艦アルバコア号の放った魚雷が大音響をたてて命中した。
【参考:米潜水艦「サーモン」】
実に大胆きわまる敵の攻撃である。この鉄壁の陣型の中に潜入してきた潜水艦は、敵ながらあっぱれな度胸だと思った。
わが駆逐艇は、忽(たちま)ちその附近の海面に数十個の爆雷を投下しだした。
幸いにも、傷ついた大鳳は、その後大したこともなく、悠々と白波をけって驀進している。
(さすがは大鳳だ。新造艦だけの威力を持っている)
と、私は感嘆した。
すでに命令は対潜戦闘に切りかえられて、見張員はもっぱら海上を見張り、「敵潜発見!」の号令に期待を持ったが無駄であった。各艦ともジグザグ航路で、魚雷攻撃を防ぎながら進んでいった。
だが、敵もさるもの、米潜水艦ガヴァラ号は、またもわが艦隊の真ッ只中にもぐりこんで、魚雷攻撃を敢行したのである。
午前十一時二十分頃、ガヴァラ号の放った魚雷二本が、翔鶴の左舷目がけて驀進してきた。
「雷跡(らいせき)!」
と、伝声管が、戦闘指揮所へ怒鳴ったがすでにおそい!
【雷撃を受けた「翔鶴」】
ズスーンッと、鈍い音をたて、左舷後部に一本命中した。同時に船体が上下にものすごくゆれた。続いて爆烈音 (*5)がして物凄い勢いで水柱が噴出し、艦橋上高く噴き上って、ザーッと上甲板になだれ落ちた。
「畜生!」
私が叫んだのも瞬間で、続けてまた二発、一発は揮発油庫の直下、一発は配電所に命中した。舷の後尾からは赤い炎が黒い煙といっしょに吹き出した。
もう、応急修理の方法も何もない。艦は急速に左に傾き出した。
艦首甲板航海科員である私は、雷撃に騒ぐ若い兵員たちに、
「あわてるな、あわてるんじゃないぞ!」
と彼らの気持を落つけさせていた。
そのとき──
「後部甲板火災!」
と叫ぶ声に、
「それ行け」と兵員たちは艦首へと集ってきた。
飛行甲板上に仁王立(におうだち) (*6)になり、声をからして防火を指揮する副長の姿も、たけり狂う猛火と煙に包まれて、時どき見えなくなる。
【炎上する「翔鶴」】
火炎の柱、火炎の塊、怒りも悲しみも、炎々たる火の中に焼き尽されていく。
やがて、炎は中央部格納庫に移り、機銃弾薬庫が誘爆を始めた。すべては終りだ。と思った時、突如! わが翔鶴は大爆発を起したのだった。
艦内にたまったガソリンガスが一時に爆発して、厚みを誇っていた鋼鉄の発着甲板を内側から噴き上げたのだった。中央部が無残に盛り上り、眼もあてられぬ惨胆(さんたん) (*7)たるものになってしまった。
また、この時、発着甲板にいた乗組員や搭乗員の多数が海中に吹っ飛ばされた。
私は艦首甲板上に待機中だったが、爆風で甲板上に叩(たた)きつけられて、肩を痛めた。
翔鶴の運命は刻々と迫り、斜めに傾き、艦尾から沈みはじめていた。
「総員、戦闘配置を離れえッ」
という声が、どこからともなく聞えてきた。もう艦のそこいらじゅうが火の海だった。
「総員、飛行甲板に集合ッ」
艦内スピーカーの声が聞えた。続いてスピーカーは、戦闘配置を離れて速やかに脱出するよう伝えていた。
だが、もうすでに、その時は遅すぎたようだった。艦は大きく左舷に傾むいていて、右舷に集められた移動物が、ズルズルと左舷の方にすべり出した。皆はそれを避けながら、右へ右へとよって行った。
あまりに傾斜する時間が早かった。皆が戦友を大声で呼びあい、答えあううちにもどんどん傾斜が増し、急角度にグラリと大きく傾いた。
早くも上衣をとり、脚絆(きゃはん) (*8)とズボンをぬいで飛びこむ支度をしている者、何もつかまるものがないので、移動物と一緒にコロコロと左舷に転がってゆく者──騒然たるなかに、艦はすでに四十度から五十度にまで傾いていた。
