【特攻隊とマスコミ】北国毎日新聞|昭和20年4月11日掲載

出典:1977(昭和52)年 原書房 寺井俊一編 「航空基地 都城疾風特攻振武隊」 都城特攻隊取材録


死に切れぬ任務あり
 最後の手紙に烈々たる覚悟

 林弘少尉は日本海に程近き松籟の音しげき黒崎部落の簡素な家に二兄二姉の末ッ子に生れ、厳しく育ち黒瀬国民学校を優等で通し大聖寺中学へ入り優秀な成績で四年から陸士 (*1)予科を経て航士 (*2)へ入校。両親や二姉には、「死は生であり、皇国のため花とさくことである。体当りして一機一艦をやっつける秋であるが泣いて下さるな」と立派な死生観を説いた。

 豪気果断 (*3)、陣中からの便りにも、「御両親様はじめ皆様には御障りもございませんか。不肖去る日南方に征(ゆ)くところ愛機の故障で取止めとなり残念でありますが、当部隊の任務は実に重大そのものにして、よってもって皇国の興亡の決するところにて全員きはめて士気旺盛、最近情勢は敵艦載機の侵すところとなり、いよいよ驕敵撃滅の闘魂に燃えてゐます。やがて母校の桜もさくでせう。この桜花の散るやうに笑って悠久の大義に散るべき日を思ひ、ますます敢闘必ず御期待に副ひます。」とあり、また最後の便りに「皇国未曾有の重大危局に当り同期生は次々と特攻体当りで皇国護持に散っていきます。残される心境いかばかり、ひとり腕を撫して時到るを待っています。二、三日中に南方へ征くことになり喜んでゐる。生死は問題ではありません。軍人は死んでも死に切れぬ任務があります。この任務遂行に全身全霊を捧げすめらみ国 (*4)に奉ずる覚悟です。山高深海 (*5)の御両親さまのご恩に対し厚くお礼申し上げます。遺髪、遺爪、写真は身廻り品と共にお送りいたします。」

 その遺留品が九日鉄道便で届いたがその中にも半紙に墨書で「皇国の無窮(むきゅう) (*6)を信じ欣然として悠久の大義に死す。」と心境を伝へてゐた。

【林弘少尉】
第一特別振武隊林弘少尉.jpeg

  • 最終更新:2018-08-14 15:54:17

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