【アメリカ】戦争と記録-戦後、日米の記録から特定された戦果
戦争とは詳細に記録を取っておくものです。
なぜなら勝っても負けても、戦後、戦争を再構成して作戦を見直したり、戦勝国ならば賠償請求額を算出したり、極東軍事裁判のような事態になれば資料が必要になったり、自国の兵の戦果を確認したりするからです。
大東亜戦争における日米両国の記録には年月日と時刻が記され、写真や映像でも戦況が記録されています。そして当然、
日本と米国の記録は一致します。
日本と米国の記録は一致します。
そういった戦争の記録もなしに、戦勝国を自称しているのが中共、韓国、北朝鮮です。これら自称戦勝国と日本は戦争していないので日本側の戦闘記録もありません。日本が中共や朝鮮に対して行ったのは共産匪賊討伐なので、正式な戦争ではないからです。それに自称戦勝国が抗日戦戦没者を追悼するためにその戦果を確認したいと日本側に申し出たこともありませんので、彼らは口先で「日本に勝利した!」と言っているだけです。
※捏造抗日戦勝利で式典を開催した中共。自称で戦勝国になれるなら戦争は必要ない。
※韓国政府が自国民に教育している「日本軍に勝利した青山里の戦闘」画。青山里は満州の地名。日本軍が敗戦した理由は「局地戦の経験と研究不足により全滅と戦争を恐れ、兵が生き残るために逃亡したため軍紀が乱れ、伏して銃を撃つだけだった」と教育している。
※日本の満州守備兵による共産匪賊討伐。これが事実である。
自称戦勝国はさておき、実際に日本と死闘を繰りひろげた米国の記録には、特攻機の動きまでもが詳細に記録されていました。
戦後、日米両国の記録を照合した結果、米艦隊に突入した特攻隊員が特定され、米国側戦闘記録にもれがあることが発見され、特攻奏功率が戦後共産主義者の宣伝に反して高かったことが判明しました。
※1945(昭和20)年4月11日、上甲板に散乱した特攻機の機体を調査するミズーリ乗員。右端人物の足下に日の丸が見える。
戦後、特定された特攻隊の戦果
1945(昭和20)年4月7日の戦闘。護衛空母シトコー・ベイの左舷側海面に激突した銀河。墜落と同時に搭載した爆弾が爆発したらしく、粉々になった機体が海面上に飛び散っている。日本側戦闘詳報に「空母一隻に突入」と記録されているのはこの銀河だと判明した。
1945(昭和20)年4月14日の戦闘。特攻機が突入した戦艦ニューヨークの三番砲塔付近。突入の衝撃でOS2Uキングフィッシャー水上観測機がカタパルトから滑り落ちた。米国側記録には「Oscer」 (*1)とあり、突入した機はこの日出撃した第二九振武隊のものと判明した。
1945(昭和20)年5月4日の戦闘。護衛空母サンガモンの惨状。突入した特攻機は米国側記録に「Nick」とあり、16時に発進した誠第一二三飛行隊三越三郎伍長操縦の屠龍(二式複戦)と判明した。
1945(昭和20)年5月4日の戦闘。軽巡洋艦バーミンガム甲板に散らばった特攻機の破片。米国側記録にあるように一式戦だとすると、この特攻機は同日5時から5時30分に知覧から出撃した第一八振武隊または第一九振武隊である可能性が高い。
1945(昭和20)年5月6日の戦闘。セント・ジョージの艦上で発見された特攻機の発動機。米国側はこれを三式戦が搭載していたものだと記録している。
米国側戦闘記録にはもれがある
終戦後、元陸軍大尉と元海軍航空艦隊参謀が米国側の戦闘記録である「第二次世界大戦米国海軍作戦年誌」を検証した結果、特攻隊の戦果にもれがあることが判明しました。
なぜなら米国側の記録には英国艦隊の被害は記載されておらず、陸軍所属の船舶、徴用船、海軍徴用船および小雑船艇、輸送商船の被害が相当あると思われる根拠があるにもかかわらず、これらの船の被害も記載されていなかったからです。
元陸軍大尉の検証では、米陸軍の記録(太平洋における戦争 ─── 沖縄、最後の戦い)に米国艦船の沈没三十六隻、損傷三百六十八隻とあり、また元英国首相チャーチルの回顧録に「英艦の被害は空母など五隻に達している」という記載があるにもかかわらず、特攻隊の戦果に加えられていないのです。
また戦後日本では、「日本海軍航空史」に記述されている"アメリカ側から見た特攻機の戦果"の一部分であるハルゼー大将の「神風の効果は1パーセント」という馬鹿げた発言が広められ、その結果、共産主義者の「特攻隊は犬死に、ムダ死にした」という日本悪宣伝(=日本人を精神から武装解除させる工作)が信じられるにいたってしまったと思われます。
日本政府が一日でも早く名誉回復せねばならないのは、朝鮮の捏造自称従軍慰安婦などではなく、日本国の礎である皇室と日本の国土を守り抜いてくれた英霊の名誉ではないでしょうか?