すっかり水面に浮き上った、右舷の艦腹(かんふく)にまだ取りついて這(は)い上っている者も大勢いた。
その時だった。すさまじい第二の爆発が起って、艦橋附近に真っ赤な火柱が噴き上った。そして、その火柱は海面を横這いに走ったと見る間に、艦体は急激に左舷へ横転した。
一瞬、そこら中のものが、忽ち海中へほうり出されてしまった。もちろん私も海へ投げ出された。
ひどい水圧に引きこまれながら、もう駄目だと思った。
ごおーっと、耳に渦の鳴るのをきいてるうちに、気が遠くなってきた。が、最後の気力をふるい起して、もがいてみた。努力のかいあって、ぽっかりと水面上に浮き上ることができた。
あたりは茫洋(ぼうよう) (*9)たる大海原で、何も見えなかった。重油がドス黒く一面にひろがっているだけだ。
ああ、二万六千トンの巨体を持った翔鶴もついにマリアナ海に沈んだのである。あっけない最後──昭和十九年六月十九日午後二時一分だった。
私はようやく見つけた木片にとりすがり重油がギラギラと浮んだ海中を漂流しながら助けを待った。四、五時間過ぎた頃、駆逐艦秋月の姿が見えた。
【駆逐艦「秋月(あきづき)」】
私は泣きたいほど嬉しかった。
「おいしっかりつかまえろ!」
「はなすんじゃないぞ」
艦上からロープが投げられ、私はドブ鼠(ねずみ)のようにつみ上げられた。
後日わかったことだが、同じマリアナ海戦で旗艦大鳳は、午後二時頃に突然、艦の中央部に大爆発が起って就航以来わずか百日余、一回の戦闘らしい戦闘もせず、ただ一発の魚雷によって、午後四時三十分に沈んでしまった。
半身不随になった私は、看護室で治療をうけてから、決戦第一日のいたでを胸にひめ、駆逐艦秋月の兵員室で、ひたすら明日の武運を祈った。
次の日、六月二十日。
日の出の一時間前に水上偵察機が一機、二機と東の空に向けて飛立ち、空母瑞鶴からも索敵機が発艦して行った。
【参考:母艦に帰った艦載水上機】
飛行機乗りたちは「ゲタバキ」と呼んでいた。発艦着艦はつりあげて行う。
零式水上戦闘機。零戦に「ゲタ」をはかせたもの。
海には波一つなく、磨き上げたガラス板のように、金色の陽光に輝き、遠く水平線にまで連なっていた。
秋月は瑞鶴の後方一・五粁(キロメートル)に付いて、長砲身一〇糎(センチメートル)連装高角砲四基(八門)、二十五粍(ミリメートル)機銃五十挺、魚雷兵装四連装発射管一基四門搭装備して、二、七〇〇噸(トン)の軽巡に近い防衛直衛艦、艦長緒方友只中佐は艦橋より号令をかけ、操艦あざやかにぶりぶりと艦体を振わせて走る。
「よろしく頼む」
一声を送り、戦場のならわしとして相身(あいみ)たがいはいろいろとあるが助けて頂いた為(ため)か、秋月には親(したし)みを感ずるのであった。
残在空母七隻からは、索敵機が発進された、が敵情をつかむにいたらなく、時刻は無情に過ぎてゆく。艦隊の上空を警戒に当る零戦直衛機五、六機が、たえず警戒飛行を続けていた。
艦隊は補給と部隊整頓のため一旦、北西方海面に進出し、索敵機を出して敵情偵察に努めた。午後四時にわが艦隊の東方約二〇〇哩(マイル)に敵艦上機群が西方に進むを発見した。
瑞鶴の残留飛行機数十機が迎撃せんと爆音をとどろかせ発着甲板をバンク (*10)しながら鮮かに発艦した。
けたたましいラッパが響き渡った。
「対空戦闘」
「対空戦闘、総員配置につけ」
「配置につけ」
駆逐艦、秋月の艦内に危急を告げる命令が発せられた。
さきほどから敵情を予告してあったので戦闘配置はいつよりずっと早く行われ、高角砲も、機銃も、いずれもグッと上空を睨むように四十五度の角度で待機している。
