【スラバヤ・バタビヤ沖海戦|海軍少尉】初の艦隊決戦勝利の日

出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本 第二巻第六号 われら学徒かく戦えり」所収
   元海軍少尉 横須賀一彦 「月月火水木金金の猛訓練太平洋に実る 初の艦隊決戦勝利の日」


敵艦隊のはしる海面は白く波立ち、一条の竜になってわれに迫る! 距離約二万米(メートル)待ちに待った砲戦の号令
今や遅し!

待望の「合戦準備」

 日本の国運を賭けて闘った太平洋戦争で、日露戦争以来仮想敵国アメリカ (*1)を目標に、営々として猛訓練を続けて来た日本艦隊が、その力倆(りきりょう)を存分に発揮して、はなばなしい最初の艦隊決戦を行ったのは、昭和十七年二月二十七日から三月一日にわたったスラバヤ、バタビヤ沖海戦であった。

 その朝、四隻の日本駆逐艦が、単縦陣(たんじゅうじん)をつくって、艦首を高く上げ、白波を蹴(け)たてながらジャバ海 (*2)を航(はし)っていた。

 艦上には、猟犬のように耳をそばたて、目を光らせた哨兵たちが、海上の何処(どこ)かに黒点となって現われるであろう敵艦隊を、必死に探し求めていた。

 速力は次第に増してゆく。十八ノット (*3)の原速力から第一戦速へ、二十六ノットの第二戦速へと、急ピッチに上ってゆく。

 艦の航(はし)り去る海上は、次第に波立って来た。その波に突っこむ後続艦の艦首には白いしぶきがサアッと舞い上ってくる。

【参考:ミッドウェーに向う重巡洋艦「愛宕(あたご)」】
ミッドウェーに向う重巡愛宕.jpg

「左舷四十度! マストが見えます」 と警戒配備の哨兵の声が、艦橋にひびく。

「よし、見張りを続けろ!」

 双眼鏡を目に当ててみると、それは同じように索敵行動を続けている、味方の巡洋艦らしい。向うもこちらの船影を認めたのか、みるみるうちに近づいてくる。

 やがてはっきりと、船影が現われて来た。堂々たる巡洋艦が二隻、その周囲には、こちらと同じように四隻の駆逐艦が白波を蹴たてて見える。

 どっしりと重い巡洋艦、それを守りながら従う軽快な駆逐艦、それはまるで絵のように美しく、また思わず武者振い (*4)のしてくる勇ましい姿である。

【参考:重巡洋艦「妙高(みょうこう)」から見た重巡「那智(なち)」と同「羽黒(はぐろ)」】
妙高から見た那智・羽黒.jpg

 見敵(けんてき)必殺! その言葉が、ふっと浮んでくる。だが、敵艦隊の姿は、まだ見えない。時間はもう十一時を過ぎている。

 マストに旗旒(きりゅう) (*5)信号が上った。向うの艦(ふね)と情報を交換し合うのか、信号員の手旗が、風を切って、シュシュッとなる。

 哨戒に立っている砲台の伝声管から、艦橋当直員の声が、大きく聞えてくる。

「まもなく味方の船団が、左前方に見える予定。敵の艦隊は、その船団をねらっている。一層警戒を厳重にせよ!」

 巡洋艦の一隊は、また遠ざかって行った。

 正午、そして午後一時、二時、時間は刻々に過ぎてゆく。しかし敵艦隊の姿は、依然として見えない。だが次第に近づく戦機は、ひしひしと身に感じられてくる。物凄いスクリューの回転の音にも、何かしら悲壮なものを感ずる。敵がいよいよ近づいて来たのか。哨兵たちの目も、一層キラキラと光って来たようだ。