それに正式な記録すら持たない自称戦勝国に何がしかの名目で金銭を与えるのは、借用書もないのに借金を払うようなもので先進国たる日本がやるべきことではありません。
参考資料1:元陸軍大尉による特攻隊の戦果検証
出典:1977(昭和52)年 ビジネス社 元陸軍大尉 生田惇「陸軍航空特別攻撃隊史」第4章 沖縄作戦における特攻
3 特攻戦果についての考察 特攻戦果の数の問題
よく引き合いに出される『第二次世界大戦米国海軍作戦年誌』は、ほぼ正確なものと認められるが、これは米海軍在籍の主要艦艇船舶についての記録であって、陸軍所属の船舶、徴用船はもちろん、海軍徴用船および小雑船艇についての記録もない。また沖縄戦には、英海軍軍艦も多くの損害を出していることを忘れてはなるまい。
特攻戦果について根拠ある数字の一つとして、『日本海軍航空史』に述べられた次の特攻奏功率の表を示しておきたい。
【特攻奏功率】
作戦期間 | 特攻実施機数 | 体当たり機数 | 至近となった機数 | 奏功率 | 被害艦数 | |
比島作戦 硫黄島・丹作戦 |
海軍 | 315 | 111 | 43 | 27.1 | 129 |
陸軍 | 253 | |||||
沖縄作戦 | 海軍 | 985 | 133 | 123 | 13.4 | 229 |
陸軍 | 932 | |||||
全作戦総合 | 海軍 | 1,298 | 244 | 166 | 16.5 | 358 |
陸軍 | 1,185 |
※注1/特攻実施機数は、海軍は猪口・中島共著「神風特別攻撃隊」により、陸軍は戦史室から得たもの。ただし未完成で確実性を欠く。
注2/体当たり機数は、記録に現れたもののみ。
この航空史には「特定の場合のほか、海軍特攻機のものか、陸軍機のものか判定はきわめて困難である。したがって、戦果は陸海軍特攻機の総合戦果として見ることが至当である」と述べている。筆者もその見解に賛成である。ただ、陸軍機の沖縄作戦における特攻実施機数はやや多きに失している。戦史室で同乗出撃者を単独と数え誤ったものであろうか。
被害艦数の欄は、米海軍作戦年誌によったものであろうが、これは少なきに失している。米陸軍の記録(太平洋における戦争 ─── 沖縄、最後の戦い)によれば、米国艦船の沈没三十六隻、損傷三百六十八隻となっており、被害は約二倍である。更に、チャーチル回顧録に現れただけで、英艦の被害は空母など五隻に達している。
要するに、戦時中の大本営発表を基礎に書かれた戦記はともかくとして、戦後の諸記録は、特攻戦果を低く見過ぎていると強調したいのである。
日本海軍航空史には、アメリカ側から見た特攻機の戦果を次のように記述している。
いかに神風攻撃が有効であったかを、戦争の終った時に知り得た。比島作戦においては、神風攻撃の二六・〇八パーセントが戦果を挙げている。即ち延べ六百五十機のうち百七十四機が命中または至近弾となって奏功している。沖縄戦では比率は落ちて奏功率は一四・七パーセントであるが、機数が多く約一千九百機であったから三百七十九機 (*2)が戦果を挙げている。十カ月の特攻期間にアメリカ海軍損傷艦の四八・〇一パーセント、全戦争期間四十四カ月の沈没艦の二一・三パーセントは神風の戦果である。ハルゼー大将は自信ありげに、神風の効果は一パーセントだと言っているが、実際にはその二十六倍の効果を挙げている。 |
