【特攻隊とマスコミ】朝日新聞|昭和20年4月10日掲載
出典:1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」都城特攻隊取材録
沖縄攻防戦の日々、新聞紙上は特攻隊の戦果が第一頁に、そして他頁にも特攻隊の活躍が華々しく報道された。そのなかでこの都城基地に於て各社の特派員が直接取材した記事を以下にご紹介して当時の模様を偲んで戴きたいと思う。
出撃の命は下る
敵主力空母那覇近海に出現の情報がここ某基地部隊本部にもたらされた。神機到来、かねてこの日を待ち侘び待機中の精鋭陸軍特攻隊振武隊に出撃の命は下った 部隊本部に集った隊長林少尉(石川県出身)ほか、隊員の面は一瞬殺気を帯び、決意の色がありありと漲った。出撃を前に狭い本部の一室でささやかな壮行の宴が催された。大きい日の丸の国旗を前に並べられた二つの机には今を盛りと咲き誇る桜花二枝、一死報国の精神に生きる神鷲の壮途を祝福してゐる。
【林弘少尉】
神鷲達のこの壮途を祝ふ部隊長は「皇国の興廃は将(まさ)にこの一戦に決す。諸子はしっかり落着いてこの大任を果すよう」最後の訓示を与へれば林隊長は誓って大任を果さんことを力強く誓った。壮行の宴といっても僅かに料理はするめだけ最後の杯をぐっと飲みほす隊員の顔は何等(なんら)平常と変るところがない。この日〇〇航空部隊指揮官はこの基地を親しく訪れ出撃直前に隊員一同に烈々肺腑をつく訓示を与へたのだった。
神機まさに到来せり、満を持してゐた本隊に出撃の命は下ったのだ。諸子は今までさぞかし髀肉(ひにく) (*1)の嘆に堪へなかったことであらう。しかし飛行団は余が手塩に掛けた精鋭の隊である。その威力を十分に発揮されるやう期待する。日露戦争の時東郷元帥は敵の艦隊主力を撃滅し勝利の鍵を得たやうに諸子の挙げる成果がこの戦局を一大展開せしめることを期待してゐる。
隊員の一人々々は軽い微笑さへ湛へ、五体に必殺の闘魂をみなぎらして言葉少なに語るのだった。やがて出撃の時は来た。航空部隊指揮官を始め親鷲部隊長、基地勤務員の人々の心からなる見送りを受け、「国宝神鷲大為報国」墨痕鮮かに書かれた日の丸の鉢巻をぐっと引締め、林隊長以下全員機上の人となった。絶好の攻撃日和、爆音高らかに砂塵を蹴って悠久の大義に生きる特攻隊員はここに出撃したのだった。
【出撃する第一特別振武隊】
- 最終更新:2018-08-14 12:46:04