 午後四時、その緊張を破るように艦橋から高らかにラッパが鳴りひびいて来た。その音の中を伝令が走ってくる。

「合戦準備!」

 哨兵たちは、ばねのように飛び上って、自分たちの戦闘配置に一散に走ってゆく。いよいよ戦闘だ。続けて、 「右砲戦!」「右魚雷戦!」 矢つぎ早に号令が飛んでくる。

 ぐいっと、身体がひかれるような気がした。艦は三十五ノットの全速力を出しはじめたのだ。物凄いしぶきが、滝のように踊り上って、艦首を銀色にそめて散った。

 見える、見える。味方の艦隊が同じようにこのジャバ海を航りまわっていたのだ。その勇ましい姿が、右から左から次々と現われてくる。

 月月火水木金金 (*6)、その猛訓練をいよいよ試すときが近づいて来た。

 時間は、もう午後六時をまわった。その時だった。水平線に一条の黒煙りがかすかに見えた。その煙りは、まっすぐにこちらに近づいてくる。

「敵艦隊見ゆ!」

 その声が、全身を貫くように、ささって来た。

 遂に現われたのだ。その姿は、みるみるうちに大きくなって来た。

【バタビヤ沖海戦合戦図|1942(昭和17)年3月1日】
第一次0009-0100、第二次0100-0116
バタビヤ沖海戦図1_2.jpg

猛攻する日本艦隊

 白波を蹴って先頭に立ったのは、アメリカ西南太平洋艦隊の主力、九千五百噸(トン)の重巡洋艦「ヒューストン」であった。続いて一番艦は、イギリス東洋艦隊の重巡洋艦、八千三百九十噸の「エクゼター」、それに続くものは、オランダ艦隊の重巡洋艦「ジャバ」をはじめ、司令長官ドールマン少将座乗の軽巡洋艦「デロテイル」、イギリス艦隊の軽巡洋艦「パース」がならび、その周囲には、アメリカ駆逐艦九隻、イギリス駆逐艦三隻、オランダ駆逐艦三隻が守りにつき、日本艦隊の進攻を、このスラバヤ沖に喰い止めようと、堂々の隊形を作って押し寄せて来たのであった。

 これに対する日本艦隊は、東部ジャバ攻略の陸軍部隊輸送船を直接護衛していた、第五戦艦の一万噸級の重巡洋艦「那智(なち)」「羽黒(はぐろ)」をはじめ、第二水雷戦隊の軽巡洋艦「神通(じんつう)」、それに第十六駆逐隊の一等駆逐艦、雪風(ゆきかぜ)、時津風(ときつかぜ)、天津風(あまつかぜ)、初風(はつかぜ)であった。

【重巡洋艦「那智」】
駆逐艦那智.jpg

【重巡洋艦「羽黒」】
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【軽巡洋艦「神通」】
神通性能改善工事後.jpg

【一等駆逐艦「雪風」|「天津風」「時津風」「初風」も同型艦】
一等駆逐艦雪風.jpg

【一等駆逐艦「天津風」】
一等駆逐艦天津風.jpg

 このほか第四水雷戦隊の軽巡洋艦「那珂(なか)」、第九駆逐隊の特型千五百噸の一等駆逐艦「朝雲(あさぐも)」「峯雲(みねぐも)」、それに第二駆逐隊の千三百五十噸の一等駆逐艦「村雨(むらさめ)」、「五月雨(さみだれ)」、「春雨(はるさめ)」、「夕立(ゆうだち)」このほか同じ駆逐艦では、排水量千七百噸の「潮(うしお)」、「漣(さざなみ)」、千三百五十噸の「山風(やまかぜ)」、「江風(かわかぜ)」も加わっていた。

【軽巡洋艦「那珂」】
水雷戦隊旗艦那珂.jpg

【一等駆逐艦「朝雲」|「峯雲」も同型艦】
一等駆逐艦朝雲.jpg

【一等駆逐艦「村雨」「五月雨」「春雨」「夕立」と同型艦「白露」】
一等駆逐艦白露=村雨五月雨春雨夕立.jpg

【一等駆逐艦「潮」】
一等駆逐艦潮.jpg

【一等駆逐艦「漣」】
一等駆逐艦漣.jpg

【一等駆逐艦「山風」「江風」と同型艦「海風」】
一等駆逐艦海風=山風江風.jpg

 日本艦隊の指揮官は、第五戦隊司令官の高木武雄少将であった。

 この両艦隊は、ほとんど互角の兵力をもって、いまスラバヤ沖に現われて来たのである。海上は遠くから、薄暗(うすやみ)にすいこまれはじめていた。

 艦隊の航る海面だけが、白く波立ち、それが海の牙のように見える。敵はますます近づいて来る。距離約二万米(メートル)、待ちに待った砲戦の号令が、勇ましくかかって来た。