前ページの表と引用文を較べて見ると、だいたい似た数字になっている。しかし、特攻実施機数は日本側の調査が少なく、体当たり成功の数は米側戦史のほうが多いのであるから、特攻奏功率は、表の数字および米側戦史よりも高い可能性が強い。特攻戦果を明確な数字で示すことは今となっては困難であるが、前ページの表よりもかなり高い数字であったと信じられる。
参考資料2:元海軍航空艦隊参謀による特攻隊の戦果検証
出典:1960(昭和35)年 自由アジア社 元海軍航空艦隊参謀 安延多計夫
「南溟の果てに-神風特別攻撃隊かく戦えり-」 まえがき
神風特攻攻撃の戦果
一般の人々が考えているように、神風特攻隊の攻撃は、効果尠(すくな)くして、唯(ただ)アメリカ人を驚かしたに過ぎなかったろうか。
アメリカのある本には、次の如く書かれている。
「如何に神風攻撃が、有効であったかを、戦の終った時に知りえた。比島作戦に於ては、神風攻撃の二六・八%が戦果を挙げている。即ち延六五〇機のうち一七四機が命中、または至近弾となって奏功している。
沖縄戦では、比率は落ちて、奏功率は一四・七%であるが、機数は多く延一九〇〇機のうち二七九機が戦果を挙げている。十ヶ月間に、アメリカ海軍損傷艦の四八・一%、全戦争期間四十四ヶ月のうちの沈没艦の二一・三%は、神風の戦果である。ハルゼー大将は、自信ありげに、神風の効果は一%だといっているが、実際は、その二十六倍の効果を挙げている。」
大本営発表は、あまりに過大な戦果を発表した為に、現在では、一般に信用がない。
神風特別攻撃隊が、如何に戦かったかを知る一番正確な方法は、できることなら、戦死された諸英霊に呼びかけて、その戦い振りを聞くことであるが、これは全く架空的な、不可能な話であって、今日では、敵側であったアメリカの資料を調べることが、一番正確度の多い方法であろう。
しかし公式のアメリカ海軍戦史は、また (*3)、私達の見る範囲にきていない。あるいはアメリカでも未完成なのかも知れない。ただ一つ米国海軍省戦史部編纂の「第二次大戦米国海軍作戦年表」 (*4)が、日本にきている。これによると、米国海軍艦艇の被害は全部記載してあって、被害を沈没と損害に区別し、特攻機の攻撃によるものも明記してあるけれども、海軍の徴用船に関しては、一隻も記入されていない。勿論陸軍関係のもの及イギリス海軍の艦船については、少しも触れていない。比島、沖縄戦においては、共に輸送商船の被害が相当にあったと推断しうる根拠があるが、この数字が公表されていないことは、物足りないことである。
アメリカで一般に刊行されている所謂戦記ものは、その殆んど全部といってよい位に、この大戦に於て、アメリカの将兵が、どんなに勇敢に戦かったか、という点に重点をおいて書かれている。
然しながら国民性として、神風特攻機が命中したのを命中してないとは書いてはいないし、また被害のあった艦を隠すようなことはしていない。従って神風特攻機の攻撃については大体事実を記していると見て差支えない。特に体当りによる被害が甚大であって、その時の乗組員の英雄的な行為を特筆しようと意図しているような場合には、神風特攻機の行動や、被害の状況を明細に書きたててある。(後略)
【資料出典】
・1997(平成9)年 KKベストセラーズ 「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」
- 最終更新:2015-12-28 11:28:56