【第七二振武隊】新井一夫
新井一夫
昭和十六年十二月千葉県印旛沼航空機乗員養成所入所、十七年十月十日下士官候補生として中野第一一三部隊入隊、一等兵、同年十月十九日岐阜陸軍飛行学校甲府分教所に入校、十九年八月軍曹、朝鮮第一〇一部隊角和隊付、特攻志願振武第七十二隊(佐藤隊長以下九名で編成)、二十年五月二十七日万世飛行場より出撃、散華。任陸軍少尉(二階級特進)。功四級金鵄勲章勲六等単光旭日章。
今日あるはすでに覚悟の上
二十年間の不幸お許し下さい。
一夫身を航空に投じてより今日あるは既に覚悟の上にて今更遺書とて述ぶる所無し。
千載一遇の御代に生れ大君の御為空中戦士として此(こ)の身を捧げる機会を得たること 唯々(ただただ)感謝に堪えず。
今日迄長らへたるは一重(ひとえ)に御先祖様の御加護と御父母様始め皆様の御教訓の賜(たまもの)共に感謝に堪へず御父母様より先立つ事、本より不孝なるも皇国民たる一夫断じて忠孝一本の道 (*1)に生きんとす。
仇敵米英を撃砕せんとす。
男子の本懐之(これ)過ぐるもの無し。
祖国の彌栄(いやさか)と御父母様の御健康を遥かにお祈りして止まず。
君が為 花と散る身の悦びを
胸に抱いて 我は征くなり
新井一夫
御父母様
長年の御恩感謝に堪えず
大戦以て之に報ゐん
外海に宝のせくる波を背に負ひて
砕かん此の身は楽しくもあれ
七二振武隊 新井一夫
【出典】1976(昭和51)年 現代評論社 苗村七郎 「万世特攻隊員の遺書」
【忠孝一本の道】国立国会図書館:1938(昭和13)年 南湖院 高田畊安 「平和主神武天皇」
- 最終更新:2016-05-28 12:46:51