「左三十度、敵一番艦をねらえ!」

「距離、一七〇〇〇!」

 伝令の声が、上ずって聞える。じっと、目標にねらいをつける。その時、日本艦隊の砲戦第一弾が、軽巡「神通」から、敵艦隊に飛んだ。

「やったァ」と思うと気持がスーッとして来た。高ぶった気持が、少し落着きをとり戻して来たようである。いよいよ、来る。そう考えたとき、ブザアが強く鳴った。

「発射用意!」

 訓練では、幾十度も幾百度も、いや幾千度も聞き馴れた号令である。しかし今日のその声は全く違う。勇ましいという感じではない。それでいて悲愴( (*7)ひそう)ではない。いやそうしたものを総(すべ)てふみこえた、一瞬のような気もする。引金(ひきがね)に手をかける。

「打て!」

 ぐいっと力をこめるのと、ごうんという音とが一緒だった。波音は何か区切ったように、ザッザッと聞えてくる。次々と打ち出す大砲の音が、敵に肉迫する艦(ふね)の航跡をとぎらせているのか。

「神通」に続いて、一万噸の重巡「那智」「羽黒」の二十糎(センチ)主砲が、轟然と火を吐いた。まるで海面の総てをなぎ倒すような、物凄いひびきである。それに応(こた)えるように敵艦隊からも、激しい砲声が聞えて来た。主力艦同志の砲撃距離は、二万二千米、日本艦隊は主砲の二十糎砲において秀(すぐ)れ、敵艦隊は十五糎砲で勝っていたと言われている。

 敵、味方の砲声は、共に肉迫しようとする駆逐艦の上にとどろきわたり、最初に砲撃した「神通」の近くには、至近弾が群がって落ちた。主砲の砲撃がはじまると、敵はまた「那智」「羽黒」に向って砲火を集中して来た。

 砲戦、約五十分。「羽黒」の発射した二十糎主砲の一弾が、敵の二番艦「エクゼター」に命中した。それまで互角の態勢を見せていた敵の連合艦隊は、このとき忽(たちま)ち寄せ集めの弱点を暴露してしまった。

 艦隊の陣形が、にわかに乱れ出したのである。「エクゼター」は、砲弾の命中で速力が半減し、戦線から離れて行った。勝敗は、もう決ったも同然のようであった。

【英重巡「エクゼター」に魚雷命中】
英重巡エクゼターに魚雷命中.jpg

【火災、左傾した英重巡「エクゼター」】
火災、左傾した英重巡エクゼター.jpg

 日本海軍がその訓練中でも、もっとも得意とした「魚雷攻撃」がはじまった。敵艦隊の乱れこそ、魚雷攻撃の好機である。

 駆逐隊は、はじめ南に向い、次には東南東の針路で、敵艦隊に猛襲して行った。

 敵、味方の打ち出す大砲のもうもうたる煙り、日本艦隊の目をくらますための煙幕展開、敵は必死となって、戦線から脱(のが)れようとあせり出して来た。

【参考:南太平洋海戦で煙幕を展開して逃走する米防空駆逐艦】
南太平洋猛攻煙幕防空駆逐艦.jpg

悲運の敵司令長官と艦隊

 しかし逃げる敵艦隊も、日本駆逐隊の追撃に逢うと、必死になって反撃して来た。駆逐隊同志の砲戦、味方の十二・七糎(センチ)砲は、砲身も焼けただれるばかりに、敵駆逐艦を打ちまくった。この戦闘で、日本の駆逐艦「朝雲」は砲弾によって傷つき、イギリスの駆逐艦「エレクトラ」は、一斉砲撃を受けて一瞬にして海中深く沈没した。

 交戦約二時間、戦場は夕闇に包まれて来た。日本艦隊は、一先(ひとま)ず攻撃を中止し、針路を反転して西に向った。その理由は、戦場がジャバ島に近接し過ぎて、敵の機雷敷設原に入りこむ危険があったためだと言う。

 この二十七日の昼戦(ひるせん)での日本側戦果は、駆逐艦一隻轟沈、巡洋艦一隻中破だけであった。こうして昼戦を打ち切った日本艦隊は、ジャバ海を南下しつつある輸送船団に針路を向けて、航行を続けていた。

 一方、「エクゼターの落伍によって、四分五裂の陣形となった敵連合艦隊司令長官ドールマン少将は、戦場から退却せず、陣容を建直して、あくまでも日本の輸送船団を攻撃しようと北上して来た。