みんな上空をにらんだままで、誰も一言もいわない。
林立する機銃と高角砲──
三〇〇〇米ぐらい離れたところに、二航戦 (*11)の空母が見えていた。右舷の遥か彼方に、武蔵、大和の巨艦、小型空母三隻が見えていた。多くの戦艦、巡洋艦がすべて勇ましく白波を蹴って驀進しているのだった。
【驀進する戦艦「大和」】
「右一二〇度。大編隊」
見張員の声だけが、その静けさの中を突きとおる。
敵機は約一〇〇機、二群に分れていた。
「両舷機全速前進」
緒方艦長の号令一下、秋月は全速で走り出した。
各艦からは主砲、高角砲が一せいに火を吹いた。一瞬の間にして、今までの静寂さは百雷 (*12)が一時に落るような轟音にとって代った。
機銃の息もつがせぬ音、高角砲の鉄板を絶え間なく擲(たた)きつけるような音。硝煙、炸裂音、忽ち上空は赤黒い煙でうずまり敵艦上爆撃機がその弾幕の中を、次々に急降下してきた。
敵機は秋月を越して、瑞鶴へと攻撃を集中した。敵艦爆が突入してくるたびに、空母は急旋回して針路を変え、投下爆弾をそらした。そのたびに秋月も、瑞鶴の防空直衛艦として、一定の間かくを保ちながら急旋回を行う。
【参考:レイテ沖海戦で攻撃を受ける日本艦隊】
艦をそれて至近弾が海に落下、白い飛沫を吹き上げた。
「瑞鶴がやられた」
という兵があったが、白い飛沫から現れて無事であることがわかった。
敵機も燃えながら、又、バラバラになって、海中に墜落するのを数機見た。
急降下で飛来する敵機。
アッ危い! と一声。
敵機が秋月を越して、瑞鶴の上空から突入しながら投下した爆弾が、艦橋附近に命中したと思った時、爆音がとどろき黒白の煙がもうもうと立上った。
秋月の艦を越して、至近弾が落下した。今まで応戦していた機銃員が、バタリと倒れた。又一人続いて斃(たお)れたが、幸いにも多少の被害であった。
左舷後方に二航戦の空母一隻がもくもくと黒煙をまき上げ、航空不能となっていた。
瑞鶴は爆弾を蒙ったが、航海には支障なかった。昨日の続きで惨たんたるものであった。無数の黒褐色の斑点が空一杯に現われる、高角砲の炸裂、機銃員は機銃の銃把(じゅうは) (*13)を握ったまま打続ける。
そのとき、太陽の方向から敵機が二機ひとかたまりになって、秋月を狙って殺到してきた。
「来るぞ、来るぞ」
いう間もなく、バリバリバリ。機銃掃射だ。弾痕が一直線になって甲板上に当る。ものすごい勢いで機銃も応戦する。いままで元気のいい掛声(かけごえ)で応戦していた射手(しゃしゅ)が無言になったと思ったら、ガクリと頭を下げている。みるみる腹のところがまっ赤になった。
指揮官は
「交替!」
と号令をかける。射手を銃座から離させる。予備員が配置に付く。敵機は依然として傍若無人に乱舞している。気が狂いそうな音と閃光! たたかいは、ますます激しくなっていく。指揮官が
「射て射て射て」
と立てつづけに叫んだ。敵機は、艦すれすれまでに突込んで、左右に翼を振りながら去って行った。マリアナ海域は今迄(いままで)の凄絶(そうぜつ)な戦闘とうって変った。
もとの静寂さをとり戻したようである。敵も味方も決定的な打撃をあたえず、受けずに夜になってしまった。
戦闘開始の時発艦していった飛行機が母艦の上空に帰ってきたが、「大鳳」「翔鶴」は沈没、二航戦の「飛鷹」「隼鷹」ともに傷ついているので着艦ができない。
瑞鶴の上空に数機の味方機が追いすがって着艦を求めている。燃料の切れるものも間近である。戦い疲れ果てて帰ってきた飛行機だのに、帰るところがない!