【バタビヤ沖海戦合戦図その2】
第三次0116-0132、第四次0132-0206
バタビヤ沖海戦図2_2.jpg

 敵艦隊にとって、最後の運命のときは、その夜の零時三十分であった。

 高木少将の率いる日本艦隊の主力と、ドールマン少将の艦隊とは、ほとんど正面からぶっつかったのである。

 再び激しい砲声が、ジャバ沖にとどろきわたった。昼戦に敵艦隊を撃滅できなかった日本艦隊は、敵をがっちりと摑(つか)んでしまった。青白い月が、中天にかかっている。

 その光りの下を、日本駆逐艦の一隻が、切りこむように、「デロテイル」につっこんで行った。その魚雷発射管から、ギョロン、というなめらかな音をたてて、九三式酸素魚雷が海中にもぐり、まっすぐに進んでゆく。

 距離九五〇〇米、砲戦を開始してから僅か十五分であった。轟然たる大音響と共に、火柱が夜空にもえ上った。

「魚雷命中!」

 日本艦隊からはどよめくように喚声が上った。続いて同じオランダの巡洋艦「ジャバ」が、火焔に包まれ、火柱を吹きあげて、あっけなく沈没してしまった。

 残るアメリカの重巡洋艦「ヒューストン」をはじめ敵の駆逐艦は、月光の下に、白い航跡をひいて、あわてふためきながら、散り散りに逃げ去ってしまった。その夜の海戦は、夜戦に馴れた日本海軍の一方的な勝利となって終ったのであった。

 敵艦隊はしかし、それで撃滅されたのではなかった。

 翌二十八日の夜、陸軍の主力部隊は、バタビヤ西方のバンタム湾から上陸を開始していた。日本艦隊は、敵残存艦隊の襲撃に備えて厳重な戦闘態勢を備えていた。

【バンタム湾日本軍上陸地点】
司令部乗船は擱座 (*8)したが人員は被害なく上陸。
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【バンタム湾日本軍上陸地点その2】
上陸地点の遠浅を腰まで海につかって揚陸作業。幸い敵機の妨害はない。南国の陽はまだ水に明るい。
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 そこに現われたのが、アメリカの重巡洋艦「ヒューストン」と、オランダの軽巡洋艦「パース」に、数隻の駆逐艦であった。この残存艦隊は、輸送船団の上陸を妨害するために現われたもので、日本艦隊の厳重な戦闘準備には気がついていなかったようである。

 敵は、船団の上に突如として三色の照明弾を打ち上げたかと思うと、いきなり大砲を打ちこんで来た。これに味方の掃海艇一隻と輸送船が撃沈されたが、これを待っていた日本水雷戦隊の駆逐艦は、直ちに反撃を開始。

 駆逐艦の砲撃に続いて魚雷発射、それに加えて日本巡洋艦の一斉砲撃、軽巡「パース」は火だるまとなって沈んだ。残る「ヒューストン」も、いまは必死となって主砲の二十糎砲を打ちまくりながら、三十二ノットの快速を利用して、右に左に航りながら、魚雷の攻撃を逃げまわっていた。

 だが、やがてこの「ヒューストン」も魚雷命中、海中に消え去って行ったのである。

【敵タンカーを撃沈したわが航空隊】
連合国側は米重巡「ヒューストン」撃沈で乗員700名と水上機を、蘭軽巡洋艦「パース」撃沈により乗員550名と水上機を失った。
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【沈没する米駆逐艦「ポール・ジョーンズ」】
逃走中の損傷艦「エクゼター」と駆逐艦2隻は、3月1日第7戦隊などの攻撃を受けて撃沈された。
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【日本軍バンタム湾上陸|1942(昭和17)年3月1日】
第16軍司令官今村均中将は9日にバタビヤに入った。ジャワの子供たちの歓迎、戦争とは思えない空気。
1942年3月1日バンタム湾上陸.jpg
(おわり)


【出典】
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 南方攻守篇」
・1954(昭和29)年 富士書苑 森高繁雄編「大東亜戦争写真史 太平洋攻防篇」
・1970(昭和45)年 株式会社ベストセラーズ 福井静夫「写真集日本の軍艦 ありし日のわが海軍艦艇」
・1983(昭和58)年 講談社 千早正隆「写真図説 帝国連合艦隊-日本海軍100年史-」

  • 最終更新:2018-03-25 15:15:08

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