瑞鶴は直撃弾一、を受けたが、着艦には支障ないのに方向もあたえず、灯も付けず、着艦信号もせずに知らぬ顔であった。
瑞鶴は、薄暮の敵潜水艦からの攻撃を恐れて灯を出さないのだ。
思い余ったのか、多数の飛行機が護衛艦秋月の上空にきて、着水を求めた。そして、一機が急に機首を下げて、着水してしまった。
「危い」
秋月の乗員が叫んだときには、又一機が着水してしまった。燃料が切れてしまったのだろう。
上空にはまだ十機が助けを求めている。私は断腸の思いになった。艦橋からこの有様を見ていた艦長緒方友只中佐は、艦橋から号令した。
「機関停止!」
「搭乗員の救助を行う」
駆逐艦、秋月は敢然として、敵潜水艦の攻撃も恐れずに、航行を停止した。何という立派な艦長だろうと、私は心の中で頭を下げた。
「総短艇下せ」
同時に真暗の中を堂々と探照灯を照らし始めた。
強力な青白い灯が、海面を真昼のように照らした。決死の短艇員は、一杯にかいをこいで艦を離れて、着水した飛行機搭乗員の救助に向った。
見る間に飛行機は、海中に姿を消してしまった。
又一機が暗夜の海面めがけて、着水を敢行した。
一刻も許せない場合である。沈んだ飛行機の搭乗員が助けを求めて泳いでいる。
「今、行くから待っておれ」
短艇員は大声で元気をつけながら近ずいた (*14)。
上空には帰える巣を失った艦載機が、恋し気に爆音をたてながら一二機まだ旋回している。
秋月は潜水艦の魚雷攻撃を覚悟で停止したまま、救助作業を待っている。見張員は対潜警戒を続け、艦内の兵員は、手に汗を握る思いで、一刻を過ごした。
やがて十四人の搭乗員が救助された時には、思わず万才(ばんざい)を叫んだ。
十四人の前に現われた艦長の顔には温い微笑が見られたが、救助が終れば一秒も早く出発しなければならない。
「機械発動」
の号令が下されて、秋月は静かに艦隊を追いながら、暗に消えて行った。
【米軍に収容されるマリアナ三島(グアム島、サイパン島、テニアン島)の日本人】
マリアナ三島の日本人口は3万をこえていたが、その多くが軍とともに自決した。 (*15)
× × ×
昭和十九年十月二十四日
我が艦隊が敵機動部隊により大打撃を蒙った海戦史上稀にみるレイテ沖海戦であった。
この海戦においてわが海軍が世界に誇る巨艦、そして戦艦大和と同型の武蔵が、うんかの如く攻め寄せる敵攻撃機の襲撃を受け、実に魚雷二十一発と十七発の直撃爆弾を受けてその満身創痍の巨体を南海の海原に沈めたのであった。
英国が誇った不沈戦艦プリンス・オブ・ウェールズさえ九本の魚雷によってあっけなくマレー沖に沈んだのをみても如何に我が国の建艦技術が優れたものであったかが偲(しの)ばれるであろう。
そして防空駆逐艦、秋月、は昭和十九年十月二十五日午前九時、レイテ海戦(エンガノ岬海戦)の時、空母に殺到する魚雷を発見、空母を助けて自ら体当りをして轟沈してしまった。
私はマリアナ海戦で秋月に救助されたおかげで、今日も生きておられるのである。
秋月の乗組員の冥福を祈り、深意の黙祷を捧げる次第である。(終)
【出典】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 太平洋攻防篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 孤島邀撃篇」
・1929(昭和4)年 日本評論社 安部磯雄 「失業問題」
- 【*1】 ①ヤード‐ポンド法による長さの単位。1マイルは1760ヤードで、約1.6093キロメートル。英里。記号 mil または mi②海里かいり(sea mile)の略。海里:(sea mile; nautical mile)緯度1分の子午線弧長に基づいて定めた距離の単位で、1海里は1852メートル。航海に用いる。
- 【*2】 下士官
- 【*3】 艦上爆撃機
- 【*4】 まっしぐらに進むこと。
- 【*5】 原文ママ
- 【*6】 仁王の像のようにいかめしく突っ立つこと。
- 【*7】 原文ママ
- 【*8】 脚絆の一種で、小幅の長い布を足に巻きしめて用いるもの。巻きゲートル。
- 【*9】 果てしなく、広々としているさま。広くて目当てのつかないさま。
- 【*10】 翼を上下に振ること。
- 【*11】 第二航空戦隊の略。
- 【*12】 多くのかみなり。万雷。
- 【*13】 銃床の、引き金をひくとき手で握る部分。
- 【*14】 原文ママ
- 【*15】 日韓併合時代、人口過剰であった日本に年に3万人の朝鮮人が移民してきて、2万人の日本人が外地へ移民していった。大正時代末期、第一次世界大戦好景気の反動不況が起きると、日本国内では低廉な賃金で働く朝鮮人移民が企業に好まれて大量の日本人失業者を生み出し、また労働市場を破壊したことから社会問題化した。当時の日本政府はその状況に鑑み、企業の朝鮮人労働者雇用を規制したが、現在の日本政府は外国人労働者受入れを拡大していることに注意を要する。
- 最終更新:2018-03-17 17:54:31